第八幕 無明長夜(後篇) ②
「おっと!」
だが殺人バットは
そのまま勢いで前のめりに倒れそうになる康峰の腕を掴み、その手に握られた《武器》を顔に近付けて見る。
「何だこりゃ。スコップか? もうちょいまともなモンは落ちてなかったのかよ?」
「ぐっ……離せ!」
康峰は殺人バットの手を振り解こうとするが、相手はびくともしない。ただでさえ筋力に差があるが、この男は未だ《
殺人バットがせせら笑う。
「こんなモンがあんたの最終手段とはな。がっかりだぜ」
「ま、まだだ」
「お? 何だ? まだ何かテを隠してんのか?」
「聞いてくれ。こんなことをしても意味はない」
康峰は殺人バットの眼を見据えて声を強めた。
「いまならまだ引き返せる。お前ならそれができるだろう?」
「……レンに言ってんのか? だったら無駄っつっただろ。あいつは自分の意思で諦めた。もうこの体は俺のモンだ。あいつに返さねぇよ」
「何でだ? 何で諦めた? 灰泥に何があったんだ?」
殺人バットは鬱陶しそうに目を細める。
「しつけぇオッサンだな。んな情に訴える作戦がお前の最終手段かよ? だったらおとなしく死んどけ」
そう言って康峰の額に右手を近づけると、人差し指を弾いた。
康峰の体が大きく
「ぐうぅっ!」
ただデコピンされただけだが、《冥殺力》を纏ったそれは康峰にとって脳天を貫かれたほどの衝撃を与えた。脳みそがひっくり返りそうになる。辛うじて意識が飛ぶのに耐えた。殺人バットの腕は離していない。
「しつけーな。マジで殺すぞ」
殺人バットがそれを解こうとする。
だが康峰は何とかそれを掴み続けた。
「……灰泥。お前は本当にそれでいいのか? それで後悔しないか?」
「…………」
「これが、最後のチャンスだ。頼む。戻ってきてくれ」
殺人バットがふん、と鼻で笑って言う。
「先生ありがとう! ボク目を覚ましたよ! ——なぁ~んて言うと思ってんのか? 笑わせんなよ。いいか、あいつはクソ弱ぇ。そのことをあいつ自身が一番嫌ってた。だから何もかも守れねぇ、うまくいかねぇ。そんなクソったれな自分でいるくらいなら強い俺に任せるってよ。俺なら生徒会も使徒も教師も全員ぶっ殺せるからな。分かったか?」
「……分かった」
康峰はおもむろに手を離した。
エンジンの音が低く響いている。
「よく分かったよ、殺人バット。ありがとう」
「……ぁあ?」
怪訝に眉を寄せる殺人バットに、康峰は不敵な笑みを浮かべた。
「時間稼ぎには十分だ」
はっとして殺人バットが振り返った瞬間、近くまで低音で近付いていたバイクが急に速度を上げた。
霧のなかを飛び出したバイクに跨った沙垣先達が、殺人バット目掛けてアクセルを全開に回した。
『俺の来た方向に
「——ううおおおおおおおぉぉっ!」
先達の喉から聞いたことのないような咆哮が迸った。
「てめっ……!」
殺人バットは咄嗟にバットを前に翳して身を守ろうとする。
そこへ真正面から先達の乗ったバイクが襲った。
近距離からとは言え全開にアクセルを回したバイクだ。ぶつかった瞬間、男の体は背後の瓦礫の山まで吹っ飛ぶように押し込まれた。辛うじて直接車輪を鳩尾に食らわず金属バットで防いだが、金属棒は半ばでへし折れ肉体を容赦なく圧迫した。
《冥殺力》があっても所詮人間の肉体だ。対人ならほぼ無敵を誇る強さでも、機械が牙を剥けばその限りではない。当然の結果だった。
「クッ、ソがっ……!」
それでも殺人鬼は折れた金属バットを振った。
回転する前輪にそれを突っ込む。
機械の悲鳴とともにバイクは激しく横転し、誰も予想しない方向に吹っ飛んだ。乗っていた先達もその勢いに耐えられるわけもなく明後日の方向に、瓦礫の山に頭から吹っ飛ばされる。
そしてバイクから逃れた殺人鬼は——
まだその場に立っていた。
だがどう見てもその姿は立っているのがやっとだった。脚がふらつき大きく体勢を崩す。血で閉ざされたその片目の死角で霧が揺れた。
その位置に、
少女が刀を鞘に納めて腰を落としていた。
「このような勝ち方は不本意だ。が」
その声にびくりと震えた殺人鬼が振り返ろうとする。だが脚が縺れる。紗綺は片目で標的を捉えたまま凛とした声で宣告する。
「いまは手段を選べない。——終わりだ、殺人バット」
「ちょ、待てっ……」
一閃。
男が手を翳して言葉を発するのも待たずに。
目にもとまらぬ速さで刀身が引き抜かれた。
光の筋が走り抜けて殺人バットの鳩尾を襲った。
大柄な体が地面から浮き、もんどりを打って背後の建物の壁にぶつかる。
その勢いで、既に崩れかけていた壁が音を立てて砕けた。
砂煙をあげて瓦礫が男のうえに山を作り——
殺人鬼の肉体はあっという間に瓦礫と煙に見えなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます