第四幕 最悪の教師 ①

 



 いつの間にか雨はやんだらしい。

 水を打ったような静寂が却って不気味だ。

——街には化物の群れが向かったというのに……

 康峰やすみねがこの警備員室のような部屋に放置されて一時間程度経っただろうか。その間、学園長の雑喉ざこうほか誰かが訪ねたことはない。まるで忘れ去られたように無為な時間が過ぎていた。

「おい! 誰かいないのか⁉」

 最後にそう叫んでからもしばらく経つ。

 いい加減助けを求めるにも喉が嗄れた。

 この港近くの廃墟同然の倉庫通りにこんな時間近づく者もいない。雑喉もそれと承知で放置したのだろう。

 ガムテープの拘束を解こうともがき続けたが無理だった。足も手も自由に動かせない。当然無線機も奪われた。八方塞がりとはこのことだ。

 今頃町はどうなっているだろうか。想像するだけでも恐ろしい。

——せめて赤色生徒会の紗綺さきたちに連絡を取れれば……

 《冥浄力めいじょうりき》を持つ彼らが禍鵺マガネを倒しに動いてくれれば。

 いや——彼ら、彼女たちなら既に自分たちで動いているかもしれない。いや、きっとそうだ。

 いまはそう祈るしかない。


 不意に物音が康峰の鼓膜を叩いた。

 扉を開ける音に続き、廊下を歩く足音が近づいてくる。

 康峰は咄嗟に息を潜めた。現れたのが雑喉か、天代守護か、或いは浮浪者の類か。何にせよ隙をつけばこの状況を打開できるかもしれない。黙って闖入者が部屋の前の廊下を通り過ぎるのを蜘蛛のように観察しようとした。

 だが聞こえてきたのは予想外の声だった。


「センセー、いないのぉ?」


 聞き覚えのある少女の声に康峰は思わず反応する。

鵜躾うしつけ? 鵜躾か?」

「うわっ、ホントにいるじゃん。どこどこ?」

「いまお前のいる隣の部屋だ」

 扉を開いて鵜躾うしつけ綺新きあらが顔を見せた。

 持っていたペンライトの光をこっちに向ける。眩しい光が康峰の顔を照らした。

 縛られた康峰を見て綺新が目を見開いたようだ。

「マジでヤバいじゃん」

「何でお前がここに?」

「はぁ~~? 何それ。来てほしくなかったってか?」

「い、いやそういうわけじゃ……俺は鬼頭きとう先生に伝えてくれと言ったじゃないか?」

 綺新は康峰の傍に来ると膝を曲げた。

 康峰を縛るテープを外しながら言う。

「だってあの鬼ダルマッチョ部屋にいなかったしー、何かヤバい感じで通信切れちゃったし。このままほっとくのもどおかな~ってチチ子と話して。まぁしょうがないからセンセーの言ってたココまで来てやった感じ?」

 康峰は面食らった。

 確かに鬼頭に伝えてくれとは言ったが、正直あまり期待してなかった。もし鬼頭が見つからなければ、彼女らのことだから諦めて放置するだろうとさえ思っていた。

 それがわざわざこんなところまで来てくれるとは——

「どういう風の吹き回しだ?」

「ソレ何か馬鹿にしてない?」

「い、いや……ただ正直意外だったから」

「マジ感謝してよね。ま、ここんとこ病院に引きこもってばっかで退屈してたし。……あとセンセーにもちょっと悪いこと言っちゃったし、このくらいはしてあげてもいいかなーって。そんだけ」

「何だ、悪いことって?」

「覚えてないのぉ? ま、そんなら別にいいけど……」

 テープを外している少女の頭を見つめながら康峰は記憶を辿った。

 そういえば——


『センセーって言ったって、つい最近知り合ったばっかだし。逆になんで何もかも話してもらえると思ってんの? センセーがどんな人かも知らないし。サガッキーだってエリだってそれは同じでしょ』


 昨日病院で綺新にそんなことを言われた。

 彼女が言っているのはそのことだろうか。

 康峰は別に気にしてはいない。と言うより当然の意見だ。

 むしろそんなことを気に掛けている綺新を意外に思った。

 もしかしたら——康峰が思ってるより繊細な子なのかもしれない。

「てかロープ固っ。何してこんな捕まったの?」

 綺新の悪態に康峰は状況を思い出す。

「それだ! 聞いてくれ、鵜躾。いま町が危険なことになってる。学園長はここに禍鵺を集めて隠してたんだ。それをさっき一斉に解き放った。今頃町にはあの化物どもが向かってるはずだ」

「……マジ?」

 綺新の手が思わず止まった。「それちょっとヤバ過ぎじゃね?」

「ああ、ヤバ過ぎる。一刻も早く止めないと洒落にならない」

「止めるって——どうやって?」

「それは……」

 何も考えつかない。

 だが、放っておくこともできない。

「ともかく、まずはここを脱出することだ!」

「分かってるって。もうちょっと待ちな」


 びりびりと音を立ててロープが剥がれた。

 ようやく康峰は久しぶりに手足を動かせるようになる。手首を揉みながら立ち上がった。少し足がふらつく。

「そういえばチチ——早颪さおろしは?」

「いまチチ子って言った?」

「言ってない」

「やっぱそーゆう目で見てたんだね。キモ」

「い、いいから教えろよ、あいつも来てるのか?」

「外いるよ。バイクで来たから、周り見張ってる」

「そうか……よし、さっさと合流してここを出よう」

「オッケー」

 ふたりして廊下に出る。暗い廊下を、綺新の持つペンライトの明かりを頼りに外へ向かった。

 が——うまく走れない。

 ただでさえ長時間拘束されていた上に、思えば昨日から歩き通しで疲労が祟っていた。元々病気の康峰には荷が重すぎる。すぐに足が縺れ、酔っ払いのように壁に凭れかかる。

 綺新は少し先へ行っては振り返って待つ。何も言わないが、じれったそうな面倒臭そうな視線を感じる。いくら綺新が訓練を積んだ生徒とはいえ、年頃の少女にこのザマでは何とも情けない。白化病の康峰にとって初めての経験でもないが。

 何とかして勝手口から外へ出た。

 建物の正面、アスファルトの歩道に出る。

 ここに来るとき閉まっていたシャッターは空いたままだ。空になったコンテナが見える。あそこに禍鵺が詰め寄せていたと思うと改めて空恐ろしい。

 綺新はきょろきょろと辺りを見渡した。

「チチ子、いないの? あいつどこに——」


 不意に、眩いライトが視界を白に染めた。

 咄嗟に康峰は目を閉じ顔を背ける。強い光がふたりを正面から照らしていた。少しずつそっちを見ようとした。

 自動車のライトが少しずつ近付いていた。

——まずい。

 そう思うが今更逃げも隠れもできない。

 やがて車体が止まり、ドアを開けて男が数人降りてきた。


「つくづく厄介なことをするのが好きなようだね、軛殯くびきもがり君」


 雑喉用一が呆れたように言いながら近づいてきた。



 

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