第三幕 真夜中のカップ麺 ②
がちゃり、と音を立てて玄関の扉を開ける。
向こうには予想通り青い制服に身を包んだ少年が興奮した様子で立っていた。
「おい、ここに誰か来なかったか⁉」
青色生徒会の男だ。顔に見覚えがある。
こんな非常識な時間帯に叩き起こしておいて——実際には
先達は努めて冷静に首を左右に振った。
「何かあったんですか?」
「何かどころの騒ぎじゃない、殺人バットだ。奴がこの近くに逃げてきてる。俺たちがさっきそこまで追い詰めたが、見失っちまった」
「はぁ」
先達は驚きも怯えもしない気の抜けた返事をする。
普通なら違和感を覚えそうなものだが、それどころじゃないのか、それとも余程観察力がないのか。目の前の青色は先達に特に注目もせず、部屋のなかを覗き込んだ。
当然そこに目当ての殺人バットはいない。片付いた無人の部屋が広がるだけだ。
「ここに来てないだろうな? 隠すとただじゃ済まんぞ」
「隠しませんよ。そんなことして何のメリットがあるんですか?」
「この辺りの部屋に飛び込んで行ったと思うんだが……」
男はぐっと身を乗り出して玄関に足を踏み入れた。
「なかを調べさせてもらうぞ」
「構いませんけど、そんなことしてる間に遠くまで逃げられるんじゃないですか?」
先達の言葉に踏み出しかけた足がたじろいだ。
「……くそっ、分かった分かった。もし奴を見かけたら連絡しろよ!」
男は先達を指さしてそう怒鳴ると、返事も待たずに走って去って行った。
その背中を見送ってから先達は扉を閉めた。
鍵を掛け、室内に戻る。
「……よく庇う気になったな」
玄関から死角になる壁に背を預けて、話を聞いていた
先達はそっちを見る。
煉真は先達の態度次第でいつでも飛び出せそうな体勢を取っていた。
「別に。庇ったつもりはないよ。面倒に巻き込まれたくなかったから」
「俺を匿ったほうが面倒じゃねえか?」
「だったら、早くここから出て行ってくれよ。僕も早くひとりになりたいし」
煉真はじっと先達を見る。
「……まだ青色が外をうろついてる。いまは無理だ」
「《
殺人バットが《冥殺力》を使えるのは割と周知の事実だ。
煉真が殺人バットなら、それを使えるのかと思ったが——
煉真は鼻でふん、と笑う。それから右手を出し、拳を握った。
そこから僅かに漏れた炎は、見慣れた赤い色——《
「《冥殺力》は使えねぇ。俺があれを使えるのは殺人バットのときだけらしい」
「……自分の意志ではなれないの?」
今更先達はそんなことを訊いた。
思えば彼はあの《殺人バット》なのだ。先達に人格がどうとかそういうことはあまり分からない。殺人バットと煉真が同一人物であり、また別人であると言われてもピンとこない。だが何であれ彼がこの場で殺人鬼に豹変しないとも限らない。
そう考えると本当に今更だがよく匿ったものだ。普段ならきっとこんなことはしない。
だが幸いと言うべきか、煉真は首を左右に振った。
「無理だな。あいつはあの一件以来出てきてねぇ」
あいつ、というのは殺人バットの人格のことだろう。
「何で?」
「知るかよ。俺が自覚したからじゃねえのか、多分? もう自分が幻覚だって分かっちゃ表に出てきにくいんだろ」
「……そういうものかな」
煉真の声は半ば自分に言い聞かせているような気もしないではなかった。だがいまは頷くしかない。
話を逸らすように煉真は大きく舌打ちした。
「くそっ、あいつにはムカつくが、《冥殺力》だけは置き土産に残しておいてほしかったぜ」
それはいかにも煉真らしい発想に思えた。
思えば煉真は学園に通っている頃から《冥殺力》を欲しがっていた。
しかしそれだけ渇望して得られなかった力を、実は自分の別人格が使っていたなんて——
何とも皮肉過ぎる気がした。
「まぁ、すぐに出て行けないって言うんなら」先達は玄関脇の物入れの前にしゃがみながら言った。「何か食べて待つ? 何も食べてなさそうだし」
ここにはインスタント麺や保存食が入っている。それを引っ張り出した。
「ああ。正直助かる」
先達は頷いて薬缶で湯を沸かし始めた。
その間にカップ麺も用意をする。
煉真は無言で先達を見ていた。
何か言いたげな視線に、先達は訊いた。
「どうかした?」
「お前、何か変わったか?」
先達はその問いの意味が分からず眉を寄せた。
煉真が言葉を続ける。
「いまの青色との喋り方、別人かと思ったぜ。お前、そんな嘘とか得意じゃないだろ? あいつがさっさと出て行ったのもお前に嘘吐いてる感じがなかったからだぜ、多分」
確かに、先達は嘘が苦手だ。何なら本当に煉真を匿ってなくたって不審な態度を取ってしまい、あらぬ疑いを掛けられる——それがいつもの自分とさえ言える。
そう言われると自分でもどうしてあんな態度が取れたか分からない。
返す言葉がすぐには出てこなかった。
「……疲れてるから」
呟くように言った。
実際、早く横になりたい。眠れる気はしないけど。
納得したのかしなかったのか、煉真はそれ以上何も突っ込んでは来なかった。
黙ってふたりで薬缶が沸騰するのを待った。
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