第二幕 業 ④

 


「頼むから何も言わないでくれ」

 康峰が言葉を取り戻すより早く、目の前の男は言った。

 いつか聞いたあの科白を繰り返すように、静かな声で。

「きみの言いたいことは概ね察しがつく。何を考えてるんだ、とか、いますぐやめさせろ、とか——そんな具合だろう?」

「違う」

 康峰はようやく乾いた声を発した。「自分が何をやってるか分かってるのか、あんたは?」

「なるほど」

 雑喉ざこうの煙草から灰が落ちた。

 床に落ちた灰を追うその視線は、一体何を考えているのか想像もつかない。


 コンテナを出た禍鵺マガネは火滾率いる男を狙って前進を始めた。

 男たちはバイクに乗って彼らを挑発しつつ誘導する。そうして連中はこっちに目をくれることもなく、建物の外へと歩み出して行った。既に火滾かたぎりたちの姿は見えない。

 そして奴らが向かった先は——


 康峰は視界が揺れるのを覚えた。

 いつもの体調不良ではない。いま起きていることを理解し、次に起こることを予想しようとしただけで眩暈を覚える気分だった。

 このままでは、本当に取り返しのつかない事態になる。

 何としても止めねばならない。阻止しなければならない。それなのに。


「分かっていないのはきみの方だよ。軛殯くびきもがり君」

 雑喉は場違いなまでに落ち着き払った声で言った。

「きみは以前私がした島流しの話を覚えているかね?」

 唐突に彼は奇妙なことを言い出した。

 康峰が眉を顰めるのに構わず続ける。

「まぁ聞いてくれ。あれには続きがあってね。古老の話を聞かされて私なりに興味を持ち調べてみたのだよ。なぜこの島に禍鵺の伝承が生まれたか。本来ぬえとは無関係のこの絶海の孤島で、どうしてそんな化物が生み出されたか。何か理由があるのではないかと。ただ鵺の異名を持つトラツグミがこの島にいる、それだけが理由なのか」

「それが何だ?」

 雑喉は大袈裟に首を振って見せた。

「残念だな、きみにはもう少しこう、ロマンがあるかと思ったのだが。教師を務めるならもう少し想像力を働かせてほしいものだね。この歴史の符牒に気付かないかね? ——鵺はその鳴き声を恐れられ討伐された。別に直接誰かに危害を加えたという伝承はひとつも残っていないのにだよ。不思議だと思わないかね? ただ不気味だ、恐ろしげだというだけで殺されるなんて? それはまるで、反逆や謀反の兆しありとして流謫るたくの憂き目に遭わされるようだと思わないかね?」

 ぴりっとした何かが脳内を駆け抜けた。

 彼が言おうとしていることが分かった。

「そう……私はね、この四方闇島よもやみじまに禍鵺の伝承が生まれた理由はここが島流しの地だったことに由来すると思っている。鵺とはときの貴族の隠喩。直接その名を出すことを憚った古人はこれを怪異に喩えたのではないか。そうすると禍鵺とは——他ならぬ人間の怨霊と言えないかね。無実の罪を着せられ非業の死を遂げた古人の怨念がこの島に渦巻き、復讐の機会を伺ってきたんだよ。そしてそれは」

 康峰の目を覗き込んで男は言った。


「同じように不条理な運命に翻弄された鴉羽学園の生徒たちに引き継がれている——」


「……それが歴史の符牒だって言いたいのか?」

 康峰は身を乗り出した。

 固定された腕や足が軋んだが、構わず怒鳴った。

「あんたは間違ってる。そんな理由で島の人を、何の罪もない人を巻き込んで許されると思ってるのか? 他の生徒たちだって無事じゃ済まないぞ!」

「赦される赦されないの問題じゃない。結局これは起こるべくして起こる事態だったということだ。私がしなくても必ず誰かがやった。いまじゃなくてもいつか必ずこうなった。避けられないことなんだよ。この島にはそれだけの《ごう》がある」

「頼む、止めてくれ学園長、いまならまだ——」

「引き返せる?」

 康峰の言葉を引き取った雑喉は低く笑った。

 その指先から煙草の灰がぽとりと落ちる。


「今更引き返す道などどこにもないよ。私にも——きみにもね」


 禍鵺の不気味な声が闇夜に響く。

 康峰の額に冷や汗が滑り落ちた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る