第二幕 業 ③

 


 雑喉ざこうがポケットから煙草を取り出すと一本銜える。

 火をつけ紫煙を巻き上げた。

「それにしてもよくここが分かったものだね。尾けたのか?」

「あ、ああ。殺人バットの事件を追っていてあんたを見つけた」

 康峰は紫煙に噎せそうになりながらも答えた。

「余計なことを……あれは灰泥煉真の犯行だ。それ以上に何かあるかね?」

「知っていたのか、あいつの二重人格を?」

「まぁ、察しはついていたというところかな。火滾かたぎり真近まさちか——いま去った男だが、あれを介して灰泥煉真の住居を融通してやったのは他でもない私だ。すべてではないがあいつらの動きは把握していた。あいつが殺人バットだったとしてもことさら驚きはしない」

「住居を融通してやった——?」

「ああ。奴だけじゃない、いま去った連中みんなにな」

「……何のために?」

「私が慈善事業でもしているように見えるかね? すべて今日の計画のためだよ。火滾を介して天代守護や使徒に不満を持つゴロツキやそれに似たような連中を集めて飼育・・した。灰泥煉真もそれに使うつもりだったんだが、まさか直前であんな事件を起こすとはねぇ」

 雑喉は煙草を吸いながら言う。

 まるで世間話でもするような口調だ。

 康峰はその顔を睨みながら言った。

「学園長、あんたは一体何をしようとしてる? あのコンテナにいるのは何だ?」

「ふん、ここまで見て、ここまで聞いて分からんかね? 意外と察しの悪い男だ」

 不意にバイクの排気音が響く。

 ゴロツキたちが各々自分の武器を持ち、バイクに跨り出していた。無遠慮で不快な轟音が鳴り響いていた。

 どんな計画にせよ、いまの雑喉の話が本当なら余程入念に時間を掛けて練った計画なのは間違いない。それだけに康峰はその全容が明らかになることに恐怖を覚えた。それでも聞かずにいられなかった。

 いや——

 ここまで聞けば、康峰にも思い浮かぶものはある。

 康峰は声を落として言った。


「……天代守護を、襲う——のか?」


 ぐふっ、と噎せるような、笑うような声を雑喉が漏らした。

「ご名答。やっぱり分かってるじゃないか」

 何のために——と康峰が訊くより早く、雑喉はひとりでに語り出した。

 その声は怒りと憎しみで震えていた。

「きみも見ただろう? あの天代あましろの娘の舐め切った態度を。大人を何とも思っておらん。この私に首輪を嵌め、大勢の前で恥を掻かせ、使いっぱしりのように毎日雑用を押し付けおって。自分の力では何もできん小娘の分際で。いい加減我慢の限界だよ」

 小娘——天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろのことだろう。

 康峰はかつて全校集会での彼女の雑喉に対する振舞いを思い出す。

 雑喉が続ける。

「他の天代守護の連中も似たようなものだ。使徒の権威を笠に着て偉そうな顔をしているだけの、臆病で卑怯な連中さ。巻き添えを食っても仕方あるまい。恨むならあの娘を恨むことだな」

 吐き捨てるように言って再び紫煙を吸い込んだ。

 康峰は黙り込む。

 康峰も彼があの青色生徒会会長にこき使われているのは見ている。不満は確かにあっただろう。だが、その憎悪がここまでとは——


 しばらくの沈黙のあと。

 不意に、雑喉が可笑しそうに噴き出した。

「——なんてね」

「え?」

「本気だと思ったかね? 私の演技力もなかなか捨てたもんじゃないらしい。ゴロツキどもならともかく、きみまで騙せてしまうとはね。それとも、意外ときみがお人好しなだけか?」

「演技だと?」

「ああ。確かにあの小娘にはほとほと手を焼かされる。だが言われるままやっていればこの学園のトップとして地位と安全を保障されるんだ。他の連中より少しはいい暮らしもできる。たいした苦でもないさ」

「……火滾たちにはいま言ったようにして騙したのか?」

「もともと天代守護やあの娘に反感を持っている連中だ。たやすく信じたよ」

「何のために、そんな嘘を? 本当の目的は何なんだ?」

 雑喉はわざとらしく肩を竦めた。

「さぁね」

「さぁね? 知らないって言うのか?」

「聞かされてはいないね、舞鳳鷺嬢からは」

「ちょっと待て」

 康峰は身を乗り出した。「この計画の首謀者は天代弥栄美恵神楽舞鳳鷺本人なのか?」

 雑喉は無言で煙草を吸っている。

 だがその態度は康峰の言葉を肯定しているのも同じだった。

——何のためにあいつが天代守護を——?

 理解できない。自分の手で自分の家を攻撃させるような真似だ。

 あの高飛車で我儘なお嬢様は一体何を考えているんだ?


 火滾が男たちに何か指示を出している。

 コンテナはなかから揺れていた。

 雑喉が言った。

「目的は直接聞いてないが、おおよそ察しはつく。あの娘の性格を考えるとね。ひとつはあの連中を騙して巣穴から引っ張り出し、一網打尽に始末することだろう」

「始末?」

「あんな連中でも人間だ。ゴロツキというだけの理由で処罰することはできん。だが天代守護を襲い、自分たちの身を危険に晒したとなれば話は別だ。正当防衛じゃないが、勢い余って殺してしまっても使徒も目を瞑るだろう」

「それだけの理由で——」

「ああ、普通ならそこまでしないだろう。だが、あの舞鳳鷺嬢はな、ああいう連中が我慢ならんのだ。同じ地上で同じ空気を吸っているのも汚らわしいと思っている」

 康峰は怒りより恐怖を覚えた。

 いまや使徒を囲い、世界有数の企業となった天代弥栄美恵神楽家。その一人娘の、常人には理解の及ばぬ価値観に。

 ふと、康峰は疑問を覚えた。

「だが、あいつらも馬鹿じゃない。いや、馬鹿かもしれないが、まともに喧嘩を仕掛けて天代守護に勝てると思うほど馬鹿じゃないだろ? 特に青色が駆け付ければ《冥殺力めいさつりき》で益々勝ち目がない。どうやってあいつらを焚き付けた?」

 《冥殺力》は人間相手に特効の戦闘力を付与するものだ。もともとこうした事態を鎮圧するためにも青色生徒会にのみ与えられている。そのことを知らない奴らでもあるまい。

 雑喉がこともなげに答える。

「簡単なことだ。嘘の情報を教えた」

「嘘?」

「私は鴉羽学園の学園長として天代守護の内面にも精通している。何せあそこの連中には学園の卒業生が大勢いるからね。懇意にしている元生徒から極秘情報を引き出すことも出来る。例えば——表向きは警備がある日でも、実はサボってパーティーを開いている日に、いきなり襲われたらどうなる?」

「……だがその計画は天代守護に筒抜けなんだな」

「その通り。ゴロツキどもは寝首を掻くつもりで虎の穴に飛び込んでいくわけだ。穴の奥じゃ虎が牙を研いで待ち侘びてるとも知らずにな」


 がちゃん、と金属音が響いた。

 コンテナの扉が開錠された。男たちは鉄の檻から離れる。

 暗闇のなかで、封印されていたものが少しずつ踏み出そうとしていた。


「……だが、それだけでは不十分だ」

 雑喉は指先の煙草の火を見つめながら独り言のように呟いた。

「天代守護だけでなく青色生徒会がいる。きみが言う通り彼らの《冥殺力》が脅威なのは火滾たちは誰よりも知ってると言っていい。だから一時的に青色を《無力化》させる必要がある。《冥殺力》で倒せない相手によって、青色の足を封じる必要がある」

「どういう……意味だ」

 康峰は上ずった声で言った。

 本当は既にその意味するところを察し始めている。

 いや。察するも何もない。

 最早それは康峰の視界に現れようとしているのだ。

 コンテナから出てきた大きな体。黒ずんだ肌に、頭から生えた鬼のような角。身長は優に二メートルを超え、手足は丸太のように太い。そして顔面には面布のような白い仮面。


「繧Дke☆7——」


 そいつの後ろからまた別の仮面が闇に浮かび上がる。

 一体、また一体と。

 轟音とともに、シャッターが開けられた。巨大な鉄の扉が開き、月明りが化物たちの姿をより鮮明に映し出す。いつしか雨はやんでいる。


「行くぞお前ら! 祭りの始まりだあぁぁぁ!」


 火滾の叫びとともにバイクが一斉に走り出した。

 禍鵺マガネの群れが、男たちを追うように建物の外へ歩き出した。


 

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