第二幕 業 ①
その翌日。
相変わらず鬱陶しい雨が降り続けている。
傘を傾けて見るアパートはいかにも古びた印象だった。きっとこの島に
煉真が住んでいた部屋の前にはひとりの男が腕を組んで立っている。服装からして
——それもそうか。
三日前煉真が殺人バットであることは公衆の面前で明らかにされたのだ。その彼のアパートが天代守護によって家探しされ、見張りを立てられているのは当然だ。
そしてそんなことが分からないほど煉真も馬鹿ではない。
恐らく事件の後ここへは一度も戻ってきていないだろう。
部屋のなかを見せてもらえたとして、今更目ぼしいものが見つかるとも考えにくい。どうやらここへ来たのも無駄足だったらしい。
それでもアパートの周囲をしばらく
仕方なく康峰はアパートから離れて行った。
——弱ったな……
これ以上、何をどう調査したものか。
昨日病院を出た康峰はその後学園に戻り、例のデータベースを再び調査した。灰泥煉真、
そして今日、康峰は事件に関係する場所を回った。
三日前、煉真——殺人バットが現れた噴水広場近くの
同時刻衿狭が殺人バットに扮して出現した学生寮近くの道路。
だが、既に天代守護が虱潰しに調査したそれらの場所にも手掛かりらしいものは落ちていなかった。こうなるといよいよ打つ手がない。
煉真はいまどこで何をしているのか。まだどこかで逃げ回っているのだろうか。たったひとり、この雨のなかを。
そう思うと少なからず心配にならずにはいられない。
彼と一緒にいるときにもう少し話を聞けていればよかった。
先達たちの話によれば自殺した七星は煉真にいじめられていたらしい。煉真は七星の自殺は自分が原因だと思い、学園からも学生寮からも姿を消した。七星と仲の良かった衿狭が猫工場で彼と遭遇したときとても冷徹な態度だったのも、同じ認識でいたからだろう。
だが——康峰はどうも腑に落ちない。
確かに煉真は粗暴で身勝手な奴かもしれない。だが、それでも女の子をいじめるようなタイプとは到底思えない。
そもそも彼女の自殺を自分の所為と考え、自責の念に駆られるような奴が本気でいじめをしていただろうか。
一体煉真は何が理由で七星をいじめたのか——或いは、そう見えるような言動を取っていたのか。
火のないところに煙は立たないという。噂が全くの事実無根とは思えない。何かしら煉真は七星にやっていたのは確かだろうと思う。煉真自身が「俺は人殺しだ」というふうなことを言っていたのもその推理を手助けしている。
——推理か……
康峰は自嘲するように笑った。
名探偵の真似事なんてガラじゃない。それなのに教師に続いて今度は探偵の真似事をしている自分が少し可笑しかった。
が、すぐに表情が固まった。
前方に見覚えのある影が横切ったからだ。
——
相変わらずの肥満体、嘘っぽい頭髪は遠目にもすぐ分かった。
声を掛けるべきかと思ったが、康峰は黙って彼の後を追った。何とも言えない不審な様子を感じたからだ。
康峰は傘で顔を隠しつつ、十分な距離を取って男の後を尾けた。
雑喉とは数日前の男子トイレ前の事件以来会っていない。多忙なのか、またあの
その学園長が一体こんな時間にこんな場所で何をしているのか——
気になるのも無理はない話だろう。
雑喉の足はどうやら港の方へと向かっている。
港付近には貨物を扱う倉庫等の建物が犇めいている。なかには使われなくなったものも多いようだ。禍鵺襲来後、放置されたそれら建物は廃墟と化し、夜更けに近づくには躊躇われる陰影を落としていた。
次第に周囲には雑喉と康峰以外歩く者もいなくなった。
康峰は足取りを遅くして更に距離を開ける。
潮の香りが海の方から漂ってくる。
夜の海は空との境界さえ曖昧だ。
不気味さに思わず唾を飲んだ。
やがて、雑喉の足が止まった。
大型車両も入れるガレージの付いた建物の前だ。雑喉はシャッターの下りたその正面を通過し、建物横の勝手口のような扉を開けてなかに入って行った。
康峰はこれ以上追跡を続けるべきか躊躇した。
建物のなかに入るとなるといままでと話が違う。見つかった際に言いわけができない。そもそも、何か事件に関係ある保証もない。
だが——
——ここには何かある。
そんな直感を信じることにした。
雑喉が入ったのと同じ勝手口から建物のなかへ——
とその前に、懐から無線機を取り出す。
病院にいるはずの鬼頭員敬が持つ無線に発信する。
万一の場合のことを考えて誰かに所在を伝えておきたかった。それに鬼頭ならばもしかしたら学園長について何か知っている可能性がある。
——これが遺言になったりしてな……
そんな軽口を内心嘯きつつ、無線に小声を発した。
「もしもし。夜分遅くにすみません。鬼頭先生、起きてますか?」
しかし返答はない。
闇に空しく康峰の声がこだまするばかりだった。
——もう眠ってるか?
そう思って断念しようとしたとき、向こうから反応があった。
『も~~~うるさぁい。だぁれ~~?』
…………え、誰だ?
急に鬼頭がキャラを変えてきたとは思えない。何より思いたくない。と言うか、声が全然違う。この寝惚けたような声は——
「——
『ぴんぽーん。ところでどちら様?』
『ちょっとチチ子、勝手に出ないでよ!』
続けて聞き覚えのある声が割り込んできた。無線の向こうで揉み合うような音がしばらく続く。
「
『なに、センセーじゃん? どしたの』
早颪夢猫に代わって鵜躾綺新の声が言った。
「どうしたはこっちの科白だ。俺は鬼頭先生の無線に掛けたはずだが」
『そぉ? じゃ間違ったんじゃね?』
「馬鹿言え。そもそも俺はお前の無線のチャンネルなんて知らないぞ」
『適当に間違えたらあたしに繋がったってこと? わお、奇跡じゃん。運命?』
「また盗んだのか」
『ちょちょちょ、人聞きの悪いこと言わないでよ。これはアレ、廊下であの鬼ダルマが落としてたから拾ってあげてー、あとで返そうと思ってただけじゃん。そうに決まってんじゃん』
いけしゃあしゃあと無線機の向こうの少女は言う。
疑わしい。かつて康峰の財布を掠め取ったように、大方鬼頭の懐からスったに違いない。
「お前なぁ……そんな手癖悪いとそのうち本当に痛い目見るぞ」
『ん~~なことよりさ、何か用があったんじゃないの?』
「話を逸ら……いや、そうだ! 鬼頭先生はいるか?」
『いないけど。病室じゃね? 自分の』
「じゃあこの無線を——いや、それより直接伝えてくれ。俺はいま学園長を見つけて怪しい建物の前にいる。鬼頭先生なら何か知ってるか伝えてほしいんだ。場所は南の港付近の……」
康峰は建物の特徴と位置を確認して伝えた。
『ソレあたしが言うの? やだよ、この盗ッ人がぁ! って怒られんじゃん。あたしあの筋肉ダルマ苦手なんだよね』
「そりゃ当然の報いだろ。とにかく非常事態——」
月明りが消えた。
はっとして康峰が振り返るのと同時に、何者かが覆いかぶさってきた。
康峰の顔に布が被せられ、口が塞がれた。
——何だ⁉
「…………!」
抵抗に手を伸ばすが相手の腕はびくともしない。康峰の手元から無線が転げ落ちる。
『ちょっとセンセー、どしたの⁉ 返事してよ! ねえ!』
綺新の叫び声を聞きながら、康峰の意識は闇に溶け込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます