第5話 設定
その後、飛龍は不思議とせせらぎに絡んでこなかった。
あまりにも素知らぬ顔をしているので、もしかして、自分の知っている飛龍ではないのかもしれないとまでせせらぎは思い始めた。
たまたま偶然、昨日の謎の男と名前と顔が一緒の転校生なのかもしれない。そして、たまたま偶然、自分と名字が一緒だったのかもしれない。
そんな偶然あってたまるか。
とすれば、昨日のことは全てせせらぎの未来視的な予知夢的な特殊能力で、これから飛龍と出会うことを第六感が告げ、幻覚を見せていたということなのかもしれない。
もはや、何が一番真っ当な思考回路なのか、せせらぎには分からなくなってきていた。
それは、葵と約束どおり昼食を食べていた時のことだった。教室はすでに人が疎らで、部活に行く人もいれば、家に帰っていく人もいた。二人は葵の机で昼食を食べていた。そこに飛龍がやってきた。
「せせらぎ様、この後の予定は?」
「ぶっ!?」
「せせらぎ…様…?」
せせらぎはタコさんウインナを吹き出しかけた。葵は好奇心と恐怖心をないまぜにした目でせせらぎを見ていた。飛龍の方を見る勇気はないらしい。彼女は人見知りだからしょうがない。せせらぎは、どうにかタコさんを飲み込むと、飛龍にシパシパ瞬きを送った。
「お昼ごはんを食べて、そのままお家に帰ります」
どうやら、彼は昨日の飛龍本人らしい。しかし、なぜここにいるだろうか。せせらぎと同じ高校の同じクラスに。
それに、クラスの皆に自分たちの関係性をどう説明したらいい? いや、そもそも説明するべきなのか?
飛龍は昨日と変わらず淡々としている。やっぱり腹立たしい。どうして急に話しかけてきたのか。普通、こういう場合、事前に打ち合わせとかするのじゃなかろうか。普通じゃない人に言ってもしょうがないことなのかもしれないが。
「…様…?」
葵が「様」にずっと引っかかっている。今日出会ったばかりの転校生が同級生を「様」呼びしているのだ。それは不思議に思うだろう。何ならこの短い間に、せせらぎが飛龍に上下関係を叩き込んだとでも思っているかも知れない……それはないか。
葵になら昨日のことを話していいとも思う。だけど、自分でも何がなんだか分かっていないのに、人に説明なんかできっこない。せせらぎの頭の中を思考がぐるぐる駆け巡っている。
飛龍が再び口を開いた。
「では、待ちます。一緒に帰りましょう」
そう言って、横の椅子に座り、背もたれに頬杖をつく。どうして初対面の転校生と一緒に帰らなければならないのか。葵になんて説明しよう。この状況は不自然にも程がある。せせらぎの鼓動が速まった。
「もしかして、」
その時、葵が両手を合わせ、いつになく早口で捲し立てた。
「二人って親戚だったの? ほら、苗字同じだし」
反射的に「違う」と言い掛けたが、飛龍の方が早かった。
「そうだ。俺とせせらぎ様は、はとこだ」
「「はとこ?!」」
せせらぎが驚いたことに、葵が驚きの視線を向けてくる。「へへへ」と笑ってみせたが、果たして誤魔化せたかどうか。それにしても「はとこ」だなんて。
そもそも、「はとこ」とはどういう関係性だったか、聞いたことがある気はするが、さっぱり思い出せない。いとこより遠いのは分かる。それ以外は分からない。そんな状態で、どうやって飛龍と話を合わせたら良いのか。葵がもし「はとこ」検定上級者だったら、すぐにこの嘘はバレてしまう。
そこまで考えて、せせらぎは非難がましく飛龍を睨みつけた。それに対し、飛龍は何か策でもあるのか、無言で頷いた。
「俺の母親がせせらぎ様の父親といとこで、」
(「はとこって親同士がいとこなんだ…!」)
せせらぎは少し賢くなった。それにしても、いけしゃあしゃあと嘘を言ってのける。せせらぎの両親に兄弟はいない。今、身内と呼べるのは、あの家の本来の家主である母方の祖母だけだ。さすがにそこまで込み入った親戚事情を葵と話したことはなかったけれども。
葵は飛龍の話にふんふん頷いていた。飛龍と目が合った瞬間慌てて逸していたのが、なんとも彼女らしかった。
「俺の両親がこの春から海外転勤することになって、それで、俺はせせらぎ様の家に住まわせてもらうことになった。あの家は広いし、いくら今が平和な世とは言え、女の一人暮らしは危険だからちょうど良い、とそうなった。そして俺も、今日から、ここ夏成高校に通うことになったというわけだ」
「
「一緒に住んでるの?!」
葵と同時に思わず叫ぶ。婚姻前の不純異性交遊。そう思われかねないとんでも失言。実際、葵は頬を赤らめている。親友のとんだ破廉恥ぶりに困惑しているに違いない。
終わった。
このことがクラスのみんなに知られたら、今まで築き上げてきた自分なりの小湊せせらぎ像が呆気なく瓦解する。そんな大したものでは無いけれど。でもまだ自分はそれを許容できない。無実の証明はとても難しい。こうやって冤罪は起こるのだ。せせらぎはかなり追い詰められていた。そして、追い詰められた人間は無駄に饒舌になる。
「そう、そうなの! 一緒に住むことになったの。私からしたら迷惑甚だしいんだけど、おばあちゃんがどうしてもって言うから、しょうが無いよね」
「あの家のおばあちゃんって、お母さんの方のおばあちゃんだって言ってなかったっけ…?」
そう、葵の言う通り。葵は記憶力がいい。頭も良い。性格も顔も良い。非の打ち所がない唯一無二の親友である。父方のはとこと母方の祖母との接点なんて普通はそうそうない。
「昔は小湊家と山野家でしょっちゅう集まってたからさ。おばあちゃんも飛龍のこと、それは可愛がってたもんね〜」
そう言って飛龍に同意を求める。目の笑っていない笑顔を添えて。飛龍はさもありなんとばかりに深く頷いた。昔、両家が集まっていたのは本当だ。両親と両親の親、せせらぎからすれば両家の祖父母。せせらぎが生まれてからはイベント毎に集まっていたらしい。正月、花見、夏祭り、紅葉狩りにクリスマス…。それも、あの事故までの話だ。
葵も事故のことは知っている。一瞬しまったという顔をして、持っていたハムサンドをぎゅっと握りしめていた。そんなに気を遣う必要はないのに。どうしたって事故のことを忘れることは出来ないし、結局日常から悲しみを切り離し切ることも出来ていない。
せせらぎはへらりと笑ってみせた。
「
「えっ、いや、私は、何も…」
葵は耳まで真っ赤にしてハムサンドから飛び出たハムをはむはむしている。いったいどんなことを想像していたのか。そんなに動揺されるとこっちの方が恥ずかしくなる。
しかし、これで覚悟は決まった。せせらぎと飛龍は「はとこ」である。そういう設定だ。止む無く今はルームシェアをしているが、何もやましいことはない。断じてない。これで行くしかあるまい。
「ちなみに、」
唐突に、飛龍が口火を切った。真面目な顔で二人を見ている。
「ちなみに、俺がせせらぎ様のことを様付けするのは、昔、親戚の集まりで行われた王様ゲームとやらに負けたせいだ。それ以来、せせらぎ様と呼ぶことを生涯強要されている。そして、俺の両親は海外転勤しているといったが、行き先は
「これ以上盛るな!!」
せせらぎは飛龍を廊下へ追い出した。どうせ、せせらぎが出てくるまで待っているのだろう。ため息をつきながら席へ戻ると、葵がはにかみながらこちらを見ていた。なんだろうと思いつつ、軽く謝る。
「なんかごめんね。変なやつでしょ、飛龍って」
ううん、と葵が首を振る。はにかむその顔はなんだか嬉しそうだ。
「せせらぎちゃんがあんなに心を許してる人、初めて見たかも」
「えー、いやー、うーん?」
「飛龍くんきっといい人なんだね。私も仲良くなれるよう頑張るね」
「うーん…?」
飛龍に心を許している?
遠慮がいらないというのはそのとおりだろうが、それは、遠慮をしていると、どんどん飛龍のペースに持っていかれてしまうからだ。なんといっても飛龍は強引。人を主と言いながら、全く言うことを聞こうとしない。
玉子焼きを頬張ると、甘くて驚いた。どうやら塩と砂糖を間違えたらしい。再びため息が出てしまう。これから苦労することになりそうだ、そんな考えが頭を過ぎった。
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