エア・品質管理
音楽の世界では、エア・ギターと呼ばれる演技がある。ギターを弾いているようで実は弾いていない、そんな演技だ。演奏していないのにあたかも演奏しているかのように見せる、高等技術である。
品質管理の現場にも、ときどきエアを披露する者があらわれる。製品の仕様書に目を通し、製品動作を確認し、不具合を見つけて報告する。これらの各工程でエアを披露する「エア・品質管理」だ。やっていることは「品質を管理していない」である。エア・ギターと異なり高い技術はいらず、誰にもよろこばれない無用の技だ。
エア・品質管理はすぐに見破られそうなものだが、バレずにやりとおせる確率は案外高い。開発者の技術力・精度が高ければ高いほど、そもそも不具合が生じないからである。たとえ製品を検査していなくても、不具合がない、の事実に変わりはない。本人が『検査した』と言い実際に不具合がなければ、問題として取り上げようがないのだ。しかし、世の中そうはいかない。エア・品質管理はいつか必ず知られ、取り返しのつかないほどに大きく信用を失う。
エア・品質管理の最大の恩恵は、自分がラクをできるところにある。ラクをして稼げるのなら、と実行する者は少なからずいる。しかしその逆、最大のリスクを理解したうえでエアを実行する者は、おそらくいない。エア・品質管理が抱える最大のリスクは、信用にかかわる。信用の得かた、失ったときに陥る状況、重要性を本当に知っているのなら、エアがどれほどハイリスク&ローリターンな行動であるかは言うまでもないだろう。
たとえば、生後間もない愛しい我が子を託児所にあずけたとする。もしも、託児所のスタッフが保育をせず、適当に我が子を扱っていたとしたら、あなたはどう思うだろうか。それでいて、しっかり料金を請求してきたとしたら、あなたはそれに納得するだろうか。お礼を言い、よろこんでお金を支払うだろうか。そんなことは、けっしてないはずだ。託児所への信用はなくなり、二度と利用しないだろう。利用しようとする友人がいれば、考え直すよう全力で止めるに違いない。託児所で生じる不具合には、最悪の場合、生命が失われる可能性すらあるのだ。
開発者にとって、自らが手がける製品は我が子も同然である。世の中に出て誰かの生活の一部になり、誰かをしあわせにする。これこそが、製品が生み出される理由であり、たどり着きたいただひとつの終着点だ。そして、その道のりをよきパートナーとして支えるのが、品質管理の使命である。道程を単独踏破する強靭な開発者ばかりではない。支えてくれる者がいる安心感は、なにものにもかえがたい。
品質管理に演技力は不要だ。製品にかかわるすべての人のしあわせを想像し、誠実に使命を果たしてほしい。見せかけの品質管理を望む者など、この世にひとりとしていないのだから。
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