第40話 「喧嘩」

 微かにライサは声を漏らした。疑問の声だったのか、悲鳴のようなものだったのかは分からない。

 ザックの話には現実味がなさすぎて、ライサは指先一つ動かすことができない。


『おれは赤ん坊の頃、氷龍から呪いを受けた。自分の周りのあらゆるものを、自分もろとも凍らせてしまう呪いだ。呪いはおれの自業自得だったんだけど、それを炎龍が、自分の魔核をおれの体の中に埋め込むことで助けてくれたんだ』

 ニーナのばあちゃんたちも、知らないことだと思う。おれもある出来事がきっかけで偶然知ったんだ。

 ザックは静かな声でそう続けた。


『シャトゥカナルに預けたのは、おれの体の中にあった魔核だ。そりゃ、炎龍に会って交渉できるのが一番良いんだろうけどさ、簡単には会えるわけがないし、その間にシャトゥカナルの魔核が限界を迎えたら困るだろ?』

 ザックは力を抜くようにして、吐き捨てるように呟いた。


『それに、おれの家族や村の人は、おれの呪いのせいで死んじゃったんだ。だから、おれが魔核を譲って、ライサの大切な故郷やスノダールのみんな、ライサ自身を救えるんだったら、それでちょっとは償いになるだろ?』

 そんなことない。償いなんて、そんなことしなくて良い。ライサの叫びは音にならず、唇から喘ぐような息だけが漏れた。


『魔法具の隣に置いてあった袋、中身はもう見たか?』

 ライサは首をゆっくりと動かし、机の上へ視線を滑らせる。魔法具をそっと置いて、代わりに隣の袋を手に取った。

 紐を緩めて中身をそっと開けると、柔らかい臙脂色の布が入っている。


『その外套、おれが縫ったんだ。所々いびつでちょっとカッコ悪いんだけどさ、ライサが少しでも寒くないようにって、頑張って作った』

 広げると確かに外套だった。薄いのに温かい。大きくてすっぽり身体を覆ってくれそうだ。

 嬉しい贈り物なのに、素直に喜べるわけもない。


『ライサ。多分ライサも、少しはおれのこと好きでいてくれてたって思っても良いよな? 嘘でも良いからなんて困らせるようなこと言って、祭りの後夜祭の儀式も一緒に出来なくて、本当にごめん』

「なによ……謝るくらいなら! あやまる、くらいなら……」

 ずっと一緒にいてくれれば良いじゃない。

 ライサの声は、自身の嗚咽にかき消されていく。ここにいないザックの声は、穏やかに優しくライサにそっと呼びかける。


『ライサ。おれは例え凍りついてしまっても、ライサのことがずっとずっと大好きだ。愛してる。だから、どうか』

 君がずっと幸せでありますように。

 その声を最後に魔法具は沈黙した。


 ライサは外套を胸に抱いて、その場に崩れ落ちる。どうして、どうして。呪いだなんて、どうしてザックが。

「ザックが死んじゃう……? この世界からいなくなるの?」

 ガタガタと全身が震える。外套の端を握りしめた拳は、真っ白だ。

 ザックがいなくなってしまう。もう二度と手の届かないところに。やっぱり私の大切な人は、私を置いていってしまうのだろうか。でも、ザックは私を、「愛してる」と言ってくれた。言ってくれて、いるのに。


「こんな風に、『愛してる』なんて、聞きたくなかった……!」

 流れ落ちる涙が、抱いた外套に濃いシミを作った。外套も魔法具なのか、室内が冷えていてもほんのりと温もりを持っている。

 けれど、こんなものじゃ、ライサの体はちっとも温かくならない。こんなものが、代わりになるはずがない。


 ザック自身に抱きしめてほしい。いや、抱きしめてくれなくたって、彼が傍にいてくれるだけで、ライサの心はいつも温かかった。

 ザックと離れたくない。嫌だ、絶対に。

 まだ彼に私の気持ち、伝えられてない。

 私は、こんなにもザックのことが。


「好き」

 言葉と一緒に、大粒の涙が瞳からこぼれ落ちた。ライサの想いが一気に溢れ出す。

 そう、私は彼のことが好きだ。暖炉の火のような温かい髪や瞳も、自分の体をすっぽりと覆ってくれる腕も、大きな手のひらも。ちょっと子どもっぽくて大雑把なところも、真っ直ぐなところも、自分を好きと言ってくれる優しさも、全部。

 でも、ザックはここにいない。自分の声も気持ちも届かない。



 どのくらいの時間が経っただろう。暗い部屋でライサは手の甲で涙を拭い、そのままふと自分の手のひらを見つめる。

 指が細長くて、全体的にゴツゴツしていて少しかさついた手のひらだ。手袋をはめるようになってから少しはマシになったけど、おせじにも綺麗ではないから、あまり好きにはなれなかった。けど。


『おれはライサの手、好きだなぁ。ライサが必死で仕事をして、生きてきた証だろ? 立派だと思うよ』

 ザックがそう言ってくれてから、自然と誇りに思えるようになった。指が短くて柔らかかった、母親と別れた頃の自分とはまるで違う。

 そうだ、ただ置いていかれるだけだった、あの頃の自分とは違うのだ。

 もう泣くな。泣いている場合なんかじゃない。


「ザックを助けて、そして伝えなきゃ……。ちゃんと話すって、決めたんだから……っ」

 ザックはちゃんと自分の気持ちを伝えてくれた。今度は私の番だ。ちゃんとお互いの気持ちをぶつけて、そう「夫婦喧嘩」をしに行こう。

 きっと、まだ間に合う。


 ライサはもう一度涙を拭うと、掴んでいた外套を羽織った。

 そして家中を駆け回り、ありったけの衣服と魔法具で防寒対策をして、念のため小降りの斧も背負う。いざとなれば、障害物を断ち切るのにも役に立つだろう。

 急がないと手遅れになってしまうかもしれない。すぐ出発しなければ。


「けど、どうやってザックを探せば……」

 ライサは部屋を出てぐるりと視線を巡らせる。棚にまとめておいていた紙の束がふと目に入り、ライサはハッと息をのむ。


「――そうだ、あの嫁入り道具……!」

 何故か嫁入り道具の一つとして贈られようとしていた、『遊び歩いて帰って来ない亭主をこっそり追跡するための魔法具』。

 あれは「導きのランタン」の応用で、追いかけたい人の持ち物を入れておけば、その人の居場所を指し示してくれる魔法具だそうだ。あれなら、ザックを追いかけられる。


 それともう一つ、彼を救うためにやらなければならないことがあった。

「許してもらえるかは、分からないけど」

 ニーナ村長たちは、自分の訪問の後すぐに出発してしまっただろう。彼女たちがそりを使ったなら、もう追いつけないかもしれない。それでも、諦めない。


 ライサは始めて二人で作った手袋をつけて、両頬をパシンと叩く。

 絶対に、彼を見つける。そして、二人でスノダールに帰ってくるんだ。

 ライサは真っ直ぐ前を向くと、急いで家を飛び出した。

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