第16話 野営

 エルグリンの森へと向かう道程は、魔物に遭遇することもなく何事もなく進む。これは単に運が良いというだけの理由ではない。人通りの多い街道沿いには、魔物避けが施されているおかげだ。そうでなければ近隣の村人や商人など、おちおち移動も出来やしない。


 とはいえそれも、魔物との遭遇を完全に防ぐ事が出来るような代物ではない。魔物は人間など恐れたりはしないし、如何に魔物避けが施されていようと、いざ遭遇すれば平気で襲いかかってくる。故に商人達が街道を通るとしても、一般的には護衛を雇う。それも冒険者の主な仕事のひとつであり、また大事な収入源のひとつとなっていた。


「今日はこの辺りで野営にしよう」


 そんな街道沿いの開けた平原で、カインは一行にそう提案した。陽も傾き始め、あと数刻もしないうちに夜の帳が降りるだろう。目的地であるエルグリンの森までは後一刻といったところだ。彼の提案は冒険者として至極真っ当なものであり、仲間たちからも反論は出なかった。強いて言うならアリスがほんの少し、近しい人間が注視して漸く気づくかどうか、といった程度に不機嫌だったくらいだろうか。


 出かけると言えば先生や孤児院の子らと近くの小さな街に行く程度で、それも殆ど日帰りの距離だった。これまで誰かと、それも日を跨ぐほどの長時間旅をしたことのなかったアリスにとって、この移動速度はあまりにも遅く感じられた。ミラの足ならば、或いは日帰りも可能だったろうに。


「そうムスっとするな、アリス。私の足で駆けたとして意味はない。新人がその日の内に試験を終えて戻ったなどと、一体誰が信じるんだ」


「わかってる」


「ならいいが。どうせ後は聖教国へ戻るだけなんだ。急ぐ必要もなし、たまには寄り道を楽しむといいさ」


 ミラにそう諭され───傍から見ればただきゅうきゅうと鳴いているようにしか見えないが───、アリスは馬車から降りて小さく伸びをする。疲労を感じているというわけではないが、流石の彼女も馬車の上、長時間の座りっぱなし揺られっぱなしは、多少なりとも堪えるものだ。


 アリスがそんなことをしている間にも、『翠の剣』の面々は手早く野営の準備を進めてゆく。幌付きの馬車故、テントを張るなどといったことはしない。女性陣は荷台で休むことが出来るし、リノとカインは外で見張りも兼ねるためだ。彼らの手際は見事なもので、流石はB級パーティーというべきか、もう何度もこうして野営を行っていることが見て取れる。もともとそんなつもりもなかったが、アリスが手伝うような事はひとつもなかった。




 * * *




 そうしてその日の夜。エメリナとオルティリアは荷台の中で、カインもまた御者台で眠りについた頃。薪の弾ける音と虫の声しか聞こえなくなった、星と暗闇の世界。見張りをカインと代わり、火の番をしていたリノがぽつりと呟いた。


「眠れないのか」


 それはまるで独り言のような、落ち着き払った声色だった。これまでの道中では一言も発することのなかったリノだが、彼は周りと比べて少し寡黙なだけだ。大きな身体と鋭い眼差しで誤解されやすいが、機嫌が悪いだとかいう訳ではない。そんな彼が声をかけた相手は言わずもがな、ひとり夜空を見上げていたアリスであった。


「そういうわけじゃない」


「明日の朝は早いぞ。眠れるときにしっかり眠っておくのも、冒険者にとって重要な素質だ」


「冒険者になりたいわけじゃないけど」


「む……そういえば冒険者証が欲しいだけ、と言っていたか」


 道中ずっと御者を担っていたリノだが、どうやら背後での会話はしっかりと聞いていたらしい。アリスの目的は冒険者証であって、冒険者になることではない。そう言っていたことを思い出し、リノは再び噤んでしまった。


 これまで冒険者───というよりも、他人と行動を共にすることのなかったアリス。彼女はずっと不思議に思っていた。何故彼らは見ず知らずの自分に声をかけ、あまつさえ試験の助力を申し出たのか。彼らはアリスのことなど何もしらない。彼らから見たアリスは駆け出しどころか、これから試験を受けるそこらの子供に過ぎない筈で。足手まといに過ぎない者を連れて行くことは、彼らにとって大きなリスク以外の何物でもない筈だ。『仕事のついで』などと言っていたが、あるいは別の思惑があるのではないか、と。


「ひとつ聞いてもいい?」


「ん、なんだ?」


「どうして私に声をかけたの?」


「む……」


 リノは質問の意味が分かりかねるといった表情を浮かべ、腕を組んで考え込んでしまう。そもそもアリスの問いかけは言葉が少なすぎて、いったい何時のことを言っているのかが分かり辛い。ギルドで出会った時のことを言っているのか、それとも先程の事を言っているのか。そんな言葉足らずなアリスの問いかけだが、しかしリノは正確に意図を読み取っていた。


「厚意は巡る」


「……」


「冒険者という仕事をしていると、誰かを助けたり、逆に助けられたりといった事が度々起こる。だが俺達は冒険者だ。相手とはその場で別れ、二度と会わないことも多い。だから冒険者は自分達が受けた恩を、次の誰かに返す」


「だから私を手伝うと?」


「そんなところだ」


 返ってきたリノの答えは、アリスにとって馴染みのない考え方であった。リノの言っている事は理解出来る。困っている同業者は誰もが仲間、それはつまり見返りを必要としない助け合い。ただ同じ境遇だったというだけで集まり、血の繋がりはなくとも生活を共にした、アリスのかつての家族のように。


 それはアリスが失ったものだ。

 今の彼女に残っているのはふたつだけ。身を焼くほどの怒りと、幼い頃に交わした約束。赤の他人に何かを施すなど、そんな考えはとうの昔に捨て去った。ミラの言う『歪な優しさ』とやらも、全ては過去の残滓でしかない。かつては『そうだった』彼女から溢れ落ちる、偽善と言う名の気まぐれに過ぎないのだから。少なくとも、彼女自身はそう思っている。


 人は所詮、人の痛みなど知らない。他人の痛みや苦しみを理解するなどと、何の意味もない行為だ。この世界は他人の痛みを無視することで成り立っている。断じて、厚意や思いやりでなど出来てはいない。そうでなければ───。


 アリスが辿り着いた真理は、冒険者達のそれとは相容れない。だからアリスはリノの言葉を、理解しつつも拒絶する。わざわざ『それは違う』などと食って掛かるようなことはしないが、しかし受け入れることもない。恐らくは、これから先もずっと。


「そう……答えてくれてありがとう」


「いや、構わない」


 アリスはそれきり、リノに再び話しかけることはなかった。どのみちあと少しの付き合いだ。適当にゴブリンを一体始末して、それで終わる関係でしかないのだから。

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