第9話
前にも私は、この霧のなかでめまいをおぼえた。
虫の幻想的なうつくしさにすっかりはしゃいでしまい、多くの毒素を胸にとりこんでしまったのだ。
町にもどりましょう……つかれてしまったのね。
そういって、ゆうかちゃんは私に肩をかした。
その時きいた彼女の声の記憶は、この霧にぼんやりとうかぶ、虫たちの光のように、今にも消えてしまいそうで……現に、今の今まで、私はわすれていたのである。
……なにかイヤなことがあったのか、ゆうかちゃんの声はすこししずんでいた。
私のしらない女の子の悪口をいっている。
彼女は弱っている。
私はその時おもったのだ……。
今ならば、きけるかもしれない。いつもききたかったけどきけなかった、とても怖いことを。
—―どうして、ゆうかちゃんは私と仲良くしてくれるの。
—―私は……とても醜く、そして面白みのない女なのに……。
ゆうかちゃんのそこからの言葉は、私にあてたものなのだとおもう……、しかし、彼女の語り口調は、まるでひとりごとのようであった。
―—私とあなたはとても似ているわ。
私が初めてこの町にきて、初めてあなたの顔をみた時……私は胸をしめつけられるような想いだった。
どうして……私とそっくりな女の子が、ここにいるのだろう、って。
この、似ている、というのは、目に見えない部分、つまり、性格や思考の方向性のこと、等の、内面的な個所……をさしているのではない。
もちろん、見たままのすがたよ。
あなたの目、鼻、口、顔や体の造形、すべてが私と似ているの。
だから私は、……皆から疎まれているあなたをみて、見過ごすことができなかった。陳腐な表現をするのであれば、あなたには幸せになってほしかった。
フフ……わけがわからない、という顔をしているわね。そうね、皆の私たちへの態度のちがいをくらべれば、その反応は妥当ね。
でも、本当のことなのよ。あなたには、わからないでしょうけど、本当の話。
ヒミコ。
あなたと私は、本当に似ているの。
時に、私はあなたを破壊したい衝動にも駆られる。
自分で自分をみているようで……。どうしようもない、無念をかんじてしまう。それであるなら、破壊して、見えなくしてしまいたい。
わかる?
でも、もちろん、そんなことはできはしない。
きずつくあなたも……私のすがたを鏡でみるようなものだから。
……あなたは、いつだったか、『ガッコウ』の話をきかせてほしいといったわね。
あなたは『ガッコウ』に対して高尚な妄想を抱いているようだけど、先にいっておくと、あの場所は「クソ」よ。
ウソと悪口しかない、狭くて、汚い空間。
当時、私はゆうかちゃんにふれて、彼女の体温をかんじとろうとした。
しかし、彼女の体はとてもつめたく、体温はなかった。
白霧にまぎれた彼女の影が、泥で作られた人形だといわれても、その時の私は信じることができた。
―—あなたは……町の子どもたちはかわいそうだといった。
殺されるためだけに、町に閉じ込められている。
他の町にすんでいた私をうらやましいといった。
でも、私はあなたたちがうらやましかった。
本音でぶつかりあい、そして、困難にむかって純粋に手をとりあうすがたが……。
あなたたちのすなおな生き方が好きだった。
ここはうつくしい空間だった。
あなたは私のきた方角から、『帝国』よりきたのだと予想した。
しかし、私は帝国からきたのではない。
もっと遠く……からきたのだ。
『帝国』では戦争が起きていて、毎日のように人が死んでいる。
私の町では戦争はおきていない。食料は安定しており、毎日を平穏にすごしている。しかしその中身は『帝国』とおなじくひどく醜い有様なのだ。帝国の軍人は心臓を屠るため武器をもち、カラスは肉を食らうためのくちばしをもつが、私の町の子どもたちは、心を食らうために透明な牙をもつ。
カラスは飢えをしのぐために町の子どもたちに牙をむけるけれど、あの空間の獣たちは、暇をつぶすためだったり、つまらない虚栄心をみたすためだったり、そんなくだらないことのために、牙をむく。
私の容姿は醜かったため、彼女たちの牙をうけた。
私のくるしむ姿は、……かなしいくらいに滑稽で、彼女たちの退屈をまぎらわすのに、上等なショーだったのでしょう。
彼女たちは私のくるしむすがたをみて笑う。
私は同じクラスに好きな男の子がいた。
女の子たちは、私にラブレターを書かせ、その子にわたした。もちろんそこには愛はなく、書かなければさらにヒドイことをする……という脅しのもとに書かされた手紙であった。男の子は文面を読むと、ゴキブリをみた時のように、泣きそうな顔になった。女の子の一人が破るように指示すると、彼は躊躇なく破いた。私は悔しくて泣き、女の子たちは笑った。後からきいた話だけど、いじめのグループのメンバーの一人が、その男の子と付きあっているようだった。その子は「彼氏が寒気がするから、もうこっちを見ないでくれって」と後日私にいってきた。
私にとってこの町は、あの汚い空間からにげられる、唯一の避難場所だった。
この町の皆は、私を迫害しない。それどころか、私に尊敬のことばをかけてくれる。クラスでは不衛生な生き物として『飼育』されている私も、この町では真紅のマントをまとった「勇者」なのだ……。
フフフフ……。どうして笑っているのか? って。
だって、あの「クソ」な場所が、もうすこしで終わるのよ?
……ちがうちがう、カラスを殺せるという意味ではないわ。正直なことをいうと、油断していたの。私には難易度が高すぎて、カラス討伐は不可能よ。
私はここを逃げ場所として選んでいた。
だけど、もうここもおしまい。
私はもうアイツらとおさらばすることができる……。
なんでかって?
まぁ……あなたにいってもわからないでしょうけど……。
いよいよ『ジュケン』が始まるの。
なんか寒いとおもったら、窓の外には……『ユキ』がふっているわ。
あなたにもみせてあげたかったわ。
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