第26話 いたいのいたいのとんでけー

『なっくん、おとなになったらけっこんしようね』


『うん。ぼく、めいちゃんとけっこんする』


 まだあどけなさの残る幼い少女と少年がとある公園でそんな約束をした。


 よくあると言えばよくある会話。


 だけどとても懐かしいような……。


「夢?」


 僕がいつもの場所で意識を戻すと、涙を流していた。


 なんだかとても懐かしい、とても悲しい結末の始まりの夢を見ていた気がする。


「覚えてないや」


 内容は覚えていない。


 ただ『なっくん』と僕を呼ぶ少女が出てきたことは覚えている。


「なっくん……」


 それは最近、というか昨日聞いた。


 昨日はあの後、芽衣莉ちゃんが起きる様子がなかったので、僕が晩ご飯を作り、宇野さんが帰ってくるのを待った。


 僕が帰る時間になっても芽衣莉ちゃんが起きる気配はなかったので、昨日は帰った。


「よし」


 夢のことは一旦置いておいて、僕は出かける準備を始めた。




「あれ?」


 今日は土曜日なので朝からみんなのところに来たけど、チャイムを鳴らしても反応がない。


「お出かけ? でもそれなら昨日のうちに言ってくれてるよね」


 僕はそんなことを呟きながら怖い仮説を想像してしまった。


「昨日のはやっぱりたてまぁ……」


 僕のお腹に懐かしい衝撃が走った。


「あ、ごめん。ちょっとまってて」


 扉を開けて僕に攻撃してきた梨歌ちゃんは、そう言って再び部屋に戻って行った。


「と、とりあえずは、拒絶されてないのかな? ……痛い」


「大丈夫、ですか?」


 僕がお腹に手を当てていると、扉がゆっくりと開き、芽衣莉ちゃんが心配そうな顔を覗かせた。


「篠崎さ──」


 元気そうな芽衣莉ちゃんが嬉しくて、つい手を握ってしまった。


「え、えっと……捕まえた?」


「なんで疑問形なんですか! 逃げませんよ!」


 芽衣莉ちゃんが顔を真っ赤にして叫ぶ。


「芽衣莉うるさい。近所迷惑だから中入って」


「うぅ、梨歌ちゃんのばか」


 芽衣莉ちゃんが僕の手を引いて中に入った。


「あ、なっつんおは〜」


「お兄ちゃん、おはよう」


 手洗いうがいを済ました僕は、部屋に居る鏡莉ちゃんと悠莉歌ちゃんに挨拶をされたので「おはよう」と返した。


 ちなみに芽衣莉ちゃんには手を洗っているうちに逃げられた。


「芽衣莉ちゃんは?」


「上。いやぁ、なっつんが来たのわかった途端に可愛くなって、見てて鼻血出そうになった」


「めいりお姉ちゃん、昨日の嘘寝がバレないかドキドキなの」


「悠莉歌、わざとなのはわかるけど、言わないであげなさいよ」


 どうやら僕が来た時に出るのが遅かったのは、ちゃんとした理由があったようで良かった。


「芽衣莉ちゃんは元気になったんだよね?」


「一応ね。今はそんなこと考えられないくらいに違うこと考えてるけど」


「違うこと?」


「めいめいは思春期だから好きな人のことで頭がいっぱいなの」


 中学一年生にもなれば、好きな異性がいてもおかしくない。


 僕にはそんな経験はないけど、芽衣莉ちゃんが元気ならそれでいい。


「さすが鈍感。なっつんさいてー」


「お兄ちゃんさいてー」


「え?」


「私も同意見。ほんと最低」


 なんだか梨歌ちゃんのは一番心にくる。


「梨歌、そんな本気で言ったらなっつん泣くよ」


「事実でしょ。芽衣莉にあそこまでさせて、この対応は芽衣莉が可哀想」


「いや、攻めきれないめいめいも悪い」


 なんだかよくわからない話になってきた。


「とりあえず、芽衣莉ちゃんに聞きたいことがあるから会いに行っていい?」


「お兄ちゃん、どえすさんだ」


「やっぱり駄目?」


「ううん。めいりお姉ちゃんも本心では会いたがってるから行こー」


 悠莉歌ちゃんはそう言って、ロフトを上って行った。


「なっつんなっつん」


 鏡莉ちゃんがニマニマしながら僕を呼ぶ。


「なに?」


「めいめいに聞きたいことって、スリーサイ──」


「次にそれ言ったら怒るからね」


 さすがにそろそろしつこくなってきた。


 ただの冗談なのはわかってるけど、なんども言われると嫌になる。


「そんなことで怒るような短気でごめんね」


「いや、むしろ寛容すぎるから鏡莉が調子に乗るんだよ? もう少し泣かしていいから」


 梨歌ちゃんはそう言うが、絶賛梨歌ちゃんの胸で泣いている鏡莉ちゃんを見ると罪悪感がすごい。


「あんたが悪いんだから謝りな」


「ご、ごめ、んなさい」


 鏡莉ちゃんが梨歌ちゃんの胸に顔を埋めながら僕に謝ってきた。


「僕こそごめんね。鏡莉ちゃんが泣くとは思ってなくて、ほんとにごめんなさい」


「嫌いになってない?」


「うん。下世話って言うのかな、そういう話が嫌いなだけで、鏡莉ちゃんとお話するのは大好きだよ」


「ほら、しないって約束しときな」


「絶対にするから無理だもん」


 そこは嘘でも約束しないんだとは思ったけど、そういう鏡莉ちゃんの素直さも好きなところではある。


「お兄ちゃーん。演技派はほっといて早く来てー」


 悠莉歌ちゃんがロフトの上から顔を出して僕を呼ぶ。


「演技派? って、危ないから戻って」


「はーい」


「演技派か。鏡莉、どっちにする?」


 梨歌ちゃんがニマニマしながら胸の中の鏡莉ちゃんに問う。


「……そう、演技。泣いたフリだから」


 鏡莉ちゃんが梨歌ちゃんを強く抱きしめてから、僕の方に振り返ってそう言った。


「そっか。鏡莉ちゃんに嫌われてなくて良かった」


「嫌いになんてならないもん! ただちょっと怖かっただぁ、んでもないし!」


 鏡莉ちゃんが目元だけではなく、頬まで赤くしながら僕に突進してそのまま頭突きしてきた。


「まったく、服に鼻水なんて付けないでよね」


「付けてないわ! むしろ美少女の鼻水なら喜べ」


「私は篠崎さん程優しくないから」


「え?」


 思わず聞き返してしまった。


 僕が優しいっていうのもわからないのに、そんな僕よりも優しくないのは嘘だ。


「泣いてる鏡莉ちゃんをなだめてる時の梨歌ちゃんはとっても優しかったよ? 聖母みたいな」


「せ、聖母?」


 本当は「お母さんみたい」と言いたかったけど、梨歌ちゃん達はお母さんという存在にいい感情を持っていないだろうから聖母にしてみた。


「聖母マリカ」


「うっさい黙れ」


「もっとお淑やかにしないと化けの皮が剥がれるよ」


「化けてないわ! 演技派はあんだだろ」


「梨歌は聖母と狂人を素でやってるんだもんね」


「泣かす」


 梨歌ちゃんが立ち上がると、鏡莉ちゃんが「やるか」と、向かい合うが、あっさり鏡莉ちゃんが捕まって思いきっりおでこに頭突きをされた。


 初めて人は本気でやばい時は声が出ないというのをこの目で見た瞬間だった。


「お兄ちゃん、りかお姉ちゃんときょうりお姉ちゃんのじゃれ合いはほっといてめいりお姉ちゃんのメンタルケアに行くよ」


 いつの間にか下りて来ていた悠莉歌ちゃんが頬を膨らましながら僕の服を引っ張る。


「でもじゃれ合いってレベルじゃない音がしたよ?」


「お兄ちゃんは初めてか。りかお姉ちゃん石頭だから」


「鏡莉ちゃんはたまにされるの?」


「うん。調子に乗った時はたまに。最近はきょうりお姉ちゃんがお兄ちゃんに隠れるからされてなかったけど」


 悠莉歌ちゃんは見慣れた様子で興味はないようだが、僕にはうずくまりながら静かに涙を流す鏡莉ちゃんと、それを見下ろす梨歌ちゃんの図が気になって仕方ない。


「ほんとに大丈夫?」


「大丈夫だよ。十分もすれば痛みも引いてくるから」


「十分でのね」


 つまりは完全に引くまではもっと時間がかかるということだ。


 それだけの痛みが残る頭突きを怖いもの見たさでで受けてみたくもあるけど、本気で痛がっている鏡莉ちゃんを見るとやはり嫌だ。


「気になるならいたいのいたいのとんでけーしたら?」


「効果あるのかな?」


「お、お願い、します」


 鏡莉ちゃんが絞り出すような声でそう言った。


「じゃあやってみる。いたいのいたいのとんでけー」


 僕は鏡莉ちゃんのおでこをさすってから、手を離して飛ばすようにしながらそう言った。


「気休めにはなった?」


「頼んどいてあれなんだけど、絶対に効果ないって思ったけど、なっつんに頭を撫でられたことが嬉しくて意外と痛み引いてきてる」


 まさかの効果ありだった。


「痛いけどね。でも引いてはきてるよ。これが愛の力」


「良かった。じゃあ僕は芽衣莉ちゃんのところ行くから仲良くしててね」


「それは暴力女次第」


「痛みが引いてきたならもう一発必要か?」


「私にはなっつんの愛があるから効かないぞ」


 さすがに自業自得なので、僕は悠莉歌ちゃんと一緒にロフトに上がった。


 上りきったところでさっきのやばい音が聞こえたが、意識を逸らさず鏡莉ちゃんの元に向かった。

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