第82話
――この世界は循環を繰り返していて、
それによってこの雄大な大地は回っている。
だから人も動物も花も雑草も、
最後には全部土に還る。
でも、生命の根源は海なんだよ。
海から生まれても、
最後は土に眠ることになるって悲しいお話だよね?
でも、いつかはこの広い大地も海の底に沈む。
あらゆる生命が産まれた海。
あらゆる生命が眠り落ちていく海。
話や本でしか聞いたことのない広大な塩の水。
見渡す限りの青い大海原。
私は、死ぬまでに一度でいいからこの目で見てみたい。
ねぇ、リド。
――いつか、連れてってくれる?
……。
…………。
………………。
『起床っ! 起床っ!!』
部屋の隅の天井に取り付けられたラッパの様なものからそんな声が聞こえて目を覚ます。
ボーっとした頭で周囲を見渡すと、同じ部屋に配置された奴らが寝具を片付けているのが見える。
二段ベッドの天井がガタガタ鳴っているため、モーリスも大急ぎで寝具を片付けているのだろうか。
……何やってんだコイツら。
「まあいい、もうひと眠りいくか……」
そう思って、再度ベッドに身を沈ませる。
何か夢を見ていた気がするが、その内容は思い出せない。
再度まどろみに身を任せようとしたところで、宿直室の扉が勢いよく開いた。
「全員起きているな? 早く点呼……を……」
入ってきた女教官が周囲を見渡して、リドに視線を向けた瞬間固まった。
「おい、貴様。何をしている」
熟睡しているリドに近寄っていき、女はリドの胸倉を掴み持ち上げる。
かったるそうに眼を開いて目の前にある顔を確認すれば昨日喚き散らしていたイカれ女だった。
「……二度寝」
「ふざけているのか?」
「何を言う。本気に決まってんだろ?」
真顔でそう口にするリドを見て、女教官はこめかみに青筋を立てた。更に胸倉を掴む力を強めて不気味な笑みを浮かべる。
「良いだろう。【朝のマラソン10キロ】を貴様だけ特別に【全身鎧20キロダッシュ】にしてやる――」
「はぁっ……はぁっ……死ぬ……」
喉から発した声が鈍く脳に反響する。
砦内に存在するグラウンド、一周一キロをフルプレートを着用させられたリドはカシャンカシャンと音を鳴らしながら回っていた。
食事も取っていないし、何より舌打ちしたくなるほど清々しい梅雨前の初夏の殺意がリドの汗で濡れた軍服を乾かす。
いや、乾かしているのは鎧の熱だろうか。
燦々(さんさん)と降り注ぐ朝日により、フライパン並みに熱くなったソレは、もはや冗談抜きで体を焼かれていると言っても過言ではない。
「何をちんたらと走っているっ! 荷物をまとめて学園に帰るか!?」
「いいのか!?」
「いいわけあるかドアホがっ!!」
そして飛んでくるのは怒声。
研修初日の朝からやる気ゲージをジリジリと削っていかれていた。
肉体的な疲労は大したこと無いのだが、メンタルだけはどうしようもない。
ただでさえ苦手な朝、食事も食べずに走るってなにその拷問。
教官の罵倒を受けながら、走り続けた。
「はぁ……クソッ! あのクソアマめ。いつか隙見て復讐してやる」
「大変だったな。食堂からも見えていたぞ」
エマが食堂で朝食を摂りながら、やっとランニングが終わって汗でベタベタになっているリドを出迎えた。
全力で走れば何てこと無いのだろうが、腹が減っているため【身体強化】などの魔法行使もためらわれた。下手をすれば、魔力枯渇でぶっ倒れるからな。
「モーリスとかココは?」
周囲を見渡しても姿が無い。
エマ達が走り終わってから既に20分以上経っているため、食事を終えていてもおかしくはないが。
「うむ。モーリス、ココ、ジェシカ達が配属されている【警備哨戒隊】は見張りの交代で集合が早くなったそうだ。セシリアはリドを待って残っていたが、つい今しがた【国境警備隊】の隊長に準備を任されて出て行ったぞ」
つまりは私一人だ、エマはそう言ってテーブルに空の食器を置きながらも動こうとしない。
まるで何かを待っているかのように本を読みながら椅子に座っていた。
「オマエは食事終わってんだろ? なんで残ってんだ?」
「む? 一人の食事は寂しいだろう?」
何かを思い出すようにエマは空の食器を見る。過去に何かあったのだろうか。
今の仲間の中ではセシリアの次に付き合いが長いとはいえ、まだまだ知らないことが多い。
「ま、いいけどな」
詮索するのも野暮というものだ。リドは椅子を引いて腰かける。
正直、あまり食欲はないが、そうも言ってられん。リドは食事に手を付けだした。
〇 ● 〇
半分ほど食べたところで、アレクが空の皿を載せたトレーを片手に顔を出す。
「よう重騎士のエディッサ君。早朝マラソンお疲れさん」
「……その嫌味ったらしいニヤニヤやめろ。ぶん殴るぞ」
「だから昨日忠告してやったじゃんよ。疲れてても仕事はあるぜ。南門に30分後集合な」
「チッ」
だるそうに口にスプーンを運びながら舌打ちするリドを面白そうに見ていたアレクは、「邪魔したな、トリエテスちゃん」と言ってカウンターに食器を置き、そのまま食堂を出て行った。
「む? あれは昨日リドを運んでいた男、か? 何故私の名前を……?」
一部始終を見ていたエマが不機嫌そうなリドに「おまえが言ったのか?」と首を傾げながら問う。
「騎士団戦でオレ達の名前を知らないやつの方が少ないらしいぜ。アイツが言ってた」
「知り合いなのか?」
「魔物討伐部隊の隊長だとよ」
「ほう……って! 上官ではないかっ! ちゃんと敬語を……いや、おまえにそれは無理か」
子供の無礼を叱る母親のように腰を上げたエマだが、女王陛下アリシアにすらタメ口なことを思い出し、諦めにも似た苦笑いを浮かべる。
逆にリドが敬語で話すところを見たら、エマは自身の体調と正気を疑うだろう。
そのまましばらく談笑していた二人だが、リドの食事が半分ほど終わったところでエマは腰を上げた。
「では私ももうそろそろ集合だ。遅刻はしないようにな」
「あぁ」
エマが食器を片して、小さく手を振りながら食堂から出ていくのを見送った後、リドは急いで食事を口に運び、南門に向かった。
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