第81話


「――っ!?」


 目を覚ますと同時に飛び起きる。

 しかし、目に映るのは小汚いおっさんの姿でも外の景色でもなく白い内装だった。


「うわっ! びっくりしたっ! 急に立つなバカモノ!」

 

「……あ? エマ、か」


 声の方向へ視線を向けると、見知った顔が目に入り動揺した心が落ち着いていく。

 正直死を覚悟していたが、目を見開いたエマが胸を抑えているところを見ると、まだ生きているようだ。

 明らかに怪しいあの煙草野郎が律儀に運んでくれるとは思っていなかった。

 体を確かめても、殴られた場所の鈍痛以外は何も感じない。衣服が乱れた様子もない。

 どうやら、本当に、ただ運ばれただけのようだ。


「……はぁ~。とりあえず無事でよかったぞ」


 溜め込んだ息を吐き出しながらエマは苦笑いを浮かべる。


「オレはどうなったんだ?」

 

「煙草を咥えた男が気絶していたおまえを担いで医務室に運んだのだ。何があったのか聞きたいのは私の方なのだがな」


 全く、度肝を抜かれたぞ、とエマは口にする。鼻っ面をへし折られたのはリドの方だが。

 互角に戦える奴なんてロイか魔物かロベルトくらいだと思っていた。あの男は一体何者なんだ?

 様々な疑問が浮かんでは沈んでいく。


「食欲はあるか?」


 言われて今気が付いた。見計らったかのように、ぐ~っと盛大に腹が鳴る。

 エマは肩を揺らしながら笑って、「あるようだな」と口にした。


「今は丁度食堂で歓迎会をやっているところだ。行こうか」


 リドは「あぁ」と生返事をしてエマの後に続いていく。

 よくわからんヤニ男のことより、今は食欲の方が重要だ。

 アイツの事を考えるのは飯を終えてからでも遅くはないだろう。


 ……と、思っていたんだが、


「よう、さっきぶりだなエディッサ君」

 

「……オマエ何普通に飯食ってんだよ」

 

「人間だもん。腹くらい減るさ」


 麦酒片手に普通に飯食ってやがる。

 なんだコイツ。正体不明の男ポジションを容易くへし折っていくな。シリアスを返せ。

 だが、会えたのは僥倖。上着を脱ぎ、ファイテングポーズを取る。


「さっきはよくもやってくれたな。だがオレはまだ負けてねぇ、第二ラウンドと行こうぜ」


 信じられないかもしれないが、これが気絶させられて医務室に運ばれた男の発言である。


「断る。あれはお前さんの慢心と油断。長旅の疲労があってこそ成立したもんだ。負けると分かってる戦いに意味なんてねーよ」


 ウソを言っている風でもない。

 慢心、か。痛いところを突かれた気分だ。

 確かに慢心はしていたのかもしれない。

 殺し合いの世界で生きていくには油断なんかできない。常に力を、誰よりも強くあることを望んでいた。そのために必死になって戦いを行っていたが、学園に来てからリドは自分より強い相手が居ないことにあぐらを掻いていた。

 何もしなくても飯は出る。

 そんな一般的な考えを持ってしまうほどに。


「……チッ。それで? オマエ何モンだよ。並みの体捌きじゃねぇ」

 

「ただの一般兵……だが、今日からお前の上司ってことになるかね?」

 

「上司だ?」


 疑わし気なリドの視線に気が付いたのか、ヤニ野郎は「いっけね」と頭を掻く。


「そういや名乗ってなかったな。俺はウルク砦魔物討伐部隊で隊長やってるアレク・サハン中尉ってもんだ。サハン隊長とお呼び、エディッサ君?」

 

「……アレク。オマエが隊長なのか。ふーん……」

 

「殺気を飛ばすな。後いきなりファーストネーム呼び捨てってお前は俺の親友か何かか?」

 

「少なくとも冥土に旅立つのを見送ることは出来るぜ」

 

「ぞっとしない話だねぇ」


 言いながらもアレクは肩で笑っている。

 本気に捉えていないのか、それともリドが本気で潰しに掛かっても逃げる算段があるのか。

 まあどちらでもいいか。

 表の世界で殺人は重罪だからな。

 牢に入っても飯は出てくるそうだが、散歩にすらいけないのは気が滅入るだろう。


「ま、とりあえず食えよエディッサ君。せっかくの歓迎会だからさ。食糧庫の中身空にしてやろうぜ」

 

「そりゃいい。もし飯が尽きそうになったらアンタの分を寄越せ」


 渡されたブドウジュースを飲みながら、リドは空腹を満たすため飯を口に運んでいった。

 

 食事もほどほどに盛り上がった頃、注目を集めるように手を叩く音が食堂に響いた。

 それと同時に太ったブタを思わせる顔の丸い初老の男と、枯れ木を思わせる細い男が壇上に上がった。

 まずは太った男が口を開く。


「わたしがウルク高原砦を任されているモド・フィリパ小将である」


 そう言って一歩下がり、隣の男に視線を向けた後アゴを上げた。どうやらそれだけで砦隊長の仕事は終わったらしい。


「ルイ・カルメンの生徒達。この度は遠方からわざわざ来てくれてありがとう。私はこの砦で副官を務めさせてもらっているエルド中佐です」


 今度は隣の枯れ木を思わせる男、エルドが細々とした声でそう言った。

 元から腰の低い人物なのだろう。学生であっても礼節を持って話をしていく。


「明日からは各部隊に分かれて行動してもらうことになります。同学年の方たちとの接点は少なくなってしまうと思われますので、本日の歓迎会を十分に楽しんでください。以上です」


 それでは、と言ってエルドとフィリパが壇上を降りて行った。


「なんだあれ」


 思わずそう口に出ていたリド。


「あのデブはお飾りってヤツだ。指揮は中佐に任せて自分は日がな一日自室でブドウジュース飲んでんだよ」


 俺たちの仕事には関係ないから気にすんな、とアレクは言いながらワインをあおる。


「どうにもこの砦自体をキナ臭く感じるのはオレだけか?」

 

「……どういう意味だ?」


 半眼で睨みながら言ったリドを見てアレクはわずかに片眉を下げた。


「アンタ言ってただろ? 林の中で見つけたって言えば何とかなるってよ。あの林に何がある?」


 大体の見当はついているが、それでもこの砦に居る人間に確認を取りたい。

 あの匂いは濃厚な死の臭いだ。むせ返るほど合わさった死神の香水。

 少なくともアリシアやエマが言うような平和とはかけ離れた違和感。

 その正体を知りたい。


「……あそこはな。見張りこそ立っているが、中に入っていけるのは砦隊長の許可が下りた数人だけだ」


 周りに聞かれないようにアレクは隅へ移動してポツリポツリと話し出す。


「見張りの人間は大抵ひと月もしないうちに体を壊す。まあ、あんなところにずっと立たされてたら気が狂うだろう」

 

「本題が見えねぇな。あそこには『何』がある?」


 リドの直球な言い方にアレクは観念したように一度息を吐きだした。


「……二週前くらいかね? 地下の罰直室とは別の地下があるんだが、そこから数人がかりで何かを運んでいる現場を見たことがある。丁度人くらいの大きさで、布を被されたものがな」


 そしてアレクは顔を嫌悪感で歪ませた。


「皆、薄々感づいてんだよ。だが誰も何も言わない。今は使われていないはずの地下にある旧拷問部屋の中から声が聞こえるって喚き散らしてた奴は、次の日に死体で発見された」

 

「なるほどな」


 大体の事情は理解した。

 どうやらここは平和とは対極の位置にあると言えるらしい。


「俺から言っておいてアレだが、これ以上関わるのはやめた方がいいぜ? エディッサ。お前がいくら強いとはいえ、毒でも盛られたら大事だ」


 憑き物が落ちたように深く息を吐いたアレクは、リドの方を見てから何故か背筋を伸ばした。


「――何を話しているのかね?」


 不思議に思うと同時に背後の喧騒の中から太った男が声を掛けて来る。


「これはこれはフィリパ小将っ! いえ、明日からこいつ俺の所の部隊に入るんで、ちょっと喝を入れてただけですよっ!」


 なっ!? と背中を叩かれ、リドは面倒くさそうに首を縦に振った。


「キサマは確か……そう、リド・エディッサだったか? この前の騎士団戦で出ていた」

 

「ああ、そうだが」

 

「バカ野郎! そうです。だ!」


 アレクに後頭部を叩かれ「ソウデス」と口にする。


「……本来学生を受け入れる予定はなかったのだが、クリード参謀の命令で仕方なく入れてやったのだ。問題だけは起こすなよ。ではな」


 フィリパはそのまま出口に向かっていった。

 それを確認したアレクは引き攣った笑みを元に戻す。


「はぁ~っ! 心臓に悪いぜちくしょうっ! ま、あれだエディッサ君よ。何事もなく研修を終わらせたかったらこの件に関わるな。俺はもう寝る。朝早いから寝坊すんなよ」


 歩き出したアレクは、何かを思い出したように足を止めた。


「あと、善意から教えてやる。寝具の片付け方を寝る前に誰かに聞いたほうがいいぜ。じゃあなエディッサ君、また明日」


 そう言って背中を向けて手を振りながらアレクも食堂を出て行った。

 後に残されたリドの胸には、話を聞く前よりも膨れ上がったキナ臭さが残るのみだった。

 

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