第30話
エマが部屋で片付けをしている音が遠く聞こえる中、リビングでくつろいでいるオレは、ベティーと二人で紅茶を啜っていた。
リビングには置き時計があり、それを見たベティーが「もうそろそろ時間ね」と言った。
それと同時に玄関の扉が開いた音が聞こえてくる。
どうやら寮生達が帰宅してきたようだった。
足音のみしか聞こえないが、皆一度部屋に帰るようで、リビングの扉を開けることなく、奥の方へ移動していった。
「今夜はリドくんの歓迎パーティーを開くから、とっておきのご馳走を作るわ」
仕込みは既に終わっているのか、ベティーは厨房に入って調理を始めた。
リビングのソファーにひとり残されたオレは紅茶を啜りながらロイのことを考えていた。
ロイがオレの前から姿を消したのは約5年前。
そして、ふらっとオレの元に現れ、剣を交えて対立したのが2年前。
時期的には女帝暗殺と被っていた。
(姿を消したと言っていたが、おそらくロイは……)
そんなとき、聞き覚えのある声で意識を現実に引き戻される。
「リド様?」
視線を向ければ、リビングの入り口にアリシアの姿があった。
いつも週末帰ってくる時は制服を着用していないので、改めてこうしてしっかり観察すると綺麗な年頃の娘にしか見えない。
「……アリシアか。オレも今日からここに世話になることになってな」
ロイの……自分の父親がアリシアの親を殺害をしたかもしれないという噂を聞いたため、アリシアと目を合わせることができない。
「え? ここは女子寮ですよ?」
きょとんとした様子でそう言ってくるアリシア。
何を言ってらっしゃるの? という様子だ。
オレも逆の立場なら……いや、今でもそう思う。
「らしいな。文句はロベルトに言ってくれ。男子寮に空室がないらしい」
「そういうことでしたか。ではリド様、公私共々、よろしくお願いいたします」
「納得が早いな」
「これでも皇帝ですから」
ふむ。少し意味がわからんが。
まぁ皇帝に決断力が必要なのは間違いないか。
「襲われる心配はないのか?」
「城の方で暮らしていたではありませんか。リド様がそんなことをするお方でないことは知っております」
アリシアはかわいらしく舌を出す。
やはり年頃の女の子にしか見えない。
その姿はとても皇帝などという重責を背負っているようには見えない。
もし、ロイがアリシアの母親を殺害したとするならば、アリシアはロイを恨んでないのだろうか?
噂だとしても、どこかでロイを憎み、子供であるオレのことを憎んでいるのではないだろうか?
様々な疑問が頭に浮かんでは消えていく。
「……アリシア、オマエは――」
「アンリ様、そこのお方はどなた様ですの?」
リドが言葉を発しようとした矢先、女の声で遮られた。
アリシアの後ろからひょっこりと小柄な少女が顔を出す。
「オマエこそだれだ」
アリシアの後ろから小柄な少女が顔を出す。
「これは失礼致しましたわ。私の名はジェシカと言います。ジェシカ・ヴラヒム。北のセーネ村を収めるヴラヒム家の一人娘ですわ!」
「……随分ちみっこいな」
ジェシカと名乗った少女を上から下まで見て、思わず率直な感想をこぼした。
「ちみっ!? ……いいでしょう、そこに直りなさい。頭を斬り飛ばして差し上げますわ!」
きゃんきゃん! と吠えるように言うジェシカ。
「断る。ガキを虐める趣味はない」
「ガキ……? 私はこれでも今年で17ですのよ!?」
ジェシカは顔を真っ赤にして激昂する。
プンプンと怒っている姿を見ても、小型犬の威嚇くらいにしか見えなかった。
「ふぅ~ん……それで、どこの託児所に預けられてんだ?」
「むっきぃー!!」
ジェシカは自分のツインテールを両手で掴んで下に引っ張りながら、涙目になってオレをゲシゲシと蹴る。
「……」
だがノーダメージだった。全く気にせず紅茶を啜る。
「アンリ様! この男は誰ですの!? 今すぐ斬り伏せるご許可をいただけますかしら!?」
「え、え~と、その方はワタクシの側近騎士予定のお方です」
アリシアは言いにくそうに頬を指で搔きながらジェシカに笑いかける。
ロベルトとの試合で側近騎士になる前に騎士になれと言われたため、オレの立場は【次期側近騎士】という曖昧なものになっている。
説明が難しいのだろう。
深く話せば秘密がバレるリスクもあるしな。
「そっきん……? きし……?」
「はい。側近騎士です」
ジェシカは何を言われたのか理解できないかのように目をぱちぱちとさせる。
アリシアからオレへ視線を向けて、再度アリシアに視線を向けて、また戻す。
3回同じことを繰り返した。
「あなたがアンリ様の側近騎士?」
「に、なる可能性が限りなくゼロに近いただの男だ」
リドは呆然としているジェシカに告げる。
「なってくださるんですよね?」
アリシアの笑顔が怖い。
人間観察には自信があるが、アリシアが腹の中で何を考えているのかオレですら読めない。
なにより、下民のオレなどアリシアのひと声で打ち首になってもおかしくはない話だ。
「……側近騎士見習いだ」
オレはその圧に逆らえず、アリシアの側近騎士見習いだと認めることにした。
「も、もも、も!」
ジェシカは口をパクパクさせている。
「も? 桃? なんだ?」
「申し訳ございませんでした!」
途端ジェシカは一瞬で地面に膝を折る。
ソファーに座るオレの前で縮こまっていた。
「随分と身替わりが早いな」
オレは呆れながらジェシカを見下ろす。
元々小さいので見下ろしてはいたが。
「まさかアンリ様の側近騎士様とはつゆ知らず、とんだご無礼を! この命を持って非礼を――」
「待て待て待て!」
流れるような動作で剣を抜き、そのまま自分の首を斬ろうとしたジェシカをオレは慌てて止める。
首に軽く血が滲んだところでなんとか止めることに成功した。
危ねぇ。止めなかったら本気で死ぬ気だったなコイツ。
これが縦社会か。
「ですがそれでは……」
「いや、実はオレはそんな大層なものではなくてな。家名こそあるが、地位も、領地も、良い評判もない。だから首を切る必要はない」
「そ、そうでしたか……」
ジェシカはオレの説得で、渋々ながらも剣を腰のホルスターに仕舞って立ち上がった。
「家名があると言ってましたが、どのような?」
「……エディッサ。リド・エディッサだ」
「エディッサ? 聞いたことがありますわね」
ジェシカは頭に手を当て、うんうんと唸りだす。
そして次の瞬間には何かを思い出したかのように目をカッと開いた。
「わかりましたわ! 帝都の入り口近くにあるパン屋さんの息子さんですわね!?」
「あぁ……あ? 誰だそれ」
ふと記憶を蘇らせれば覚えがある。
確かあそこのパン屋の名前は。
「……あ、あそこはデリッサでしたわ」
田舎出身のジェシカはあまり土地勘がないようだ。
照れ照れとツインテールを撫でながら恥ずかしそうにさていた。
「ロイ様のご子息です」
アリシアがうんうんと頭を捻って考えるジェシカにそう耳打ちする。
そして、再度オレの顔をみたジェシカは目をカッと見開いた。
「まさかロイ・エディッサ!? あの英雄騎士ロイさんのご子息ですの!?」
「ああ……先代皇帝を殺害した噂があるロイの息子だ」
何を思っているのか探るために、敢えてその噂を持ち出して見る。
反応を探るためにアリシアをちらりと見ると、その顔には少しの陰りが見えた。
「ロイ様はそんなこと決してしていませんよ」
だが、その視線に気がついたアリシアはオレを見て、柔らかな笑顔を作ってそう言った。
「……なぜ言い切れる?」
息子であるオレですら、ロイならやりかねないという危うさがある。
昔、一緒に住んでいた家族のような子がスラムの猛者に誘拐されたことがある。
アルバノがまだ出てくる前、スラムを支配していたと言ってもいい、非常に強い権力者だった。
オレはなんとかそこまで辿り着き、取り返そうともがいたが、敵の数が多く、しかも子供であったが為に手こずって負傷を負った。
そんな時、ロイが駆けつけてきて、その場に居た権力者やスラムのゴロツキを全て斬り捨てた。
容赦がないその様子を見て、子供ながらに憧れた。
それと同時に、オレもいずれこうなるのではないかという恐怖を覚えた。
今では、しっかりとそれを継承してしまったわけだが。
少なくとも、オレの中でのロイという男は、【冷徹で容赦がなく、目的のためなら全てを殺す男】という認識だった。
「わたくしが幼い頃よりロイ様には優しくしていただきました。先代の皇帝であるお父様、お母様にも多大なる忠義を尽くしてくださいました。ですからそのようなことは決してありません」
アリシアは確信しているとばかりにオレとジェシカに言う。
先ほどまで自分が抱えていたアリシアへの後ろめたさが吹き飛ばされた思いだった。
アリシアという少女は全てを知った上でオレという人間を肯定した。
とうの昔にアリシアの中でロイのことは決着がついている様子だ。
だからこそこれ以上口にするべきではない。
「リドさんも側近騎士だけでなく、英雄騎士の称号を目指しているのですか?」
ジェシカが純粋にオレに聞く。
「あ~、いや、まだ決めてない。そもそも騎士ってものの役割が良くわかってないほどだ。だからこの学園に編入することになった」
「なるほど。ある程度察しましたわ」
「そういうことだ。とりあえずそんなところに集まってないで部屋に行けよ」
オレと話していたため、ジェシカとアリシア、そしてその仲間たちは出入り口前に固まっていた。
「それもそうですね。着替えましょうか」
「はい、アンリ様」
アリシアの言葉に皆一様に頷き、廊下へと進んでいった。
いかにもお嬢様という感じの少女達が消えていく。
「エディッサ……」
だが、一人の少女だけその場を動かずリドを見据えていた。
「なんだ?」
一目見て不気味だとオレは思った。
まるで生気が感じられない瞳で、人形と言われても信じられるような少女だったからだ。
「…………」
オレの問いかけに、少女は何かを話すでもなく廊下に歩いていこうとした。
その肩には明らかに剣ではない長い棒のようなものをぶら下げていて、
「おい、ちょっと待て!」
「……?」
オレは少女が廊下の先へ見えなくなる前に声をかける。
「オマエの持っているそれ、銃ってやつか?」
「……そう。正式名称はマスケット銃……」
「ちょっと撃たせてもらえないか?」
学園に入ってからずっと気になっていた銃を撃てるチャンス到来とばかりに詰め寄る。
「…………」
少女はずっと黙っている。
「ダメか?」
オレは少女の生気のない目を見て半ば諦めかけるが、
「……別に……いい、よ……?」
少女は変わらず生気のない目で了承した。
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