第29話

 アルバノの屋敷の2倍はありそうなでかい屋敷の前にオレは到着する。

 エマとアリシアが住んでいる寮らしい。

 

 レトロながらもデザインが洗練されており、自然と目を惹く建物だった。

 一国の王女が住む屋敷だと言われたら納得できる建造物だ。

 陽はとっくに沈みかけていて夕方の紅い光が寮を横から照らしている。

 学園の授業がもうすぐ終わる時間ということもあり、時間を追うごとに夜風の匂いが強くなってきていた。

 

「なるほど、なかなかでかいな」

 

 これの半分の大きさのアルバノの屋敷ですらオレにとっては大豪邸だった。

 ここしばらく外の世界で生活して感覚がおかしくなってきている自覚はあるが、それでもこの屋敷は立派だと感じる。

 

「もうそろそろアンリ様や、他の学生も帰ってくる頃だ。私に付いてきてくれ、案内する」

 

「ああ」

 

 慣れた様子で寮の扉を開いたエマ。その後を追ってオレも屋敷の中に入っていく。


 まず最初に玄関を潜って感じたのは、若い女の匂いだった。

 微かに香水が混じっているような、甘い匂い。

 どうやら本当に女子寮のようだった。

 

 案の定というか、寮の室内も豪華だった。

 

 小奇麗に配置された花瓶などの小物が、内装の気品を引き立てている。

 築年数はかなり経っていそうだが、今までこの屋敷を利用してきた人間の品性が出ているのか、朽ちかけている気配はない。

 

 エマ先導の元、壷などの用途がわからないものを見ながら廊下を歩いていたが、遠くから何者かが小走りで近寄ってくる音に気が付き前方を見た。

 

「ただいま戻りました。寮母さん」

 

「エマちゃんおかえり。そろそろ帰ってくる頃と思ってたの、そちらがリドくん?」

 

 寮母はオレを優しい目で見据える。

 まだ二十代後半くらいの若いおっとり系の美人だった。

 エプロン姿がよく似合っている。

 

「そうだが、あんたが寮母か?」

 

「はい、寮母のベティー・コリン。よろしくね、リドくん」

 

 目鼻立ちが整っていて、オレンジ色の髪色がよく似合っている。

 優しい近所のお姉さんという表現が実にハマっているように感じた。

 

「女子寮と聞いていたが、オレが入ってもいいのか?」

 

 素朴な疑問を寮母、ベティーに尋ねる。

 倫理的に問題はないのかという意味で出た言葉だった。

 

「ええ、ロベルト様からは『人格に問題はない』と承っているわ」

 

 少なからずリドの過去を知っているロベルトが、なぜそこまで信用できると言えるのか疑問が浮かぶ。

 

 下民出身というのは、皇城の宰相の奴らには謁見の間で知られている。

 

 だが、オレが下民の中でも特に問題のあるスラムで生まれ育ったことを知っているのは、アリシア、エマ、ロベルトくらいなものだ。

 

 この三人だけで情報を完全に封鎖している。

 学園でもまずバレることはないだろう。

 

 ベティーはエプロンのポケットから何かを取り出す。

 

「ただ、もしものことがあった場合はこれを使ってもいい。とも言われているわ」

 

 カシャンッっと音を立てて小型のギロチンのようなものが音を立てる。

 葉巻などをカットするときに使うギロチンカッターだ。

 寮母はのほほんと可愛い笑顔を浮かべてカシャンカシャンっとさせている。

 

「……ああ、わかった。気を付ける」

 

 何が「もし!そういうことがあったら!」だ。

 手を出したら息子がカットされるじゃねぇか。

 多少は信用できる人に昇格しかけていたロベルトの評価が少しだけ下がった。

 

「狸オヤジめ」

 

 アレをカットされる光景を思い浮かべて、表情を青ざめさせた。

 少しだけ股がスースーする気がした。

 

「じゃあ、リドくんのお部屋に案内するわね」

 

 寮母は「ついてきて」と言って歩き出す。

 

「なあエマ、寮母は天然か?」

 

「……少しだけな」

 

 なぜかそう言うエマの表情に緊張が含まれている気がする。

 

「ハァ……」

 

 リドはため息をつきながら寮母の後を追った。



 足取りの軽いベティーの後についていくと、扉の前で足を止めた。

 木製の扉には表札があり、そこには『エマ・トリエテス』の下に『リド・エディッサ』と書かれていた。用意がいい。

 

「ここがエマちゃんとリドくんのお部屋になるわ」


「――あっ寮母さん!」

 

 ベティーがそのままドアに手をかけた時、なぜかエマが慌てて手を伸ばしたが、静止も虚しく扉は開け放たれた。

 耳まで真っ赤にしたエマがオレとは反対方向を見て肩を震わせる。

 

「なんだこれ」

 

「…………」

 

 室内は木造で、木のいい香りにエマの女らしい匂いが漂っている。

 本来の部屋の備品はクラシックで落ち着く雰囲気なのだろうが、そこら中に編みぐるみが散乱していた。

 ファンシーな内装だった。

 

「……なあ、エマ。オマエこういう趣味だったのか?」

 

「…………」

 

「エマちゃんも女の子だから」

 

 ベティーが頬に手を当て微笑む。

 

「すぐに片づけるから外に出ていてくれ!」

 

 ぐるぐると目を回しながら顔を真っ赤にしたエマは、オレとベティーを外に押し出す。

 

 すっかり自分の部屋の惨状を忘れていたのだろう。

 閉められた扉の向こうから、エマが暴れる音が聞こえてきていた。

 

「……本当に大丈夫なんだろうな」

 

「リドくんならうまくやっていけると思うわ」

 

「あ?」

 

 ベティーはどこか確信を含む声音でオレに微笑みかけた。

 何か引っ掛かるものを感じてベティーを見るが、スタスタと階段の方へ歩いて行った。

 部屋の前で待つのもアレなので、その背中を追ったオレに振り返ったベティーは、

 

「リドくん、エマちゃんの準備が終わるまでリビングで少しお話ししない?」


 夕日に横顔を焼かれながらそう言った。

 廊下の静寂が、嫌に耳に残る。


「……手持無沙汰だからな。いいだろう」

 

 この寮母には何かがあると思い、リビングに向けて歩き出す。


 

 

 リビングに案内され、ベティーは手際よく紅茶を出してくれた。

 流石は寮母だ。エマとは違い余計な動作が無かった。

 だが、今さっきロベルトの理事長室で飲んでいるからそんなに喉は乾いてない、少し口に含む。

 紅茶の香りが鼻に抜けていく。

 美味い。素直にそう思う。

 

「……で、話ってなんだ?」

 

 一通りお茶を楽しんだ後、話題を切り出す。

 おっとりとしているこの寮母が少しだけ思い詰めたような表情を浮かべることはそうないだろう。

 まだ出会って一刻も経っていないがそれくらいはオレにも分かる。

 

「美味しいお菓子を出すから、そんなに怖い顔しないで」

 

 いつの間にかオレの表情も強張っていたのだろう。

 ベティーは少し身をすくませながらも、困ったような笑みを浮かべている。

 キッチンから白いスポンジのようなものを皿に乗せてオレの前に出してきた。

 

「なんだこれ?」

 

 こんなきれいな食べ物を今までの人生で見たことがなかった。

 正直かなり興味が惹かれる。

 

「シフォンケーキっていうの。美味しいわよ」

 

 ベティーはフォークで器用に切って食べている。

 口に含んだ瞬間、幸せを表現するように上を見て恍惚としていた。

 

「…………」

 

 オレも真似して切ろうとするが、ケーキは潰れるだけだ。

 何度も何度も上手く切ろうとするが、全く切れない。

 もう面倒になって、フォークの先端でシフォンケーキを突き刺し、そのまま齧り付いた。

 

「ふふっ」

 

 寮母は子供を慈しむ母親のような目でこちらを見て笑みを浮かべていた。

 まるで何かを思い出すかのようなその表情を見て首を傾げる。

 

「……ふぁんはよ」

 

 口の中のものを咀嚼しながらリドはベティーに問う。

 

「ううん、何でもないの。……ただ、少し不器用なのも、あの人に似てるなって思って」

 

「にへる?」

 

 口の中に入っているシフォンケーキをまだ飲み込めていないが、咀嚼するだけでも非常に美味い。

 ヨルと買って食べたクッキーと並ぶほどの美味しさだ。

 口の中のケーキを飲み込む前に更に詰め込んだ。

 

 そんな様子を見て可笑しそうに微笑んだベティーは自分の皿をオレの方に近づける。私のも食べていいよというサインを受け取って更に口に詰め込んだ。

 

「……もう10年も前になるのね。私も学園に通っていたのよ」

 

 ベティーは懐かしむように目を閉じる。

 

「あんたも騎士だったのか? とても強そうには見えないが」

 

 ようやくすべてのケーキを飲み込み、紅茶を飲んでパサついた口の中を潤す。

 ベティーはとてもではないが剣を持って戦うようには見えない。

 細身の体に小さい肩幅。花屋の店主がお似合いだとすら思える。

 

「リドくんのはっきりと物事を言うところ、私は好きよ。でも、そう、私には戦う力はなかったわ。でも治癒魔法は得意だったから、この学園に入ったの」

 

「ふーん」

 

 騎士ってのは戦うだけじゃないんだな。

 ……それもそうか。

 

 武器を持って戦うだけなら一般人にもできる。

 

 だが、治療できるものが居ないと戦争はできない。

 怪我を治す方法がなければ、すべての戦争はひと月でほどで終わりを見るだろう。

 敗戦国の全滅という最悪の形で。

 

「でも、あの頃は戦えない騎士は差別の対象でね。私は学園の中でも浮いていたの。寂しくて、悲しくて、辛かった」

 

 当時を思い出しているのか、ベティーは悟ったような顔をして語り出す。

 その顔には恨みこそないが、思う所はあると物語っているようだった。

 

「……でもそんな時に、学園に英雄騎士の方が臨時講師でいらしてね、私の治癒魔法を褒めてくれた。本当にうれしかったわ」

 

「英雄騎士?」

 

「……そう、その人はリドくんのお父さん。ロイ・エディッサ様だった。優しくて、格好良くて、何より強くて、英雄と呼ばれるに相応しい方だった」


 ロイ・エディッサ。

 

 学園の中ならいざ知らず、寮の中でロイの名前を耳にするとは思わなかった。

 

「なんで、ロイが俺の親父だって知っている? 秘匿されているはずだろう」

 

 前にアリシアとロベルトがそう言っていた。

 謁見の間での出来事は厳重に秘匿されている。

 それによってオレのことも同時に機密扱いとなった。

 だからこそ、学園の編入試験であんな真似をしたのだ。

 

「……ふふっ」

 

 だが、その質問に答えるでもなくベティーは笑う。

 そして、

 

「リドくんはあの人にそっくりだもの。ロイ様を知っている人が貴方を見れば、すぐに分かるわ。それに、色々な意味で『エディッサ』という家名は有名だから……」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、気を悪くしないで欲しいけど、あまり良い噂は多くないわ。でも、ロイ様と関わったことのある人はそんな噂は信じない。なんて嘘に決まってるわ」

 

「……なに?」

 

 先代の皇帝を殺害?

 

 ロイが、アリシアの両親を殺したっていうことか?

 

「もちろんただの噂……でも、先代が無くなった日、二年前から行方が分からなくてね。ロイ様の消息をロベルト様達も探しているのだけど……」

 

「……そうか」


 ロイがオレの前から消えたのは、もう5年程前だ。

 そこから少なくとも3年間は騎士として国に仕えていたということになる。

 ロイがいた頃も、日中は姿を消していたので、オレに指導を行う傍ら、騎士として国に仕えていたという説も濃厚だ。


 皇帝殺害なんてことをロイがやるとは……いや、あの男ならやりかねない恐ろしさはある。

 目的のためには手段を選ばないような男というイメージが一番しっくりするからだ。


 謎が謎を呼ぶ。

 

「あの事件を知っている人は少ない。でももしかしたらリドくんに対して、学園の風当たりが強くなることもあるかもしれない。嫌なことがあったらすぐに相談してね。私は貴方の味方だから」

 

「あぁ、分かった」

 

 オレとベティーの話はそこで終わった。

 恐らくここまでがベティーの思惑通りという気がする。

 誰にも聞かれずふたりで話をするには寮という場所は人の目がありすぎる。

 他の寮生が帰ってくる前に、エマを部屋に封じ込める。

 一時的に時間ができた所でこの話をするつもりだった。


 勿論オレの推測かもしれないが、見た目に反して相当に計算高く、鋭い女なのかもしれない。


 その後は特に目立った話はしなかった。

 この寮はロベルト達が入学した年に建てられたので、築25年くらいだとか。

 

 エマは編み物が趣味であの部屋にあったのは全部エマの手作りだとか。


 アリシアは少し危なっかしいところはあるけど、寮の中でも学園でもみんなに慕われているだとか。


 そんな話を楽しげに語るベティーだったが、オレの頭の中にはロイのことしかなかった。

 

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