第28話
試験が終わり、今後の打ち合わせを兼ねた説明を受けた後、オレはエマに連れられて理事室の前に来ていた。
中でロベルトが待っているとのことで、呼び出しを食らっているみたいだ。
「失礼致します」
エマが三度ノックした後、中から入室を促す声が聞こえて扉を開けた。
部屋の一番奥で椅子に座っているロベルトは、机の上で手を組んで偉そうにしていた。
夕陽が背後から照らしていて、謎の威圧感を持っていた。
「よく来たな。まず最初に言わせてもらう。よくやった、リド。お前は頑張ったよ」
「あ? おう。頑張ったぜ。我ながら程よく普通を演じられたように思える」
入室してすぐ、顔を苦々しく歪めているロベルトが、そんな褒め言葉を送ってきたので、オレは思わず頭を掻きながら照れる。
オレが試験を受けているところを見ていたエマは、あのロベルトが誉めるレベルだと思っていなかったらしく、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
「……走力。ブービー」
ロベルトの言葉を受けて、エマが口をあんぐりと開けてこちらをみている。その視線は何故か痛く感じた。
ちなみにブービーとは下から二番目という意味だ。
「……剣術。ドベ」
おかしいな。しっかりやれたと思ったが最下位だったようだ。
「学力。下から十番目。これはまぁ頑張った方だな」
上二つで感覚がバグったのだろう。
ロベルトはよく頑張ったとでも言いたげな顔で、優しくこちらを見つめていた。
横にいるエマの顔は、口を開けたまま目を見開いており、夕日によって顔半分に影ができている。
とんでもないバカを見ているような顔だった。
「……まぁいい。編入はなんとか出来るから、この話はこれでおしまいだ。今呼び出したのは別の理由だ」
場を正すように、ロベルトは一度咳払いをした。
それで正気に戻ったエマは、その場で背筋を伸ばして姿勢を正す。
どうやらオレの公開リンチのために呼んだわけではないようだ。
理事長室は執務室のような場所だ。
紫のカーペットの上には広い机があり、それを囲むようにしてソファーが置かれている。
学園はコンクリートで出来ている綺麗な白色だが、この場所は木が埋め込まれているのか、歩いているとキシキシと床から木が軋む音がなっていた。
「よっこいしょっ」
話があるのなら立って聞くのも馬鹿らしい。
緊張しているエマと違って、オレは遠慮なくソファーに寝転ぶ。
正直丸一日アホみたいなことばかりやらされたので心が疲れている。
「おいロベール。飲み物」
使用人に命令するようにロベルトに給仕を要求する。
別に怒っている様子はなく、むしろ子供を見るように優しい顔をしていた。
ロイの友人だと聞くが、確かにその息子なら子供みたいなものか。
「少しは礼節と言うものを知らんのか!? ロベルト様にそんな態度をとるな!」
エマはとうとうぷちんと来たのかポニーテールを震わせながら激昂していた。
相変わらず感情の起伏が激しい。
最近は感情を全く表に出さないヨルと過ごすことが多かったので、何故か久しぶりな気分だった。
「エマちゃん、そう怒らなくてもいいんだよ。リド、紅茶しかないがそれでいいか?」
ロベルトは眉根を掻きながら困ったようにエマを宥めて席を立った。
ポットが置かれている場所に使っているので、紅茶を入れようとしているのだろう。
「わ、私がやります。ロベルト様」
英雄騎士にそんなことはさせられないとロベルトが向かった方へ歩いて行ったエマ。
「そうか? ならばお願いする」
ロベルトはエマの圧に気圧されたのか、オレの寝転がっているソファーの対にあるソファーに座った。
「……エマって馬鹿真面目だよな。騎士ってのは真面目じゃないとだめなのか?」
ソファーに深く腰掛けたロベルトを片目を確認してからオレは口を開いた。
もし、オレにエマのようになれと言うのなら、恐らく死んで生き返っても無理だろう。
可能性の一つとして、10年くらい寺に入ればある程度までは礼節を学べるだろうが、そんなことをする気は毛頭ない。
「国に仕えるのが騎士という立場だ。真面目なのは悪いことではないよ。だだ……」
ロベルトは紅茶をカップに注いでいるエマの後ろ姿をちらりと見る。
「真面目すぎる騎士は総じて長生きしない」
エマには聞こえない声量でそう言ったロベルトは、悲しげな顔を浮かべていた。
「だろうな」
主の盾になるのが騎士。
戦争に駆り出されるのも騎士。
他の国では軍人などとも呼ばれるのが騎士だ。
国を守り、そのためなら命を捨てる国防装置。
「剣を持って生きる以上、長生きできないのは当たり前か」
「……そうだ」
紅茶を作っているエマの後ろ姿を見る。
不器用ながらも、慎重にカップへ紅茶を注ごうとしている。
そんないかにも年頃と言った感じの女の子が、上の無茶な命令に従って死地に向かう未来を想像して、オレは少しだけ不快感を覚えた。
エマは、国の為なら死ぬとわかっている命令であろうと迷わず従うだろう。容易に想像がつく。
アリシアがそんな指示を出すとは思わないが、戦争が起きれば軍部の指示は辛辣になる。
エマとはまだ1ヶ月くらいの短い付き合いだ。
だが、オレが倒れそうになったときには身体を支えてくれて、学園に入るという話が出たときには『私がおまえの面倒を見る』とまで言ってくれた。
そんな女が死ぬ場面を見たくないと思えるくらいにはオレはまだ腐っていないと思っている。
もし自分の命の天秤にかけた時は、エマを切り捨てる確信はあるが、そうでもない状況なら可能な限り死んでほしくはない。
ロベルトはそんなオレの心中を察してか、口元を柔らかく緩めた。
「紅茶を入れてきました」
エマが紅茶とティーカップを載せたトレイを手にオレ達の元へ戻ってきた。
そんなエマに話しかけるわけでも、手を出すわけでもなく、その顔をただジッと見てみる。
エマの生き方は、きっとその顔と同じで綺麗なのだろう。
少しだけそんな彼女が眩しく感じた。
エマは紅茶を机に置きながら、「なんだ?」とオレの視線を受け止め、居心地悪そうにしている。
「別になんでもねぇよ」
ソファーに横になっていた身体を起こして、しっかりと座り直したオレは紅茶を受け取る。
それを口に運んでみれば、茶葉の味と香りが口いっぱいに広がって鼻に抜けていく。
「……うまいな」
文句の一つでも言ってやろうと思ったが、熱すぎずぬるすぎず、紅茶の上品な香りが漂ってくる。
本職のメイドであるカーラやヨルが淹れたものも飲んできたが、これも素直に美味いと感じた。
「……あぁ、美味だなぁ」
ロベルトもリドと同じようにしみじみと呟いた。
老人のお茶会のような雰囲気が辺りに満ち始める。
「ありがとうございます」
エマは自分の淹れた紅茶が好評だからか嬉しそうに照れていた。尻尾があったら振っているだろう。
エマはオレの隣に腰を下ろし、紅茶を飲んで頷いていた。
自画自賛だ。
しばらく紅茶を楽しんでいた三人だが、今回は茶をしばきに来たわけではない。
出された茶菓子を飲み込んでからロベルトへ本題を切り出す。
「それで? オレになんか話があるからここに呼んだんだろ? ロベール」
「そうだ」
紅茶をテーブルに置き、ロベルトは申し訳ないというように後頭部を書いて苦笑いを浮かべていた。
「これからリドが住むところについて説明してなかった」
「オレの住む場所?」
「そうだ、お前には寮に入ってもらう。寮母の方にも話は通してある」
ロベールはどこから出したのか羊皮紙をオレに差し出した。
「金は俺が払うから心配しなくていいが……一応、ここにサインして欲しくてな」
ロベルトはリドに胸元からペンを差し出す。
ここ一カ月の訓練の成果を見せる時が来たようだ。
「サインなら得意だ。まかせろ」
丁寧に自分の名前を記入していく。
その文字を見て、エマは少しだけ驚いたような声を上げた。
「達筆だな。とてもあそこで育ったとは思えんな」
「ヨルが教えてくれたんだ。なんでも、字が綺麗だと生き方まで綺麗になれるらしい」
「なるほど、妙な説得力があるな。素晴らしい考えだと思うぞ」
テストの時に見たが、エマの字もかなり達筆な方だった。
そんな彼女に褒められるのは少しばかり気分がいい。
「それで? どんな寮なんだ?」
アリシアやエマも学園に宿泊していると言うが、間違いなくオレとは別の寮だろう。
男女が同じ屋根の下で過ごすなんて間違いが起きても不思議ではない。
仮にも理事長の立場のロベルトがそんなことをするわけがない。
注意事項などの文が書かれた羊皮紙に視線を落とす。
「……エマちゃん、リドの面倒を任せてもいいか?」
ロベルトはエマに確認する。
少しばかり嫌な予感がした。
エマはキリッとした態度でロベルトの言葉に応える。
「はい、リドは世間知らずですので、私に出来る限りは支えるつもりです」
「……なら、エマちゃんと同じ部屋にリドを置いていいか?」
「はい。……ん? はい?」
ロベルトの発言にエマは目を丸くして首をかしげる。
オレも意味がわからず、思わず首を傾げていた。
「エマちゃんが住んでる寮は二人部屋だけど、一人だと聞く。公私ともにリドを支えてやってくれないか?」
「え!?」
エマは顔を真っ赤にする。
「……話の流れからそんな予感はしてたが、案の定エマと同じ部屋なのか。あれ、ならアリシアは?」
「アンリ様も同じ寮だ。というかそもそもあの寮は……」
「――女子寮だが、リド。いいか?」
エマの言葉の先を言うように、ロベルトはなんてことなさそうな様子でそう聞いてきた。
普通は聞く方が逆だろう。
「……その寮は女しか居ないって事か? 男の寮は?」
「騎士は男のほうが割合が多いからな、女子寮しか空室が無いんだ」
「待って下さいロベルト様! ふ、風紀の乱れが……」
エマはリドを見て、顔を赤らめてもじもじしだす。
チラチラとこちらに視線を向けてきて、オレが見れば視線を逸らす。
意識しすぎだと思うが、年頃の女ならこれが普通か。
「リド。絶対に寮の女の子には手を出すな」
口元を少しだけ緩めているロベルトは、そんなことを言ったが、次の瞬間には白い歯を輝かせながらサムズアップする。
「だがもし! 何もないと思うがもし! お前みたいな粗暴な男がタイプって貴族の令嬢がいるかもしれない。ないと思うがもし! 良いことが起きそうならこれを使え」
そう言って、ロベルトは机の上に四角い包装で出来ている何かを差し出してきた。
パッケージにはセーフティーゴムと書かれている。
所謂避妊具だと思われる。
エマの顔から湯気が噴出してソファーに背中から倒れる。
「……別にどんな場所でも寝られるがよ。とりあえず行ってみるか」
そのゴムを指先で弾いてロベルトに返したオレは、そのまま立ち上がって出口に向かって歩き出す。
「なんでこんなことに……」
エマはそんな馬鹿二人を見て大きなため息を吐いた。
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