ドルメン 第 51 話 アルタフィ危機一髪


 アルタフィは、頭痛を覚えて深い暗闇から目を覚ました。車でカルモナに行くはずだった……、携帯電話を取られてしまって……。記憶を呼び覚ましながら、手を動かそうとしたができなかった。そうだ、グティエレスに誘拐されたのだ。首に痛みを感じて気を失ってしまった。今は暗闇に囲まれて、空には星がまたたいている。どこかの郊外らしい。


 足音が聞こえて、アルタフィはじっとした。話し声も聞こえるが誰かはわからない。


「まだ連絡はないのか」

「まだだ、もう少し待とう」

「しかし、ここに来て大分経つぞ」

「手順は知ってるだろう。電話が来るまでは始められないぞ」

「携帯を持ってきてることが変なんだ。追跡されるだろう」

「大丈夫だ。ドイツで移民の奴らから買ったんだ。昔のプリペイドの携帯だ。その中では最新のやつだ。高く付くが安全だ」


 声は再び遠ざかっていった。アルタフィは手と足を縛られて、自分が生贄になろうとしているのだということがわかった。しかし、自分は七番目のはずだ。六番目はどうしたのだろう。グティエレスが持ってきたシスネロス教授の手紙は、本人の筆跡だった。誰がこの儀式を取り仕切っているのか? シスネロス? 父? 誰からの電話を待っているのだろう? 声がまた近づいてきた。


「どうする?」

「待つしかないだろう?」

「何を待ってるんだゴドーか??」

「六番目の生贄の儀式が終わったかどうかだ。六番目が終わらなければ、七番目は実行できない」

「それまでどうする」

「女を隠して待つしかない」

「おい! 高僧が来るぞ」


 アルタフィの心臓が鋼のように打った。心臓の音が耳に響いたが、高僧の声を聞けば誰かわかるかもしれないと思った。しかし、急に男たちは慌て始めた。


「おい、あのライトはなんだ? 誰かほかに来るって言ってたか?」

「聞いてないぞ」

「ここの警備員じゃないか? ヤバい、ずらかろう」

「女はどうする?」

「置いていけ!」

「俺たちのことがバレるぞ。俺が一番ヤバいじゃねえか!」

 アルタフィは、それがグティエレスの声だとわかった。

「今はそんなこと心配してる場合じゃねえ、行くぞ」

「殺っちまった方がいいんじゃねえか? 少なくとも口を割ることはないだろう?」

「ばかやろう、あの方がお許しになるはずないだろう。この女は特別だ。またどうにかして捕まえるさ」

「でも、次がなかったら?」

「今は考えるな、そら、行くぞ!」


 その瞬間、アルタフィは力を振り絞って男たちを振り返った。彼らは走っていくところだった。グティエレスの横に三人見えた。二人は素早く、一人は遅れていた。辺りは再び静けさに包まれた。


 アルタフィはどうにかして上体を起こした。ライトは警察のパトカーだった。誘拐犯たちは逃げ出したが、パトカーはドルメンから離れたところで停止してしまった。ライトは墳墓を照らしたが、アルタフィは墳墓の陰になってしまっていた。パトカーは引き返していった。


 アルタフィは、自分の携帯が予期せぬ方向に移動しているのにマケダ警部が気付いて、近隣の警察に警戒を促したのだと思った。しかし、ここに来た地元警備隊は異常なしだと思ったのだろう。どちらにしても、誘拐犯たちが戻ってこないうちに逃げ出さなくては。アルタフィは苦労して立ち上がると、誘拐犯たちが逃げていった方向に飛び跳ねていった。


 ここがドルメンなら柵があるはずだ。どこのドルメンだろう、メンガ、バレンシナ、ガンドゥル、ソト……。どこであれ、まず出口を探さなくては。


 柵に辿り着くと、疲れ切って寄りかかった。すると金網の鋭い部分に背中が当たった。アルタフィは後ろ手になったまま、その鋭い部分を探し当て、自分の手首を縛っている縄をそれに引っ掛けた。それからゆっくりと、徐々に激しく手首を動かした。金網が縄を切ってくれればありがたいと思った。幸いなことに、縄は数分で緩くなった。縄を解いて両手が自由になったときの解放感に心底ほっとした。しかし、アルタフィは周囲への警戒を怠らなかった。今度誘拐犯に見つかったら見逃してもらえる可能性はほぼない。


 それから足の縄も解いて、誘拐犯たちが逃げ出した場所を探し当てた。地面に近い所の金網が切られていた。アルタフィは柵を抜け出し、しばらく歩いてドルメンに続く道に辿り着いた。それでも誰かに見られているようで、身を隠すようにその道を辿り、先程まで自分が生贄にされそうだったドルメンから足早に離れていった。


 足が痛くなるほどに歩いて麦畑の向こうに家を見つけたとき、アルタフィはほっとするのと同時に倒れ込んでしまった。町の標識が見え、自分がいた場所がセビーリャから西に四十キロほど行った場所にあるソトのドルメンだということが分かった。


 どれくらい歩いたのかわからないが、ようやっと町に入った。時計は午前を回っているはずだ。通りには誰もいなかった。携帯も持っていないので、どうやってマケダ警部に連絡を取ろうかと思っていると、若い男が二人、肩を組んで歌いながらやって来た。アルタフィは誰かに出会えて嬉しくなった。男たちはアルタフィに話しかけた。


「いよっ、美人のおねーさん、俺たちと飲みに行かない?」

「すみません、今何時だかわかりますか?」

「パーティーを始めるにはいい時間だよ〜」

「……今、朝の四時です」と、あまり酔っていなさそうな男が代わりに答えた。

 彼はアルタフィを頭から爪先まで見て、泥だらけの女に何が起きたのか想像しようとしていた。

「この辺りに治安警備隊の詰め所はありますか?」とアルタフィは尋ねた。

「ええ〜、治安警備隊〜? また色気のない所に……」

 再びまじめな方の男が遮った。

「おい、ふざけるのはよせ。この人は何か困ってるんだろう。強盗にあったとか……」

「ごめんなさい、説明してる暇はないんです。ともかく警備隊のあるところを教えてもらえませんか?」

「こっちです、一緒に行きましょう」


 治安警備隊の隊員は、アルタフィの説明を理解できずに何度も説明するように頼んだ。アルタフィはしびれを切らして、隊員から電話を借り、マケダ警部に連絡した。マケダ警部の電話番号を覚えていなかったので、緊急電話にかけ、それからあちこち回されてやっとマケダ警部に辿り着いた。マケダ警部の声を聞いて、アルタフィは初めて安心して泣きそうになってしまった。


「アルタフィ! どこにいるんだ?」

「トリゲロスにある治安警備隊の詰め所です」

「トリゲロスって……隣の県じゃないか。大丈夫か? なんでそんなところに? カルモナで君の携帯の信号を見失って一晩中あの辺を探していたんだ。心配したぞ」

 アルタフィは今夜起きたことを簡単に説明した。横では治安警備隊の隊員が、何度か聞いた話をうんうんと頷きながら聞いていた。

「ともかくそこから動くんじゃない。今から行くから。現場検証をしなけりゃならん。警備隊の隊員は上司に連絡しなさい。四十五分ほどで着くから」


 *  *  *


 横でうんうん頷いている警備隊の人が呑気っぽくていいです。


(初掲: 2024 年 11 月 16 日)


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