ドルメン 第 37 話 アルタフィの囮作戦


 アルタフィは、アルカラ デ グアダイラのドルメンのある所にはやっぱり入れなかったようです。


 *  *  *


 木曜日の午後、アルタフィは母の車でアルカラ デ グアダイラに向かった。セビーリャからわずか十五分のところだ。そこで、ルイス レイナに会うことになっていた。レイナはアルタフィの同級生で、もう何年もアルタフィに好意を示している。しかし、アルタフィは彼に興味がなかった。彼はアルタフィのタイプからかけ離れているからだ。アルタフィは彼を典型的なガリ勉(注1)だと思っていた。ただ、彼は時間を持て余していて便利だった(注2)。彼も、仕事にあぶれていたのだ。彼の最初の仕事は私立学校での教諭だったが、不況でクビになった。それから十四世紀のセビーリャ王国についての論文を書くために、博士課程に入った。アルタフィには何の興味も持てない内容だった。


 ただ、アルタフィもレイナも社会の不適合者だった。親たちからは大学に行って、市役所に務めるように勧められたが、誰も彼もが市役所に務められるわけがない。会社を興さなければ雇用は生まれないが、スペインでは行政が複雑過ぎて新しいビジネスはなかなか立ち上がらなかった。結果、アルタフィたちのように学歴は立派だが、どこにも務められないという若者が溢れた。


 ルイス レイナは、アルタフィにとって代打だった。アルカラに来るにあたって、アルタフィは最初にアルフレド グティエレスを誘ったのだが、断られたのだ。

「お前と一緒にドルメンを見に行くほど物好きじゃねえ。お前だって行ったら危ねえだろうが」とキレられたのだ。

 アルフレドは変わった男だ。コミュ障だと思う(注3)。彼が犯人の一人の可能性はあると思うが、彼は単純で今回の事件のような恐ろしいことを計画できるような人物ではない。しかし、アルタフィは断られたとしても、彼を誘うことで、彼が犯人かどうかを確認しようと思ったのだ。


 ルイス レイナとは、レストラン「モンテカルメロ」で待ち合わせた。しかし、実際に行ってみるとレストラン名は「カサ ラモス」となっていた(注4)。

 レイナは既に来ていて「名前が変わったね」と挨拶代わりに言った。

「そうね……。アイス コーヒーを頼んでくれる?」

「ウェイター、アイス コーヒーとグリーン ティーを頼む」

「お茶なんて飲むの?」

「うん、健康にいいからね」

 アルタフィは彼らしいと思った。大学ではコーヒー党とお茶党に分かれていた。アルタフィはコーヒー党でお茶の味は激マズだと思っていた。運動や健康に気を使うお茶中毒者の一員になるくらいなら、コーヒーを飲んで早く年を取って病気になって死んだほうがましだと思っていたそんなに?


 アルカラへはレイナの車で行くことにした。工業地帯を抜けると途端に空が広がり、石灰砂岩が反射して黄色に見える道がその下を縁取っていた。狭い道を行くと、有刺鉄線を張った背の高い金網があった。左側には「危険」と書かれた軍用地があり、右側にはオリーブの林があった。林の向こうには小山があり、アルタフィはすぐにそれがトルーニョの砦跡だということが分かった。


 エル ガンドゥルは、歴史に恵まれた場所である。最初の重要な銅石器時代の居住地があり、青銅器時代の町、タルテソス時代、ローマ時代と続く。当時の塔と防塁がトルーニョの遺跡として地中海の林の下に埋まっているのだ。トルーニョの砦跡のふもとには、六千年前のクエバ デル バケロ、テルミノ、トロス デ カンテラスなどのドルメンと、ローマ時代の共同墓地が残っている。しかし、これらのドルメンは軍用地の中にあり、金網越しに見て回ったが近づくことはできなかった。南部らしいゆっくりとした様子で日が暮れて来た。最近のスポーティなデザインの自転車に乗った二人が行き過ぎる。アルタフィたちは車でエル テルミノのドルメンに行くことにした。


 五分後、アルタフィたちはやはりドルメンに近づけないでいた。ドルメンは私有地の中にあったのだ。門の外で車のホーンを鳴らしてみたり、大声で怒鳴ったりしたが、誰も出てこなかった(注5)。最終的にトルーニョの砦跡に行くことにした。そこから、ドルメンも共同墓地も見下ろせるはずだった。車を停め、柵を乗り越えて小山の上を目指した。

 そこで、再び自転車に乗った二人が行き過ぎた。先ほどと同じ人たちのように見えた。二人は、アルタフィたちの車の横を過ぎると、アルタフィたちを振り返って見た。その様子にアルタフィははっとして、突然、自分たちがいかに危険な立場にいるかを意識した。「火遊びだ」とアルタフィの母は言った。自分はともかくとして、レイナが生贄として殺されてしまう危険さえあるのだ。


「見ろよ、なんだか古い陶器があるぜ!」

 遺跡の床にはローマ時代ののタイルが散らばっていた。アルタフィの心配を他所に、レイナはローマ遺跡に夢中になってどんどんと進んでいった。

「もうすぐ頂上だ!」

 レイナは子供のようにはしゃいでいた。アルタフィも諦めてレイナについていこうとしたとき、茂みで何かが動いた。アルタフィは凍りついたように動けなくなってしまった。

「ルイス、先に行かないで。ねえ、エル ガンドゥル宮殿にも行こうって言ってたじゃない。そっちに行かないと日が暮れてしまうわ」


「それもそうだな」とレイナは同意して、二人は砦跡を下った。エル ガンドゥルの宮殿(注6)に着くとと、中世に詳しいレイナの独壇場だった。彼は饒舌に当時の歴史について語った。ルイスは宮殿の周りを歩きながら、メモを取っていた。アルタフィは夕闇に嫌な予感を抱きながら付いて回った。

「ここには中世の村があったんだ」

 二人がたどる小道は、発掘された塀に挟まれて、塀の向こうには手つかずの遺跡や朽ちた農家が残っていた。その中で一人しゃべり続けるレイナのシルエットは誰か知らない人のもののようだった。レイナは速いペースで歩き続け、薄闇の中でアルタフィは中世の暗闇に捕らわれたような気がしていた。そしてアルタフィは背後に足音を聞いた。


「ルイス! 行かないで、戻ってきて!」

 暗闇が迫ってきて、レイナの声も聞こえなくなってしまった。アルタフィは自分の息だけが聞こえる暗闇に閉じ込められた。


 突然遠くで叫び声が聞こえ、倒れる音がした。レイナが襲われている! アルタフィは動けなかったが、思い切り叫んだ。あらん限りの声を振り絞って助けを求めた。走って近づいてくる足音が聞こえ、またたく懐中電灯が見えた。想像していたより、ずっと大人数だった。これでお終いだ。そう感じたアルタフィは叫びながら宮殿の方に向かって走った。しかし、足がもつれて転んでしまった。懐中電灯が自分に当たる。アルタフィは戦おうと決め、立ち上がった。


「アルタフィ、落ち着いて! 我々は国家警察です!」

「……誰?」

「あなたを警護していたんです。何も危険はないので落ち着いてください」

「あの、自転車の人たちも? 砦で藪ががさがさしたのも?」

「そうです。すべて警備の警官です」

 アルタフィは、安心のあまり、近くの警官の一人に抱きついた。

「ルイスは?」

「彼は遺跡に躓いて転んでしまったんです。そこを警護していた担当者が彼を助けようと近づいたので、驚いて叫んだんです。今こちらに向かっています」

「びっくりしたわ……」

「今日の午後はずっと付いていました。誰もあなたたちを尾行していませんでしたよ」


 アルタフィは家に帰ると、考えを整理した。

 今日エル ガンドゥルに行くことは、アルフレド グティエレスとルイス レイナ、そして母しか知らない。警察はどうやってあんな大掛かりな監視を付けたのだろう? グティエレスとレイナが警察に知らせる可能性は低い。母とは直接話をした。ということは、家も盗聴されているのだろうか? だとしてももう驚かない。ただ、誰も信じられなかった。母にも何を伝えたらいいのか、どんな態度を取ったらいいのかわからなかった。


 アルタフィはマケダ警部に怒りながら電話をした。もう遅い時間だったが構わなかった。

「マケダ警部、母の盗聴器を外してください。今日、犯人がエル ガンドゥルに現れなかったことで、母が関係ないことがわかったでしょう?」

「アルタフィ、落ち着いて。我々が君のお母さんを害することはない。ただ、お母さんには言わないでいて欲しい。君だって、知らないところで何が起きているかわからないのだから」

「マケダ警部、あなたはとんだクソ野郎だわ」

「私は警察官なんだよ。自分の仕事をするだけだ。おやすみ、アルタフィ。ゆっくり休んで」


 *  *  *


(注1)ガリ勉

 原文は empollónエンポリョン (孵卵係)となっています。サラマンカ大学の広告によると、語源は十六世紀から十七世紀に始まり、裕福な学生がそうでない学生に(お小遣いを払って)サラマンカの厳しい冬の間、講義室の席を温めさせたことに始まるそうです。席を温める様子を雌鶏が卵を温めるのに見立てたんですね。でも、それがなぜガリ勉になるのかというと、席を温めるだけでなく、パシリとしてあれこれ使うのに十分な頭を持っている貧乏学生を選んだからだそうです。


(注2)彼は時間を持て余していて便利だった。

 まさにパシリ扱い……。カラスコ教授のときもそうだったけど、すぐ「タイプじゃない」とか言うし、アルタフィは男運がないんじゃなくて、性格が悪いだけなんじゃないか? しかも、下手したらレイナくんは殺されてしまうのに、そんなところに誘う?


(注3)アルフレドは変わった男だ。コミュ障だと思う。

 ……? 出てきたキャラで一番まともな感じがしますけどね? だって、突然キレるロベルト サウサとあんまり付き合いたくないし、カラスコ教授がポルトガルのホテルで起きてこなかったときにも最初に変だと言っているし、ホテルの人を呼びにいったり、しっかりしてる人だと思いますよね? ドルメン殺人事件が連発してるときに「ドルメンに行こう」って、そっちのがどうかしてると思うんですけど……。


(注4)カサ ラモス

 実際にあるレストランです。G○○gle で Restaurante Casa Ramos Sevilla と検索すると右側のペインに表示される施設です。写真をクリックすると、お料理とか店内の様子が見られて楽しいです。バーベキューのレストランのようで、お肉が大盛りですごいです。


(注5)門の外で車のホーンを鳴らしてみたり、大声で怒鳴ったりしたが、誰も出てこなかった。

 いや、こんなことされたら怖くて出てこれないでしょ。アメリカだったら銃で打たれそうです。


(注6)エル ガンドゥルの宮殿

 本当の宮殿ではなくて、十六世紀から十七世紀に作られたバロック様式の領主屋敷だそうです。今も私有地で警備員が置かれているらしいです。周りは廃村になっているようですが、当時の建物や壁などがまだ残っているとのことです。


 *  *  *


 なんかちょっとバカっぽいエピソードでしたが、これで安心させておいて次はどーんと第六の事件が起きるに違いありません。ルイス レイナくんはなんだか無邪気そうな人なので、被害にあって欲しくないです 🥺


(初掲: 2024 年 9 月 24 日)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る