第26話:宿への帰還
「っと。周りに人は……いないな」
『転移』で戻ってきたのはボーリスの街の南側。『安らぎ亭』の近くの路地裏だった。
メインストリートからも離れたここは、人気も少ないため突然『転移』したとしても人に見られることはめったにない。
それでも人がいた時のことを考えてローブと仮面をつけたわけだが、どうやら杞憂に終わったようだった。
あとはローブと仮面をしまって、いつもの星3つ冒険者トーリに戻れば万事解け――
「おにいさん、それなにー?」
「……」
ッスゥー、と口から息が漏れた。
見れば、先ほどまで目を閉じていたはずのリップちゃんの目が仮面姿の俺を捉えている。
「……リップちゃん、目は閉じておいてねって言ってたと思うんだけどどうしたの?」
「え? えっと……おうちのにおいがしたから、ついたのかなって……」
何その匂い俺知らないんだけど。
「……そっか。なら仕方ないか」
俺個人としては仕方ないで済ませられない事態なのだが、それでこの子を責めるのはお門違いと言うものだろう。
万全を期すなら視覚も遮断した『分隔』で『転移』すべきだったのだから。
すぐに済むと思って怠った俺が悪い。
あと、お家の匂いって何なんだ。こんなところまでその匂いはしているのか。
心の中で小さくため息を吐き、「あ、あれは……!」とさも何かあるようにリップちゃんの背後を指させば、それにつられてリップちゃんが振り返る。
その間にローブと仮面を懐にしまいこんだ。
手に持ってたのが消える瞬間まで見られるのは避けたい。
「? おにいさん、なにかあったの? さっきのおめんは?」
「え? あ、うん。何かあったように見えたんだけどなー? どこにいったんだろうねー」
見間違えたのかなー、と白々しく目を逸らしながら俺はリップちゃんを抱っこして『安らぎ亭』へと歩を進める。
「あ、そうだ。リップちゃん、さっき俺がつけてた仮面のことなんだけ――」
「むぅぅぅんっっっ!!! こっちから我が天使リップの匂いがするぞぉぉぉぉぉおおお!!!」
もうすぐ『安らぎ亭』と言うところで、先程見た仮面について秘密にしてもらおうと思ったのだが、その話をする前に俺たちの前方の曲がり角から人影が現れた。
一瞬現れたそれは、憤怒と言うか怒気と言うのか、ともかく怒りのオーラ的な何かを滾らせながら姿を現すと、一直線に突撃してくる。
「あ、おとうさん!」
「リップゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
「え、ちょっ!?」
というか親父さんだった。
リップちゃんの声で、一瞬でオーラ的な何かが露散し、顔面からありとあらゆる液体をまき散らしながらル〇ンダイブをかましてくる親父さん。
巨漢の男が顔面ぐちょぐちょにして上から飛び込んでくる光景はまさに地獄のそれだった。
だからこそ、リップちゃんを抱っこしていた俺が一歩横にずれたのは別におかしいことではない。
「ヘブゥッ」
頭から地面に落ちた親父さんを見て、俺は気まずくなって目を逸らし、リップちゃんは娘らしく「おとうさんだいじょうぶ?」と声をかけるのだった。
◇
「よかった……! よかったリップゥ~……お父さん心配で心配で……!!」
「も~、おとうさんおひげいたーい」
『安らぎ亭』へと戻った俺たちは、一階の食堂で話をすることになった。
話題としては、俺のことと、『安らぎ亭』であったこと。
親父さん曰く、俺たちが森へと向かった後アロウが言ったように友人を名乗る男が『安らぎ亭』へときたんだそうだ。
事前に聞いていたため、特に疑うこともなくリップちゃんはその男をアロウが宿泊していた部屋へと案内したそうだが、部屋にてリップちゃんと二人になった瞬間に男がリップちゃんを拉致。
悲鳴を聞いて駆け付けた親父さんもリップちゃんを助けようとしたそうだが、巨漢とは言え無手の宿屋の主人では武器持ちの現役冒険者には敵わず、結果頭を武器で殴られて気絶。そのまま逃げられてしまったらしい。
ただかなり抵抗はしたのだろう。ボロボロになっている食堂を見れば、その時の必死さはよくわかる。
「ありがとう……! ありがとよトーリ……!! 今度一泊分宿代はただにしてやるからなぁ……!」
「一泊だけ……それより、怪我の方は大丈夫なんですか?」
あちこちに怪我をしている親父さんに聞いてみるが、「問題ないぜ!」と力こぶを作ってみせてくる。
ただ、何でもなさそうに笑っているのは娘を前に心配させないためなのだろう。
聞けば、治療もせずに街中を駆けまわり、娘の捜索をギルドに頼もうとしていたところらしかった。
後で、教会まで連れていくか。
「それより、リップちゃんも疲れてるだろうし部屋で休ませてあげてくれ」
「……そうだな。リップ、お父さんと部屋にいこうか」
「うん、わかった」
おにいさんおやすみ、と親父さんに抱っこされながら手を振るリップちゃんに、小さく手を振って見送った。
そして少しすると親父さんが戻ってくるのだった。
「すぐ寝たぜ。余程疲れてたんだろうな」
「当たり前ですよ。親父さんには何も言ってませんが、怖い目にあってたんですから」
「改めて礼を言いたい。リップを……娘を助けてくれてありがとう」
そう言って深く頭を下げる親父さん。
「……親父さんが言うことではありませんよ。むしろ、俺が謝るべきことなんです。奴らの狙いは俺で、リップちゃんや親父さんはそれに巻き込まれてしまった……本当に、すみませんでした」
そうして、俺は俺を取り巻くギルドでの現状を親父さんに話す。
ギルド内において、同業の冒険者の多くから嫌われていること。そしてその影響で目をつけられ、結果的に『安らぎ亭』の二人が被害にあってしまったこと。
そうして改めて頭を下げようとしたところで、親父さんに肩を掴まれて止められてしまった。
「まぁ確かに、うちの天使が怖い目にあってんだ。当然許されることじゃねぇ」
「っ……あれだけ溺愛してるんです、親父さんからすればそうでしょうね。なので、俺はこの宿から出て行く――」
「だから今度はランページファングの肉、余るくらい持ってこい。飽きるくらいたらふく料理作ってやるからよ」
そう言って、親父さんはバンバンと痛いくらいに俺の肩を叩いて厨房へと引っ込んでいった。
驚いて親父さんを見るが、顔も合わしてはくれなさそうだ。
「……ええ、必ず。でも微妙な料理で無駄にしないでくださいよ」
「うっせぇ! 上達はしてんだもうちょっとくらい待てよ!」
厨房の奥からの怒鳴り声に、つい頬が緩んだ。
本当に、何で俺しか客がいないのかがわからない。
人気になったらなったで、寂しく感じたりするかもしれないけど。
「それより、トーリ。森から戻ってきたところであれだが、早いところギルドに向かった方がいいんじゃねぇか? なんか、街の冒険者共が慌てて向かってたからよ」
「そうなんですか?」
「おう。しかも、男爵様のとこの兵士まで東門の方に向かってたんだ。何かあったんだろうさ。森に行ってたんだろ? 何か知らねぇのか?」
それを聞いて思い当たるのは、森で見た魔物の大群だろう。
ギルド側もそれに気づいて、急遽冒険者たちを集めているというところか。兵士に関しても同様だろう。
恐らくですが、と俺が見たものについて親父さんに教えると、「それ逃げなきゃまずいんじゃねぇか!?」と顔を青ざめさせた。
すぐにリップを起こして避難を、と慌てて厨房から飛びだそうとする親父さんを「大丈夫ですよ」と俺は落ち着かせる。
「俺も冒険者です。この街には魔物一匹侵入させませんよ。なので、親父さんは安心してリップちゃんを寝かしてあげてください。あと、教会で治療もしてください」
「って言ってもよぉ……」
「約束します。それに、親父さんが思っている以上に俺って強いんです。信じてください」
また、肉を持ってきます。
そう言って俺は『安らぎ亭』を後にした。
「それに、不謹慎かもしれないが漸く待ち望んだ舞台ができたんだ」
『白亜の剣』がこの街にいないという絶好の機会に、街に侵攻する大量の魔物。
ボーリスの冒険者や兵士たちも必死の抵抗をするだろう。
そんな最中に現れる謎の魔法使い。
そして一掃される
「さぁ、いよいよ晴れ舞台。今こそ目立つその時だぞ、俺……!」
手にした黒ローブと仮面を身に着けて。
俺はその場から『転移』するのであった。
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