第4話

 だんだん目が慣れてきました。廊下の先に闇に紛れるように誰か立っていることに気がつきました。祖母のはずはありません。祖母は別の部屋で眠っています。それに、そのシルエットは小学校に上がる前の小さな子供くらいの大きさでした。


 ぼくは和室に逃げこもうとしました。障子に手をかけた瞬間、さっきまで反応が無かった天井の蛍光灯が急に灯ったのです。


「う、うわああああっ」


 目の前にいたのは、五歳くらいの男の子でした。身体中が膨れ上がり、白い皮膚ははち切れんばかりぶよぶよしています。顔も風船のように膨れて人相は分かりません。汚れた黄色いTシャツと半ズボン姿で靴は片方無く、全身から濁った水を滴らせていました。

 夏の暑気に混じって川独特の生臭さがむわっと漂ってきて、ぼくは吐き気を催しました。


 異様だったのが、皮膚に黒い斑点がついていることです。それは顔にもついていました。ぼくはあまりの恐ろしさにその場を動くことができません。膝がカクカク震えて、奥歯がぶつかって鳴る音がしました。


 男の子についていた斑点がぽろりと落ちました。廊下の板張りの床に落ちたそれは、もぞもぞ蠢いています。

 よく見ると、それは小指の先ほどの大きさの黒い虫でした。男の子の身体に黒いいも虫がへばりつき、蠢いているのです。


 虚ろな目がぼくの方を見つめています。男の子は口を開きました。その顔は笑っているように見えました。

 開いた口の中から沢蟹が二匹、這い出してきました。ぼくは堪えがたいおぞましさと恐怖に気絶しました。


 朝、祖母が廊下に倒れているぼくを起こしてくれました。情けないことに、ぼくは失禁したままその場に倒れていたようです。

 子供の立っていた場所は泥水でびしょびしょだったのに、何もなかったかのようにすっかり乾いていました。


 それから温泉には日が暮れる前に行くことにして、夜は祖母の部屋にふとんを持っていって一緒に眠りました。祖母はぼくが急に甘えん坊になった、と不思議がっていました。


 その年、夏休みの終わり頃だったでしょうか。祖母の家の近くの川で子供の白骨死体が見つかったそうです。上流で川遊びをしていて流されたということでした。昨年夏のことです。


 水が引いて周囲を懸命に捜索したそうですが、子供は見つからず、行方不明となっていました。当時、雨が続いて増水した川は流れが速く、子供は三キロも下流に流されたそうです。

 細い支流は捜索範囲から外れていたこと、小さな身体は濁流に流され、藪の中に埋もれてしまったことが発見が遅れた要因でした。


 あのとき夜の廊下で見たのは、溺れた子供の姿だったのかもしれません。


 知っていますか。

 蛍の幼虫の主食はカワニナという巻き貝なんです。カワニナの身体に噛みつき、消化液で肉を溶かしながら食べるのだそうです。

 つまり、蛍の幼虫は肉食なんです。


 6月頃に産み落とされた幼虫はカワニナを食べて成長し、秋から冬にかけ脱皮を繰り返して大きくなります。そして翌年の5月から8月にかけて美しい光を放ち、闇に舞うのです。


 あの年は川のそばで蛍がいつもより多く見られ、ぼくは無邪気に喜んでいました。もしかしたら、幼虫に十分な餌があったからなのかもしれません。

 いえ、考えるのはやめましょう。


 翌年以降は家族と一緒に祖母の家を訪れることにしました。和室では家族と一緒に眠りました。あれ以来、平家の落ち武者も子供の姿も見ることはありません。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

現代都市綺譚-恐怖短編集- 神崎あきら @akatuki_kz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ