1‐18
エリアスがルクス達のギルドに加わってから、早いもので二日が経過した。
ギルド団員と言う名の雑用係を命じられたエリアスだったが、彼は意外にも仕事をしっかりとこなし、特に依頼主との交渉事に関しては、ルクスやベオよりもよほど上手に立ち回ってくれていた。
そんなある日の夜、三人は夕立亭で、ささやかな宴を開くことにした。初めての高額依頼達成と、新たな仲間が加わったことに対する歓迎会である。
と言っても、参加者はたった三人なので、普段の夕立亭の夜の喧騒に紛れてしまうぐらいには、本当に小さなものではあったが。
目の前には普段は倹約しているために食べることのない豪華な肉料理が並び、水ではなく味の付いたジュースも食卓に添えられている。ベオは酒を飲みたがったが、それはサンドラとエレナによって却下された。
ここの料理代を払える程度のお金は持っているが、今日はサンドラの奢りらしい。本人が言ったわけではないが、こっそりと料理を持って来たエレナが教えてくれた。
「にしてもギルドって聞いてたから、もっと大勢人がいると思ってたんすけど……。本当に立った二人だけなんですね」
「有象無象を集めたところで何になるというのだ。実力人格共に信頼できる少人数の方が、事を成すには効率的だぞ。……まぁ、時と場合によるが」
上機嫌に肉を頬張りながら、ベオがエリアスの質問に答える。
「でも命知らずっすよね。まさか、グシオンがいる街で同じ商売を始めるなんて」
「別にそう言う法があるわけではあるまい?」
「……そりゃそうっすけど」
相変わらず何処かずれているというか、恐れを知らないベオだった。
「どうしたルクス。貴様ももっと食え。食って覇気を付けろ」
ずずいと、ベオが骨付き肉を手渡してくる。
「ありがとう。……いただきます」
肉を手に取り、両手に手を突ける。
サンドラの作る料理は何処か懐かしい味がした。ルクスはそんなものを食べたことがないのにそう思うのは不思議なことだったが、嫌な気分ではない。
「……それで、当のグシオンの連中はどうしている? ここ二日間、全く姿を見ないではないか」
「依頼をくれた人の話だと、全軍を挙げて魔獣討伐に向かったはずなんだけど……」
「壊滅でもしたか?」
「そんな縁起でもない……」
「何を言うか。奴等の力が示されないその時こそが、私達のチャンスではないか。そこで力を示し、この私達ギルド……名前はまだないが、とにかく、このミリオーラに私達ありと教えねばならん」
ぴんと耳と尻尾を逆立てて、ベオがそう主張する。
「そうは言うけど……。実際グシオンが魔獣に勝てなかったらどうするんすか? 騎士団が動くのは当分先になるだろうから、下手したら本当に俺達にお鉢が回ってきますよ?」
「その時は倒せばよかろう。私達で」
当たり前のことを、とでも言わんばかりに、ベオがエリアスを見上げながらそう言った。
「いや、無茶でしょ! ルクスだってそう思うよな?」
「……うーん。勝てるかどうかはわからないけど……。でも、街の人に危害が加わるなら、戦おうと思うよ」
「よく言った!」
ジュースの入った盃を持ち、ベオが愉快そうにそれを掲げた。
「それでこそ英雄を目指す小僧だ!」
ぐいっと、その中身を飲み干す。
活動が一歩先に進んだことが楽しいのだろう。ベオはこの席についてからずっと機嫌がいい。
「……英雄を目指すって、ルクスが?」
「……そうだけど……やっぱり無茶かな?」
「……そりゃ、無理だと思うよ。英雄ってのは強くて、凄い生まれで、子供の頃から凄い伝説を幾つも持ってるような人の事が慣れるんだから」
そう語るエリアスは、ルクスを諫めているようでありながら、何処か自分自身に言い聞かせているようでもあった。
「……無茶だとしても、僕は挑戦してみたいんだ。それが僕の生きる希望だったから」
「……そっか」
「……簡単になれるとは思ってないけど、でも絶対に無理だとも考えられない。僕は今、小さな夢を叶えてるわけだし」
「小さな夢?」
エリアスが聞き返し、ベオが獣耳を立てて興味を示す。
尻尾を軽く振りながら、彼女は肉にフォークを突き立てて、ルクスに尋ねた。
「なんだ、言ってみろ」
「……いや、本当に大した話じゃないんだけど……。こうやって人と食卓を囲むことって、ひょっとしたら憧れだったのかも。なんとなく、今そう思っただけなんだけど」
人造兵と呼ばれた少年は、今賑やかな喧騒の中にいる。その中に居ても許される居場所を、ベオやサンドラが作ってくれた。
たったそれだけのことが何よりも嬉しくて、ルクスは胸が一杯になっていた。
「……ぐす」
鼻をすする音がして後ろを振り返ると、そこにはお盆を持ったエレナが立っていた。
どうやら空いた食器を片付けに来たところで、その会話が聞こえてしまったらしい。
「エレナ、さん?」
「……いつでも、うちに食べに来ていいんですからね! ルクス君は、大事なお客様ですから!」
「……何を勝手に感動しているんだ、あの乳女は」
「その名前、幾ら何でもあんまりじゃないっすか? 幾ら自分が真っ平らだからって。あちぃ!」
「胸の大小に関わらず私の美しさは素晴らしいが、もう一度言ったら次の晩餐には貴様の肉を並べてやるからな」
そんなやり取りをしている二人を余所に、ルクスはエレナの方を振り返る。
彼女の後ろには大勢の人がいた。
当然それらはルクスとは何ら関係のない、この夕立亭に飲みに来ただけの者達だ。
それでも、今はルクスもその一部として受け入れられつつある。
その事実が、何よりも心を打った。
「……ルクスさん?」
不思議そうに、エレナが尋ねる。
ひょっとしたらルクスは少し泣いていたのかも知れない。
人造兵として生み出されて生きてきた日々の中で、こうやって人の中にいることは許されなかった。
それが今、曲がりなりにも叶っている。
今はまだ不完全で、何かの間違いで崩れてしまいそうな土台ではあるが、ここでルクスやようやく、自分の居場所を手に入れつつあった。
そのきっかけとなってくれた少女を見ると、美味しそうに肉料理を頬張りながら、何やらエリアスに対して文句を言っていた。
心の中でだけ彼女に感謝して、輪に加わろうとしたところで、酒場の扉が開かれた。
普段ならば、夕立亭の店員であるエレナ達はともかく、他の客がそちらに目を向けることは滅多にない。特に夜の時間は、酔っ払いが増えてきているのでなおのことだった。
しかし、今しがた入ってきたその人物には、誰もが注目していた。
一斉に、夜の夕立亭の喧騒が消え失せる。
先程まで仕事の愚痴を言っていた者、部下に説教をしていた者、家族の自慢話をしていた者。
その誰もが押し黙り、入り口に立っている一人の男を注視していた。
銀色の髪に、瑠璃色の瞳。長身に鍛えられた体躯を持ち、漆黒の鎧を見に纏ったその男は、一目見て彼が歴戦の勇士であることを伝えてくる。
その背に収められた長剣は彼の代名詞であり、『英雄』の証たるレリック。神の代行者たるこの国の王族より賜った伝説の武具。
静まり返った店内で、誰かが呟く。
「……アレクシス……英雄、アレクシスだ」
その呟きはさざ波のように伝番し、やがては店の中に歓声となって木霊する。
誰もが彼の方を見ながら、どうしてここに来たのかと、そう隣人に問いかける。例え多くの尊敬を集める身であろうと、英雄においそれと話しかけられる豪胆さを持つ者は滅多にいない。
その中で一人、熱に浮かされた顔で飛び出した少年がいた。
「おい、ルクス……!」
ベオが止めるよりも早く、ルクスはアレクシスの前に駆け寄り、自分よりもずっと高い位置にあるその顔を見上げる。
押し黙ったままのアレクシスは、瞳だけを動かしてルクスを見た。その迫力に一瞬下がりそうになるが、勇気を振り絞り声を出す。
「あ、アレクシス……大英雄アレクシス! 僕のことを覚えていませんか?」
十年前、あの炎の中で少年は確かに彼を見た。
その顔も、姿も、立ち振る舞いも、全てはあの時のまま。
それが夢であったと、そう思った時もあった。それでも少年は、彼のことを諦めずに想い続けた。
自分の命を救ってくれた、恩人。
棄てられる運命を変えてくれた、正真正銘の、ルクスと言う少年にとっての英雄。
潤んだ瞳が、アレクシスを見上げる。
「十年前、貴方に助けられました……。炎の中で、僕を救ってくれたことは、あの剣捌きも、走れと言ってくれた声も、忘れられません。ずっと、ずっとそれを頼りに生きてきたんです……! 貴方に憧れて、英雄になりたくて……!」
感極まった涙声が、静まり返った夕立亭に響く。
今日はなんと良い日なのだろう。自分の居場所が見つかっただけでなく、恩人である英雄に出会うこともできた。
ずっとこの日を待っていた。この日のために、辛い日々を生きてきたとさえ言える。
「……そうか」
低い声が、英雄の口から発せられた。
自身を見上げる少年の、無邪気で純粋な瞳に彼が何を思ったのか、その場の誰もわかることはない。
ただ、彼の口から紡がれた言葉は、決して温かなものではなかった。
「……悪いが、君のことは覚えていない」
冷たい響きが、店内に木霊した。
その言葉を聞いて、或いは憐みの声、また或いは多くの人を救ってきた英雄が、その一つである少年のことなど覚えているわけがないという嘲笑の言葉。
英雄の前に飛び出した身の程知らずな少年に、それらが容赦なく浴びせかけられる。
「それよりも、道を聞きたいのだが。ギルド・グシオンの支部は何処に? この辺りだとは聞いていたんだが」
尋ねられ、心配そうにルクスを見ていたエレナが我に帰り、そう答える。
「え、あ……それでしたら、すぐ向かいの建物です。でも、今はみんな魔獣の討伐に向かっちゃって、留守かと」
「魔獣の討伐? そう言うことか」
「ひょっとして、アレクシス……様も魔獣を倒すために?」
「そう言うことだが……。本来ならグシオンと協力して事に当たるはずだった……しかし、予定が狂ってしまったな」
眉を顰めて、アレクシスは困ったような表情をする。
そこに対して、ルクスは今一度勇気を奮い立たせる。
「だったら、僕が一緒に行きます。少しでも何かのお役に立てれば……」
「その必要はない。悪いが、君の実力では足手まといにしかならないだろう。魔獣の力は街一つを容易く滅ぼせるほどのものだ。俺とて、戦って絶対に無事と言う保証はない。……だが、そうだな」
一瞬考え込んでから、アレクシスはルクスの肩に手を置いた。
「もし、明日のこの時間までに俺が戻らなかったら、この街の責任者に言って、人々を避難させてほしい」
「……わ、わかりました」
駄々を捏ねたい気持ちを堪えて、ルクスは頷く。
アレクシスはそれを聞き届けてから、改めて表情を硬くする。
ルクスの両方に手を置き、誰にも聞こえないほどの小声で囁いた。
「それから、君は人造兵だろう? その瞳を見ればわかってしまう」
アレクシスの指摘に、ルクスは身体を固くする。
当然、英雄ともなれば人造兵と戦った経験もあるだろう。誤魔化せるものではなかった。
「……英雄になれるのは、純粋な人間だけだ。人造兵である君が、レリックに選ばれることはない」
一瞬、アレクシスが顔を上げる。
恐らくは他の誰も気付かない間に彼の視線が向かった先には、同じ銀色の髪を持つ、獣耳の少女の姿があった。
しかし、それは本当に刹那のことで、すぐにアレクシスはルクスへと視線を戻す。
そして、はっきりとそう口にした。
「残念だが、君は英雄にはなれない」
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