1‐11
ルクス達が飛ばされた洞窟の中は、広さこそあれどそれほど入り組んではおらず、風の吹いてくる方へと歩いていると程なくして外へと辿り付いた。
すぐ傍に夜営の跡があったようで、恐らくはこの辺りを根城にしている何者かがいるようだったが、幸いにも今は留守のようだった。
二人は淡い光が差し込む方へと、薄暗い洞窟の中を歩く。
やがてそれが外から差し込む朝焼けの光であることを確認すると、ルクスの一歩後ろを歩いていたベオが、急に前に飛び出した。
小さく口を開けている洞窟の出入り口を飛び出して、彼女が外の世界へと躍り出る。
その後に続いてルクスも洞窟から出ると、どうやらそこはマルザの森のようだった。木々はまだそれほど深くはなく、どうやら入り口付近にその洞窟は口を開けているらしい。周囲を見ると草や茂みに囲まれていて、外から見つけるのは難しそうだ。
「ルクス、見ろ! 夜明けだぞ!」
屋敷内での襲撃から随分と時間が経ち、空は夜を過ぎて、朝を迎えようとしていた。
ベオは木々の間にその細い身体をするりと入り込ませると、両手を広げて空を仰いだ。
「ははははっ! 光だ! 陽の光だ! 眩しいな、温かいな!」
「……何を……」
最初、ルクスは彼女が何をしているのかが理解できなかった。急に元気になり、全身で陽の光を浴びるようにしているベオは、先程までの聡明に語る彼女とは別人にすら見える。
彼女のその姿を呆然と見ていると、すぐにあることに気が付く。
その目に、薄っすらと涙が浮かんでいることに。
「……太陽……」
葉っぱの間から、陽光が覗く。
その光はまるでベオにだけ降り注いでいるようにも見えた。
「草木の香りも、土を踏みしめるこの感触も、久しく失っていたものだ!」
彼女の言葉が本当なのだとしたら、それは幾千年ぶりの太陽の温かさなのだろうか。
土や草の香りも、果たしてどれだけの長い時間味わうことがなかったのだろうか。
これは、数千年ぶりの、世界との再会だった。
きっと誰にもそれを邪魔する権利なんかない。
そう思ったルクスは、ベオの気が済むまでそうさせることにした。
彼女は尻尾を振り、小さな両手を広げてはしゃいでいる。
一見すれば子供が遊んでいるようにしか見えないそれは、長い時を生きていた少女の、久方ぶりを喜びの時間だった。
そうして、暫くの時間が経ってから、ベオは満足げな顔をしてルクスを振り返った。
「はっはっは! いや、恥ずかしいところを見せたな。一先ずはこれで満足しておこう。では、征くとしよう。我等の道の第一歩を改めて踏み出すのだ!」
揚々と、彼女は陽の光の中へと歩いていく。
ルクスは自然とその後を追うことができた。
まるで今まで、そしてこれからもそうしていくのが当たり前のように。
▽
「……で、貧乏なわけか」
「貧乏どころか、お金は全くありません」
財布代わりの皮袋を掴み、逆さまに振ってみる。ルクスの掌に転がってきたのは、一番価値の低い銅の効果が一枚。全くではなかったが、どちらにせよパンの一切れも買えはしない。いや、ひょっとしたら捨てる予定のものなら恵んでもらえるかも知れないが。
ルクス達は日が昇るのと同時に、ミリオーラへと帰還した。そこまではよかったのだが、街に入って食事を取ろうとして、金も、なけなしの荷物もないということに気が付いたというわけだった。
そんなわけで二人は、屋敷から焼け出された人々が集まっている建物の軒先で、しゃがみ込んで道行く人々を見送る無駄な時間を過ごしていた。
「でも、屋敷の人達が無事でよかったよ」
街で話を聞き、一番にここにやってきた。中には屋敷に仕えていた使用人の大半と、彼等の元主であるヤルマが今後のことに付いて話している。
「あの太った男は貴様の雇い主なのだろう? ならば働いた分の賃金を頂いてくればいいだろうに」
「僕の分まで回らないよ。屋敷で働いてた人達だってこれから仕事がなくなっちゃったってのに、旦那様はその人達が数日は暮らせるだけのお金を分けないといけないんだから」
「いや、だからお前もそれを貰う権利はあるだろうに」
「……どうだろうね」
自嘲気味に呟く。あったとしても、新参でまだ若く、しかも素性も知れないルクスは一番最後に回されることだろう。加えて人造兵であることが耳に入れば、騙していたなどと適当な罪を着せられて、そのまま追い出される可能性だってありうる。
先程だって、皆の安否を確認するために建物に入った瞬間、明らかに嫌なものを見る視線が突き刺さった。今ここでこうしているのは、単純に行き場がないからに他ならない。
「しかし……。こうしていても腹が減るだけだぞ」
しんなりと獣耳を垂らし、尻尾で地面を力なく叩きながら、ベオがそんなことを言う。
「何でもいいから仕事を得ないといかん。なぁ、当世では人はどうやって金を稼いでいるんだ? これだけの街なのだから、いっそ略奪を……」
「それは駄目。そんなことしたら、英雄どころから犯罪者だよ」
「……面倒な。だが、実際どうするのだ? 私が知っている限りでは大抵の奴は、生まれながらに父や母の仕事を次いで何らかの職を得るものだと思っていたのだが……。思いの外、そうではない人が多いのだな」
「……今は、特にそういう人が多いんじゃないかな」
「どうしてだ?」
膝を立てて座ったまま、ベオがこちらに視線を寄越す。
「魔王戦役があったからですよね」
答えたのは、ルクスではないもう一人の声だった。
ルクス達の後ろにある大きめの窓から、立派な胸を持つ可愛らしい少女が顔を出している。
「エレナさん」
「お前はあの時の乳女か。無事だったのだな」
「乳女はやめてください! お陰様で、無事に逃げることができました」
ここに来てルクスにとってよかったことと言えば、彼女が無事が明らかになったことだった。屋敷で働いていた時から何かとよくしてくれた彼女に万が一のことがなくて、本当によかった。
「あの、それで、ルクスさん」
「どうしました?」
言いにくそうに、エレナは表情を曇らせる。
「あの時は、すみませんでした。ルクスさんが人造兵だって聞いて、わたし……」
「……大丈夫です」
考えるよりも先に、その言葉が出ていた。
そうやって思ってくれただけで、助けた理由がある。それを抜きにしても、もう充分ルクスはエレナに救われていたのだから、それを咎めるつもりなど毛頭なかった。
それを聞いたエレナは安心したのか、ぱっと表情を華やがせると、手に持っていたお皿を二人の目の前に差し出す。その上には、焼き立てのパンが五つほど乗っていた。
「これは……?」
「奥でサンドラさんが焼いてるんです。せめてお腹だけでも膨らませないと、どんどん気分も沈んじゃうからって」
「く、食い物だ! 食べていいのか? 返せと言っても返さんぞ?」
言いながら、ベオは両手でパンを掴み取って口に運んでいる。
「ふ、二人でちゃんと分けてくださいね」
「わかってる、従者の分を奪うほど浅ましくはない。もぐもぐ」
「い、いただきます……」
ルクスも同じように、パンを受け取って食べ始める。特に味付けもない簡素なものだが、長い時間何も食べていない身体には、その素朴さが優しく染み渡っていく。
「エレナさんは、行くところとかは決まってるんですか?」
「ええ、はい。サンドラさんのお知り合いの酒場に、二人でお世話になれそうなので。あの、ルクスさんは?」
「……あはは、今のところは特に。旦那様に雇ってもらえたのも、サンドラさんに温情を掛けてもらった部分もありますから」
「もぐ、ああそうだ。もぐもぐ、うん。それで、もぐもぐ」
「飲み込んでから喋りましょうね」
優しく子供に言い聞かせるように、エレナがベオにそう言った。
「ん、んぐ……。ああ、そうそう。それでだ、その魔王戦役と言うのはなんなんだ?」
「今から二十年前にあった大きな戦いです。魔王、そう呼ばれる存在が発生し、多くの亜人種や魔物、そして魔族達までもを従えてアルテウルに侵攻してきたと」
「……ふむ」
頷き、ベオは続きを促す。
「わたしは生まれてないので詳しくはわかりませんけど、アルテウルはそれによって甚大な被害を受けました。また、魔王戦役で魔王の味方をする亜人種が多かったことから、昨今の亜人種に対する迫害に繋がっていると」
エレナの視線が、一瞬だけルクスを見た。
彼女は語らかなかったが、人造兵の一部もその際に魔王に味方をしている。
その経緯はそれから後に生み出されたルクスにはわからないが、人間達に甚大な被害をもたらし、人造兵と言う存在そのものが危険なものとして世の中に伝わる原因となった。
「もし詳しい話が聞きたいのなら、もっと年上の方に聞いた方がいいと思いますけど」
「いや、構わん」
「ミリオーラや他の大きな街はマシですけど、今もまだ戦役の傷跡は各所に残っていますから」
「……まぁ、そのようだな」
ヤルマの屋敷に雇われていた使用人達。彼等の大半が、帰る場所がない身だ。それを見て、ベオはある程度の事情は察したらしい。
「話はわかった。感謝するぞ、乳娘」
「その呼び方はやめてください!」
「これ以上ここにいても我々に益はあるまい。そろそろ行くとするか。いい加減、寝床ぐらいは確保しなければならんだろう」
「あ、うん」
パンの最後の一切れを頬張って、ベオが埃を叩いてから立ち上がった。
ルクスもそれに合わせて立つと、エレナがそこに声を掛ける。
「ルクスさん……まだしばらくはこの街に居るんですよね?」
「……そうですね、他に行くところもありませんし」
最悪の手段としては、もっと治安の悪いところで傭兵をするという手段も考えている。どちらにせよ、もっと田舎に行けば人造兵であることも気にしない人達だっているはずだった。
「もしよかったら、お店に来てください。サンドラさんに内緒で、何かご馳走しますから」
「わかりました。それじゃあ」
ぺこりと、ルクスは頭を下げる。
この街にいる限りまた再会することもあるだろうが、彼女から受けた恩はルクスの中では非常に大きかった。
いつか、それを返せるような人間になろうと、心の中で誓うのだった。
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