1‐5
結局その日はゴブリンとの戦いでつけられた傷をサンドラに見咎められて、小言を言われる羽目になってしまった。
それから数日後、再びルクスは地下室の掃除を頼まれて、モップを持ってやってきていた。
「なんだ、意外に早かったな」
「僕もそう思います。殆ど綺麗にしたとは思うんですけど」
「甘いぞ。この辺り、まだ埃が残っているだろう」
「あ、本当だ」
少女は冗談のつもりで言ったのだろうが、ルクスはそれを真に受けて丁寧にモップを掛けていく。
「……まぁ、別に構わんがな。どうせ私も、埃を数えるぐらいしかやることもないわけだし。ほら、外であった話を聞かせてみろ。どんな退屈な話でも、今の私ならば我慢して最後まで聞いてやるぐらいには、娯楽に飢えているぞ」
そう請われて、ルクスは先日のゴブリンとの戦いを彼女に聞かせた。戦いの後に会った人達との話は、伏せたままで。
「それから、大きなギルドがミリオーラにも来るみたいですね」
「ギルド? なんだそれは?」
「……え、えーっと……なんか、あれですよ。色々な人の依頼とかを受けて解決して、お金を貰ったりするような、そんな人達の集まりです」
そう問われてみれば、ルクスもなんとなくギルドと言う存在がどう言うものかをわかっていても、彼等に付いて詳しいことは知らなかった。国家とは違う組織に所属する、主に争いごとを中心に物事を解決してくれる人達とか、そんな程度の認識しかない。
「なんだ、よくわからん連中なんだな」
「でも、ギルドの人達のおかげで大分治安はよくなってるらしいですよ。騎士団だけじゃ手が回らないことも多いみたいですし」
「ふぅん……」
少女は退屈そうにルクスの話を聞き流した。彼女の反応を見るに、ルクス自身の体験の方が、興味があるらしい。
「この世界の情勢を私が知ったところで、何の意味もないからな。どうせ、また百年以上はこの辛気臭い地下で過ごすことになるだろうからな」
「もうずっとここにいたんですよね?」
初めて会った時、彼女は人と話すのは千年ぶりだと語った。それが本当のことだとしたら、その孤独は、とても常人に耐えられるものではない。
「ああ、そうだな。……私自身もなんでこうなっているのかもわからんが、気付いたらこの剣に縛り付けられていた。この封印が解ければ、実体を持つこともできるだろうが」
「……やっぱり自由になりたいですか?」
「それはそうだろう。久しぶりに大地に寝転がり、存分に太陽の光を浴びたいものだ。貴様の話を聞くに、人の文明が発達はしているものの、世界そのものはそれほど変化しているわけではないようだからな」
流し目でルクスを方を見て、少女が笑う。それは、見た目からは想像もできないぐらいに大人っぽい笑みだった。
「何なら、貴様がこいつを持って逃げてくれるか?」
「……無理ですよ。僕は英雄になりたいんですから、特別な事情もないのに人のものを盗むなんてできません」
ただでさえ、働き口の多くないルクスに、曲がりなりにも仕事をくれている家のものなのだ。
「だが、そうすれば私は救われるぞ? 英雄と言うのは、誰かを助ける者のことだろう?」
「……それは、そうかも知れませんけど」
少女の言葉は、彼女の気軽さとは裏腹に、ルクスの胸に鋭く突き刺さる。英雄に憧れて、非力ながらもその真似ごとをしようとしている少年には、その辺りのことを真剣に考えるだけの時間も経験も足りていない。
「冗談だよ、本気にするな」
少女のその言葉は、彼女が何かを飲み込んだような、そんな気がした。
それでも、ルクスにはその決断をすることができない。ただでさえ人から疎まれる存在である自分が、そんな悪事を働いたら、今度こそ人の輪の中で生きていくことはできなくなる。
「……太陽の光……」
誰もが当たり前のように浴びているそれを欲するだけの間、彼女は暗闇の中にいたということなのだろう。
「……もし」
「うん?」
「あ、いえ……。何でもないです」
自分が何か、とんでもないことを言おうとしたことに気付いて、ルクスは咄嗟に口を噤んだ。
少女はそれに対して大きな反応を返すことはしなかったが、ひょっとしたら敢えて、聞こえない振りをしていたのかも知れない。
「口惜しいな。私もこいつも、また性質が違ったものだったとしたのなら、貴様を英雄にしてやれたかも知れないのに」
英雄と呼ばれる者になるには、条件がある。
只人とは異なる因果を持ち、そして何よりも古代より伝わる神々の遺産である、レリックと呼ばれる道具が必要だった。
レリックに選ばれ、そして神の代理人たる王家によってそれを授けられることで初めて英雄と呼ばれる。
ルクスにしか声も聞こえず、姿も見えない少女。そして封印された黒い剣。
それは間違いなく希少価値のある逸品ではあるのだろうが、神の遺産であるレリックがこんなところにあるはずがない。レリックは全て国家が管理するものであり、もしそれを発見してしまったら速やかに返還しなければならないのだから。
「だから、どっちにしても僕は……」
例え選ばれていたとしても、それを勝手に持っていくわけにはいかない。
ルクスがそう言おうとしたところで、扉の向こう側から足音が聞こえてきて、慌てて口を噤んだ。
勢いよく扉が開かれて、そこから腹の出た中年の男が現れる。
貴族服を纏い、口元に髭を生やした男の名前は『ヤルマ・ゴードン』。この屋敷の主であり、ゴードン家の当主でもある。
つまりはルクスの雇い主であるわけなのだが、彼と顔を合わせたのは、これが初めてだった。
「お前が新しいメイドか。まったく、サンドラにも困ったものだ。新人にこの地下室の掃除をやらせるとは」
「あ、は、はい。でも、みんなここにはあんまり入りたがらないみたいで……」
薄暗くて不気味な地下室での仕事を嫌がるメイドは多い。ルクスがここの掃除を担当しているのも、サンドラがそのことで困っていたところに手を挙げたからだった。
「嫌なことでもやるのがお前達の仕事だろうに。何のために給料を払っていると思っているのだ……」
ぶつぶつと、ヤルマはルクスに対して小言を言い始めた。こういう部分があるからいい年して独身なのだと、他のメイド達が影で言っていたのをなんとなく思い出してしまう。
「まあいい。そいつに触れていないだろうな?」
ヤルマが指したのは、黒い剣だった。その前では少女が座り込んでいるが、やはり彼には見えてないようだった。
「あ、はい。触るなと言われていたので」
「ふん、ならいい」
口ではそう言いながら、ヤルマは近付いてはルクスの言葉が本当かどうかを確認していた。
「こいつを初めとして、ここにある物に買い手が付きそうなのだ。近々商品を見に来てもらう話になっているのだから、しっかり掃除はしておけよ」
「買い手、ですか? これって、旦那様が集めたものなのでは?」
「違う違う。先祖から伝わったものだ。骨董品を集める趣味もあったようだが……何分今の時世ではな。無駄に腐らせておくのなら、金にでもコネにでもしてしまった方が賢いわ」
先日オヤジさんが語っていた、魔王戦役。
その戦いが終わってから、貴族達は以前ほどの栄華を誇れなくなったとはよく聞く話だ。
その具体的な理由までは、まだ年若く知識のないルクスには理解できないが、どうやらその話は本当らしい。
「しっかり仕事をしろよ! 無駄飯食らいはすぐに叩きだすのが我が家の方針だからな!」
そう言い含めて、ヤルマは再び階段を上がっていく。
扉が閉まり、足音が完全に遠ざかってから、ルクスは背後を振り返って少女の顔を見た。
その表情は、出会った時と全く変わらないものだった。
「……そう言うことらしい。これで貴様とはお別れだな」
「…………」
ルクスは何も言わない。
何も言えない自分に嫌気がさす。
たった数日の短い出会いを割り切ることも、気の利いた言葉を掛けてやることもできはしない。
ましてや心の何処かで離れたくないと感じている少女の封印を解いて、逃げることもできはしないのだから。
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