第8話goki哲学8 ~21世紀の神学~

哲学とか大上段から偉そうに語っていますけど。わたしは人間の「死」って子供の頃からそれほど特別視したことがなくて。周囲の近しい人たちがバタバタ死んでゆく中でも「そういう風にできている」としか感じて来なかった。わたしは21歳で自殺未遂していますが、遺書は「葬式無用戒名無用」。


39歳で伊東乾先生たちと出会ったときでも「人間は死んだらただの生ゴミ」と言い続けていた。実存主義など学んだ所で本質的な思想は変わっていなかったりする。そういう意味では、わたしは本質的には理系人間だと思うし、養老先生の考え方に近いのです(´・ω・`)。


歴史を見ても哲学と宗教が切り離されて考えられた時代の方が珍しい。古代ギリシア、ローマ時代。あとは大体19世紀以降の近現代ですね。神の否定とか唯物論とか。考えること自体許された時代がまれなわけです。そしてそういう時代こそ科学が隆盛し人類が繁栄する一方、人類滅亡の危機などしばしばやりすぎる時代でもある。


「碩学」として今言えることは、今後われわれは積極財政などを使って100年続く新ルネサンスを目指しますが、その後は人類は徐々に後退期に入っていくであろうということ(´・ω・`)。こんな大繁栄期が長続きするわけないし長続きさせるのは危険なことでもある。


哲学と諸科学の隆盛、人類の繁栄期には密接な関連性がある。仮に「KENITOサイクル」と名付けるが。人類の繁栄期を望むタイミングでは哲学を隆盛させればいいし、逆に後退期を望む場合は哲学より神学などを上に持って来ればいい。あらゆる学術はすべて哲学次第だとわたしは考える(´・ω・`)。


なぜ哲学次第なのか。つまり「考える」ことを許されるかどうかは哲学次第なのだ。どんな科学数学も、「考える」という行為に宗教などのバイアスがかかってしまうと台無しになるからである。この「思想の自由」「言論の自由」を担保できるのが哲学的思考であるからだ。


自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。 死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。 何かをすると決めた人間がそれを実行するのを周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。 今知ってることをまだ知らなかった時を振り返って「ああしていれば」「なぜ気づかなかった」と自分を責めるのはまだ手放す準備ができていないから。 人が何を感じてどんな思いでいたか、行動の動機やその正当さなんて、本人以外にはわからない。わかりたいと思うのも、わからなくて苦しむのも他者のエゴ。「理解できないと受け入れられない」は勘違い(恋人に別れを切り出されて理由と説明をやたら要求するひと的な、一種のパニック状態)で、「受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。理解できないと理解すること。 人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける。 参考になるって思う人が一人でもいたら書いてよかった。 みなさん良い一日を(宇多田ヒカル)


哲学だけでは高尚過ぎる、法律だけではギスギスする、経済だけでは身も蓋もない、科学技術だけでは人間から離れていく。そういう世の中に人間性を取り戻す役割を担うのが宗教だと思う。それが本当の宗教と似非宗教カルトの違いだろう。(中嶋哲史)


オバマ大統領が偉大なのは、誰も真似できないような大きな物語を紡いで実行したからで、黒人であることはほとんど関係ないんです。この辺がそんじょそこらのレイシズム、フェミニズムとは次元が違う所。卑屈さがないんですね。女性は弱者、黒人は虐げられてる。オバマ大統領は最初からそんなものを超越していた。


確かにキング牧師やマルコムXの果たした役割は大きい。しかし、黒人なのに、女性なのにスゴいではなく、なんのハンデもアドバンテージもない一人の人間として誰も文句の付けようのない仕事をすること。それこそが本当に差別のない世界を構築することではないか。


「人々は不平等ではなく不公平に怒っているのだ」「リベラルが生み出した問題はリベラルには解決できない」。わたしも大きく影響を受けている橘玲さんの哲学ですが。橘玲さんは欧米の最新の哲学書を原書で読み込んで、分かりやすい日本語の冊子に換えて日本人に伝えるのがスタイル。


差別も区別もない世界。しかし、生活困窮者への福祉は充実している。その処方箋としての積極財政、富の再分配。更にその先ですね、イデオロギー的に納得が難しい、生まれや才能といった人間の本質に関わる不公平。


右派が最初に要求していたのはお金や権力だった。ただ次第に彼らも議論の本質に気付くようになってきた。「お金では買えないもの」を欲しがるようになるのです。生まれや門地、才能だけでなく、愛、友情、社会的尊敬、歴史、最終的には誰かの人間性まで要求するようになる。解決策はないのでしょうか。


「神学」がキーワードになるとわたしだけでなく多くの碩学が考えている。ブッダ、キリスト、ムハンマドが現れた時代がまさにそうで。壮大な繁栄期を迎え本音やエゴが剥き出しになり過ぎた時代に、新しい「神学」が現れ人類をゆっくりと後退期に導く役割を果たす。


「嘘も方便」ではありませんが、神や仏も方便なのです。本当のことを言い過ぎて死にそうなときは、多少の嘘、観念的な議論を混ぜてでも、冷却期間を設けた方が延命に繋がるのですから(´・ω・`)。


「輪廻」「死後の世界」「福音信仰」。愛や友情、平和の尊さを訴えつつ、要所では、「貞淑に」「諦める」という哲学を用いる。わたしも少し神学を真面目に勉強して「21世紀の神学」を書いてみたい(´・ω・`)。


これがホントの「ポンジスキーム」(笑)

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