第23話   復讐はどうするの?

 水槽というガラスの箱に映っている私自身を、ぼんやりと眺めていたら不思議な心地がした。黒い丸テーブルに、黒いイスを用意されたときは、黒ばかり強調されて何事かと思ったが、こうして座って水槽に目を向けると、食べるために獲っていた川魚ではなく、愛でられるために餌をもらっている小さな魚たちが、私たちのことなど我関せずに尾びれをひらめかせている姿に、不思議と癒された。


 本当に不思議だが、なぜかこのひらひらは無心で眺めていられる。焚き火の火も、ぼんやり眺めだすと時間を忘れることがあった。それと似ている。


「これから僕が使うのは、一種の黒魔法だよ。使う側にも使われる側にも副作用は無いんだけど、投影させる規模によっては、魔素の消費量が激しくてすぐに疲れちゃうヤツ」


 ベネットは手のひらで水槽のガラスを撫でたり、魚に笑顔で手を振ったり、ひとしきり奇妙な動きをしたあと、ゆっくりと深呼吸した。


「よーし、オッケー。ヒューリの姿を約十秒間、映像として記録できるように設定したよ。お魚たちが覚えてる間だけだけど、記憶された映像は好きなときにどこかへ再投影できるんだ」


 水槽のある部屋は、それ専用にラファエルがベネットに用意したそうで、他にこれといった目立つ家具などはなく、これは余計な物を映り込ませて撮影場所を特定されないためなのだと、ベネットから説明を受けたときは、なにやら危ない仕事にも使われていそうな気配がしたが、聞かないでおいた。



 事の発端は、時計塔からラファエルの屋敷へ、魔法で帰還したときのこと。フォンデュとの約束通りに、しばらくラファエル邸の周囲を歩いてやろうと思っていた矢先、兄そっくりの容姿を偶然に持って生まれたラファエルが、帰りの遅くなった私たちを暖かく出迎えてくれて、私もそれを無碍にはできずに、けっきょくすぐに屋敷の中へと戻った。


「ここが、お屋敷……ヒューリ様の言っていたラファエル様の住居なのですね」


「そうだ。私もまだ全ての部屋を見せてもらったわけではないから、中がどのような造りなのか、ほとんどわからないのだがな」


 私が球体ガラスの中にいるキノコと会話している姿を、ラファエルが不思議そうに眺めていた。


「それはなんだ!? 美しい女性の声でしゃべるキノコなど、この世に存在してよいのか!?」


 私はキノコの入手経緯について、ラファエルに話すことにした。その間、初めてラファエル邸の夕食を馳走になった。何やら、上質な筋肉を作るための特別レシピを編み出したのだーとかで、やたら鶏肉料理が出てきた。


 私は本当に物を知らずに育ったのだと、少し残念に思ったのは、ラファエルの懇切丁寧な解説がまるでわからなかったことだった。物の名前を知らないし、味も知らないから、その料理が美味しいのかすら、わからなかったんだ。


 私には、幸せや楽しいといった基準が、ない。それはとても悲しいことなんだなと……白い皿に浮かぶ鶏肉のスープを見つめながら、考えていた。


 兄と再会できたことについては、ベネットが簡潔にラファエルに説明してくれた。今の私では、あの時の情景と心情を、上手く言葉にはできなかったろうから、とても助かった。


「なるほどな。俺には色恋話などさっぱりわからんから、まあ肉を食って元気を出せとしか言えんな」


「それで充分、嬉しいぞ。ありがとう、ラファエル。温かい物を食べたら、なんだか、少し悲しい気持ちが落ち着いてきたような気がする」


「それは良かった! 明日は俺と筋トレして、悲しみを吹き飛ばすぞ!」


 筋トレとは何かわからなかったが、ベネットがさりげなく制止していたから、きっと今の私には、まだ早い段階だったのだろう。


 不思議だな。知らずベネットの基準に安心している自分がいる。完全にヤツに任せてしまうのはきっと良くないことだ、でも、信頼して判断をゆだねることができる相手がいるのは、知らないことばかりの私に、とてつもない安心感を与えてくれていた。


 なんだか照れくさいから、ベネットには内緒にしておこう。


「提案があります、ヒューリ様」


 テーブルに敷かれたピンクの座布団の上に、あの球体ガラスが乗っていた。ラファエルが、このキノコを女性だと言い張って聞かないんだ。私もフォンデュは一人の少女だと思う、だからこの扱いはべつにおかしくないから、とやかくは言わないのだが……ラファエルはこのキノコがフォンデュ自身だと思っているようなんだ。


「レオニイ様の網膜にヒューリ様の映像を投影し、ヒューリ様を客席へ擬似参加させる魔法があります」


「おお、そんな方法があるのか」


「はい。ベネット族が互いの連絡用に開発した魔法なのです。そちらのベネット族に質問すれば、高確率で教えてくれるでしょう」


「網膜〜? ずいぶんと難しいピンポイントだな。僕らベネット族はお揃いのゴーグルを持ってて、そこにピントが自動的に合うように設定してあるけど、全く無関係な人間の網膜は、難易度高いなぁ」


「不可能なのですか?」


「う〜ん、どうしようかな……あ、そうだ! 座標がズレないように使い魔のカー君を派遣して、お兄さんの目の位置情報を僕まで送ってもらったら、できそうだよ」


 やるという方向に、話が進みそうだな。だが困ったことに、私にいまいちやる気がみなぎらない。この状況、どうやって説明したものか。なぜ自分の中に激しい怒りが沸かないのか、なんとなくだが、その理由には、なんとなく気がついているのだが、言葉にするのは難しい。


 どうしたものかと考えあぐねている間に、あれよと水槽部屋へと案内されて現状にいたる。


「で、ヒューリはどうする? 式場で浮かれてるお兄さんの目の中に、怖い顔で出席しちゃう? それとも、もう直接突撃しちゃう?」


「私は……」


 ああ、ようやく、はっきりしてきた。私は、やっと心安らげる関係を築けた彼らに、醜い復讐劇など見せたくないんだな。いつも楽しく笑っていて、夢に向かって没頭し、互いに冗談や制止の言葉をもぽんぽんと軽く飛び交い、そんな関係性を築いているベネットたちの輪を、あんなダメ男のせいで汚したくないんだ。


 洗い立ての洗濯物を、雨風から守りたく思うのと似ている。汚したくない。私は、そう思えるほどに……ベネットたちといる時間がおもしろくて、楽しく感じるんだ。


 私は捨てられたが、捨てられたからこそ行動し、今がある。ベネットに出会い、ラファエルに出会い、兄にも再会し、ひどく傷付いたけれど、その後フォンデュにも出会えた。フォンデュは私と似ている部分が多くて、興味深い存在だった。


 また時計塔に直接行って、直に顔を合わせたいほどだぞ。何度か通ううちに、あの螺旋階段に足も慣れてくるだろう。


「そうだな、せっかくの機会だから――」


 今の私なりに、兄へちょっとした仕返しをしてやる。何も汚さず、怪我もさせずに、今の私なりの精一杯を、やってやる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る