第13話 禁断の知覚①



 スマートフォンの目覚ましアラームが鳴り響く。

 耳元の大きな音で、ケイの意識は覚醒した。


「……」


『おはようございます、ケイ』


 アデルの挨拶が聞こえる。

 もう朝がきたようだ。

 昨夜は何か……懐かしい夢を見ていた気がする。

 まだ微睡まどろんでいるケイだったが、二度寝しないよう、無理してベッドで上体を起こした。


 途端とたんに――吐き気がした。


「うっ……!」


 ぼやけていた視界が鮮明になるのにともなって、腹底はらぞこから、こみ上げてくる吐き気の感覚があった。今にも嘔吐おうとしそうになるのを、懸命にこらえる。動悸どうきもひどくて、喉の奥にうずくような痛みまで感じた。追い打ちのように、頭痛までしている。


『どうかしたのですか、ケイ。顔色が優れないようです』


 しばらく目眩がしていたケイだったが、ベッドの上で安静にしていると、徐々に体調は良くなっていく。先ほどまでの激しい苦しみが、嘘であったかのように引いていった。


 やがて、頭痛も吐き気もなくなっていった。


 どうやら、一時的な体調不良に過ぎなかったようだ。

 今まで寝起きに、こんな激しい不調に見舞われたことはないのだが。


「……今のは、もしかして佐渡さわたりの薬を飲んだ影響か?」


 思い当たる節は、それくらいしかない。

 改めて、身体に問題がないことを確認してから、ケイは気を取り直した。

 アデルに話しかける。


「今日は普通に起こしたみたいだな」


『ん? いつも普通に起こしていますが?』


「……その見解けんかいについては、話し合いの余地よちがあるな」


 ケイはベッドから降りて、制服へ着替えることにした。


「なんだか、今日はやけに外が暗いな」


 カーテンを閉め切っているとは言え、いつもなら隙間すきまから、まばゆいばかりに陽光が差し込んでくるのだが……今朝は、弱々しい光が入ってくるのみだ。おそらく天気が悪いのだろう。ただ、雨音は聞こえていない。


「曇り空かな。念のため、かさを持って出かけた方が良いな」


 部屋が暗かったため、明かりを点けた。

 クローゼットを開け、ハンガーに掛かっていたシャツを取り出し、そでを通す。


「おーい、ケイ。起きてるかー」


「はーい。起きてるよ、じいちゃん」


 着替えていると、下の階から祖父そふが声をかけてきた。


「早く降りてこい。朝飯ができとるぞー」


「ありがとう。今行くー」


 手早く着替えを終えて、通学鞄とアデルを拾って部屋を出る。

 階段を下って居間へ到着すると、いつものように、ちゃぶ台の上に朝食が並べられていた。それを前にして――――ケイは唖然と立ち尽くしてしまう。


『どうしたのですか、ケイ?』


 座らないケイを奇妙に思い、アデルが尋ねてきた。

 そのアデルの声は、ケイの耳に届いていた。だが、返事をするどころではなかった。居間のガラス戸の向こう。家の外の様子を凝視して、ただ凍り付いてしまう。


「………………なんだ、これ?」


 固い唾を飲み下し、ようやくそれを呟けた。


 ケイは朝食に手を付けず、慌てて外へ飛び出した。

 驚いた祖父の、制止の声にも耳を貸さない。

 外に出て、急いで確認しなければならなかった。


 玄関を出ればすぐ、いつもの住宅街の景色が見られるはずだった。

 だが、今朝は違う。


「…………夜?」


 ケイは、眼前の光景に驚愕していた。


 時刻は朝7時くらいだ。

 それなのに、頭上には太陽の姿がない。

 空は、得体の知れない黒いきりに覆われていて、青空など見えなかった。

 ただ曇っているという様子ではない。まるで――――夜が“明けていない”のだ。


 太陽がないのに、街は明るくて、視界は昼間のように鮮明だ。

 その理由が、また奇妙である。


 電柱や、近所の家のブロック塀など、道路脇のあちこちに、発光する“植物のツタ”が蔓延はびこっている。なんの植物なのかは不明だ。ただ、街中が同じ様子なのである。淡い光を放つ植物のツタが張り巡らされ、あちこちでネオン管が灯ってでもいるかのようで、周囲に昼間のような明るさをもたらしている。車道や通行路を避けて、計画的に設営された街灯のように生息しているのだ。


 異様な街の光景を目前にして、ケイは呆気にとられてしまう。

 背後で、玄関戸を開ける音がした。

 家の中から顔を出したのは祖父である。心配して、ケイに尋ねてきた。


「なんだ? 今日は朝食を食べないで学校へ行くのか?」


「じいちゃん……! なんなんだろう、この街の景色は……!」


「なんなんだろうって……」


 祖父は空を見上げ、眩しそうに目を細めて見せた。

 まるでそこに、姿を見せてもいない太陽を、直視しているかのような態度である。


「今日も快晴の良い天気じゃないか。いつもとなにも変わらんと思うぞ?」


「!?」


 思わず耳を疑った。

 祖父が冗談を言っている様子はない。真顔である。


「そんな…………じいちゃんには、これがのか……?!」


「なにをわけのわからんことを言っとるんだ、ケイ。まだ寝ぼけてるのか? いらんなら、朝食は片付けちまうぞ」


 少し立腹りっぷくした様子で、祖父は家の中へ引っ込んでいく。

 青ざめているケイに、胸ポケットのアデルが尋ねてきた。 


『ケイが何に意外性を感じているのか、私にもわかりません。いつも通りの通学路の風景だと思いますが?』


「いつも通りって……これがか……?」


 アデルにも、この光景が見えていないのだろうか。


 祖父やアデルだけではない。

 ゴミ出しをしている近所の主婦も、道行くサラーリマンも、明らかにおかしくなっている街の様子を気にしていない。狂ってしまった光景の中で、普段通りの日常を謳歌おうかしているのだ。


「佐渡の薬の影響なのか……?」


 まだ僕と同じものが見えていない。

 明日になれば全てがわかる。

 佐渡の言っていた言葉が、不穏に脳内で反芻はんすうされていた。




  ◇◇◇




 おかしくなった街の渦中を、普段と同じように通学する。異常な光景に気付いていない周囲の人々から、奇異の目で見られないよう、ケイは何事もない態度をとっていた。だが胸中は、心穏やかではない。


 いつもの電車に乗って、学校へ向かう途中だった。

 車窓の向こうに見えるのは、見慣れた高層マンションや住宅街である。

 だがそのずっと向こうには、これまでに見たこともない、天を突くように巨大なビルが建ち並んでいる風景が目に入った。あんなものが建っていただろうかと、スマートフォンの地図アプリを起動して改めて確かめてみるが、ビル群が建っている辺りには、自然公園があることになっていた。


 地図に載っていない、見知らぬ大都市――――。


 そうとしか言えない、正体不明の建造物群が、実際に建っているのだ。

 決して目の錯覚ではない。

 無数の明かりが灯った、100階層以上はありそうな謎のビルは存在している。


「どうなってるんだ……知ってる街並みですら、なくなってるなんて」


 学校最寄りの駅で降りて歩くと、今度は道路のすぐわきに、広大な森を見つけた。

 見上げるほどの大木が鬱蒼と茂り、一寸先が見えないような暗がりになっている。まるで大森林である。森の入り口には、立ち入り禁止の黄色テープが大量に張り巡らされていて、人が誤って入り込まないようにされていた。


 ……ここは工事中の工場跡、だったはずである。


 どこまで広がっているのかわからないような、広大な森の入り口などなかった。

 電車から見えた謎の都市と同じく、地図アプリには表示されない。

 この森は、いったい何なのだろうか。


『――森の入り口をじっと見て、何を考えているのですか?』


「!?」


 尋ねてきたアデルに、ケイは驚いた。


「アデルにも、この森が見えているのか?」


『私の視認しにん能力は、寄生しているスマートフォンのカメラの能力にも寄りますが。今のところ見えていますよ?』


「でも、自宅にいた時は、いつも通りの風景だって言ってたよな」


『はい。いつも通りの風景だと思いますが? ケイにとっては違うのですか?』


 ケイは、アデルとの齟齬そごに気が付いた。


「……なるほど。アデルにとっては、が見えることは、普通のことだったわけか。今まで、オレとは見えている世界が違ったんだな」


『それは哲学的な意味の問いかけでしょうか』


「いいや。そういうことじゃないよ」


『今日は何だか、様子がおかしいですよ? 佐渡の薬のせいですか?』


「ああ。おそらくはな」


 学校へ到着すると、校門の前に見知った2人の顔が並んで立っていた。

 サキとトウゴ。オカルト研究部のメンバーである。

 ケイの登校を待ち伏せていた様子だ。


 神妙な顔で、トウゴがケイに話しかけてきた。


「…………雨宮にも、見えてるよな?」


「やっぱり、先輩たちもですか」


「いったい何が起きてるの? 街の様子が、とんでもなく異常なんだけど……」


 サキとトウゴも、ケイと同じように激しく困惑こんわくしていた。


 話を聞くと、2人もケイと同じものを、通学中に見てきたようだった。

 暗い空に、ネオン管のような植物。そして地図にない都市や、森の風景。

 ケイたち以外の人々には、それらのものは認識されていないのだ。


「何が起きているのか、オレにもわかりません。佐渡先生の薬が影響してる可能性が高いですけど、だからと言って、これが薬の見せている幻覚だとは思えないです」


「だろうな。3人とも同じものが見えている時点で、幻覚だって説明は変だ」


「でも。これが幻覚じゃないとしたら……何なのかしら?」


「今まで“見えていなかったものが見えている”可能性があります」


 これまでアデルにだけ見えていたものが、ケイにも見えるようになった。

 そのことを考えれば、答えはそれなのだろう。


「まずは情報を集めてみませんか」





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