第12話 【回想】姉の面影



 扇風機が壊れた。

 真夏の熱気が身にしみる頃、部屋に清涼感せいりょうかんをもたらす、重要な家電が故障。

 それは雨宮家あまみやけの非常事態である。


 雨宮あまみやノエは、大型家電量販店かでんりょうはんてんにやって来ていた。目的はもちろん、2代目となる新型の扇風機を買うためである。


 にぎやかなBGMが流れる店内は、多くの人で活気づいていた。

 過去の事故で、左脚ひだりあしを失っているノエは、つえをつきながら、自分の義足ぎそくをやや引きずるように歩いている。そのため、歩きにくい人混みを通るのは苦手だったのだが、それでも冷蔵庫やテレビなどが陳列されたコーナーを見て回る楽しさに比べれば、苦ではなかった。高級家電の数々を目にし、買う予定などなくても、立ち止まってそれらを見ているだけでも楽しい。


 買って家に置いたら、どんな生活になるのだろう。

 そうした妄想を楽しむだけでも、十分なのである。


 ふとノエは、少し離れたコーナーで、弟が立ち止まっている姿を見かけた。

 買った扇風機を運ぶ係として、一緒に連れてきていたのである。

 弟の背後へひっそりと歩み寄り、弟が何に注目しているのかを確認してみる。


「スマホ、見てるの?」


「!」


 ノエの接近に気が付いていなかったのだろう。

 声をかけられた弟は、驚いてノエを振り返った。


 弟が見ていたのは、スマートフォンの最新モデルが並べられたコーナーだった。

 小さなモノリスの中には、高精細こうせいさいな画像が表示されており、いかにも性能がすごそうである。

 ノエは、なんとなく弟の考えを察して言った。


「……そっか。ケイだって、そろそろ自分のスマホが欲しい年齢ねんれいだよね」


 弟はもう、小学校の高学年だ。

 だが自分のスマートフォンというものを、まだ持っていない。

 使いたい時は、父親のものか、ノエのものを一時的に借りているのだ。


 最近は、小学校入学と同時にタブレットを持っているような子もいる中、弟はそうしたものとは無縁むえんひとしい生活を送っている。もしかしたら、弟のクラスメイトはみんな持っていて、弟だけが持っていないのかもしれない。そうだったらどうしようかと、ノエは姉として、なんだか心配になってきた。


「良いんだ、姉さん」


 弟は、何でもないのだと微笑んで言った。


「オレには連絡を取り合うような友達って、そんなにいないしさ。スマホを持ってたって、陰キャのオレが、クラスの人気者グループのSNSに入れるわけでもないし。今すぐ必要なものじゃないよ」


 微笑んでいるのに、弟の表情はどこか寂しげだった。

 家族であるノエは、その機微きびを見逃してなどいない。

 ニヤリと笑んで、ノエは弟に言った。


「買っちゃおう」


「え?」


「買っちゃおうよ。スマホ。この、見てたやつが欲しいんでしょ?」


 弟が見ていたのは、最新モデルの、さらにその最上位機である。

 少なくとも、諭吉が10人くらいは旅立ちそうな価格帯の商品だ。


 唐突に提案してくるノエに驚いて、弟はしどろもどろになって否定した。


「い、いいって! だって――――」


 弟は皆まで言わず、その後の言葉を飲み込んだ。

 言ってはまずいと思ったのだろう。

 だがノエには、弟が何を言おうとしたのか、わかっている。


「今、スマホ買うくらいなら、私のリハビリ代にした方が良いって、言おうとしたでしょ」


「……」


 弟は気まずそうに、上目遣うわめづかいでノエを見上げてきていた。

 ノエは嘆息を漏らす。そして、苦笑して弟へ言ってやった。


「私ね。結構、気にしてるんだよ? 家族の重荷おもにになってること」


「重荷だなんて! そんなことオレ、1度だって思ってないよ!」


「ありがとう。ケイは優しいね」


 ノエは弟の頭を優しくでた。

 そして「お姉ちゃんは知ってるんだぞ」と言って、話しを続けた。


「この前、ケイの部屋を掃除していた時ね。見つけちゃったのよ、ケイの成績表。この前の期末テストで、全教科満点だったんでしょ? 担任の先生の、驚きのコメントが書いてあったよね」


「……見ちゃったんだ」


「せっかく良い点取ったのに。まーた、お父さんに見せないつもりでいるんでしょ?」


「……」


「知ってるんだよ? ケイ、頭が良いことを隠してるでしょ」


 弟は、ばつが悪そうである。

 ノエは少し困り顔で、自分たちの父親のことを思い出しながら語った。


「成績なんてどうでもいいー。やりたいことを、思う存分にやって生きろー。適当で大雑把な信条の親だしね、うちの父。私の時もそうだったけど、成績表なんて流し見だったし。仕事が忙しいと、見ることさえなかったし。でもケイの場合は誇れることなんだから、見せた方が良いと思うのに」


 弟は渋々しぶしぶと、うつむき加減のまま本音を漏らす。


「親父に見せたら……オレのことを進学校しんがくこうかよわせようと無理するだろ。うちには、そんな金もないのに。そしたら今より大変になるし、姉さんにも迷惑かかるし」


「まーた、それだ。私はね。ケイの重荷になんてなりたくないの」


 ノエは店員を呼び止める。

 弟が見ていたスマホを指さして、この機種を買いたいのだと告げた。


「ね、姉さん!」


「これはね。成績が良かったケイへの、ご褒美ほうびなの」


 ノエは弟へウインクして見せた。


 その後は、店員に説明されるがままに端末契約をする。途中、保護者の許可が必要だということで、父親に電話することになった。高額な買い物であるため、反対されるかと思いきや、ノエが「ケイに必要なの!」と力説すると、呆気なく「良いんじゃねーの?」という適当な返事をもらい、見事に契約成立となる。


 当初の目的である扇風機も購入した。

 宅配便で自宅まで送ってもらうことになったため、帰り道の2人は手ぶらで済んだ。


 弟は、自分専用の、ピカピカのスマートフォンを見つめ、目を輝かせていた。いつも仏頂面ぶっちょうづらの弟が、殊更ことさらに嬉しそうにしている様子を見ていて、ノエも嬉しい気持ちになってしまう。


「ケイがいつも私の力になってくれているみたいに、私だって、いつもケイのために何かしてあげたいと思ってるんだよ? この世でたった2人きりの姉弟きょうだいなんだもん。たよってくれなきゃ……寂しいじゃん」


 弟は満面の笑みで、ノエを見上げて答えた。


「本当にありがとう、姉さん。これ、大切にするよ」


 まるで宝物であるかのように、弟はスマートフォンを大切そうに握りしめた。


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