第十一章 ④コン太の動向(シークレット・秘め事)

 レンジの愛車アルファードに乗り込む。助手席にしょうが座る。後部座席に羽衣うい在狼あるろうが並んで腰掛けた。

 レンジは行き先を確認する。

 「では出発します。輝章監督、今日の撮影はスタジオでしたよね?」

 「あ、申し訳ない! レンジさんに連絡するのをうっかり忘れていました。今日の撮影場所は『河川敷かせんじき』に変更になりました。僕が道案内しますので、現場までお願いします」

 「河川敷……、ですか?」

 「はい。レイプシーンを撮影します。羽衣さんが二役ふたやくを演じます」

 「レッ、レイプシーン? きょ、今日? これからですか?」

 気が動転して言葉がつっかえた。不意にルームミラーで後部座席をうかがい見る。監督の縁者えんじゃである在狼あるろうと視線が重なった。……ニイッ、なんとも不気味な冷笑れいしょうを浴びせかけられた。

 

 案内されて辿り着いたのは、まさかの『あの河川敷』だった。レンジは動揺を隠せない。許されるならば、すぐさまこの場から逃げ出したい!

 輝章が穏やかな口調で告げる。

 「撮影隊のスタッフは約一時間後に到着予定です。開始時間まで余裕がありますのでプライベートの話でもしませんか? 是非とも親睦しんぼくを深めたいです」

 在狼は即座に同意する。

 「いいねえ! おいら『アイドル羽衣』の大ファンなんだ(たぶん)! だからいくつか質問してもいいかい?」

 ファンを大切にしている羽衣は笑顔で応える。

 「もちろんっ! 遠慮しないで何でも聞いて!」

 「イヒヒッ! それじゃあ質問! 羽衣のママってどんな人だい? 似ているのかい? 何歳だい? 家族は仲良しかい?」

 羽衣は思わぬ質問に目を丸くした。

 「え? ママ……? ママは背が小さくて、声が可愛くて童顔なの」

 「へえ? それじゃあ羽衣は、ママによく似ているんだねえ?」

 「うんっ! ママだね、ってよく言われる。年齢は三十七歳」

 輝章は仰天ぎょうてんする。

 「ええ? お母さん、ずいぶん若いんだね。中学生で羽衣さんを出産したってこと? お父さんは?」

「あ、えっと…………、」

 羽衣は言葉を詰まらせた。困り顔をして眉を下げる。ふう……、ゆっくり息を吐き出して呼吸を整えた。そして意を決して話し出す。

 「ママが中学二年生の時にレイプされて妊娠して、十五歳で私を産んだそうです。妊娠に気づいた時はもう中絶できないところまで育っていて、出産の選択しかなかったらしいです……」


 輝章が慌ててびる。

 「あ、あのっ、ごめんっ! 嫌な質問だったね。もう答えなくていいから! 本当に申し訳ない」

 「いえっ、気にしないでください。ぜんぜん大丈夫です! 母子家庭だけど家族はとっても仲良しなんです。ジイジとバアバと四人暮らしです」

 在狼は腕組みをして頷いた。

 「なるほどなるほど、それじゃあ羽衣のママは、ずいぶん苦労したねえ?」 

 「うん……、ママは大変だったと思う。妊娠しちゃったから高校受験できなくて、羽衣が生まれてから通信制高校で高卒資格を取得したんです。それに、ジイジは難病指定されているMS(多発性硬化症)で車いす生活なんです。家計はバアバとママはかけもちで仕事バイトをして支えてくれていました。だから、羽衣がアイドルになって活躍して、少しでも家計を助けたかったの……」

 在狼あるろうはうんうん、大きく頷いた。

 「へえぇ! 羽衣はえらいねえ? 大変だったねえ? 羽衣のママは可哀想だねえ?」

 レンジは声を震わせ問いかける。

 「マ……、ママは、元気、なのか?」

 「うん! 元気だよ」

 輝章が問う。

 「レイプした犯人は被害者が出産したことを知っているの? それに、羽衣さんは父親が誰だか知っているの?」

 羽衣は首を横に振る。

 「羽衣が小さいとき、『お父さんは誰か』って聞いたことがあるの。そのときママは『お父さんがいなくてごめんね? 貧乏でごめんね?』……そう言って泣いちゃったの。だからそれ以上は、聞けなかったの」

 

 午後二時を過ぎた。河川敷にロケ車数台が到着した。

 リハーサルが始まった瞬間、レンジは蒼ざめた。レイプシーンの撮影は『あの日』の出来事を彷彿ほうふつとさせた。

 ……撮影用に用意された車は二十三年前にレンジが乗っていた同車種のRS(スポーツカー)だった。羽衣の制服姿は『あの日』の女子中学生そのものだった。台本のセリフは「黙れ、静かにしろ! すぐに済む」だった。さらに車から引きずりおろされて草むらに捨て置かれる少女に一万円札を投げつけるシーンが、アドリブ的に追加された。役柄といえども羽衣に覆いかぶさるシーンの撮影はこころやましくて憂悶ゆうもんした。

 ……もしかしたら輝章監督は、俺の罪過のすべてを知っているのか? そうかんぐるほど、情景が酷似していたのだ。


 苦痛だったレイプシーンの撮影が終わった。ようやく安堵あんどした矢先やさき、在狼くんがスルリ、近づいてきた。

 彼から向けられる視線は氷のように冷たい。ゾッとして寒気がする。軽蔑して、憎んで、とがめて、心胆しんたんを突き刺すような冷ややかな視線だ。 

 それにしても在狼あるろうという青年は、なんだか掴みどころがなくて不気味だ。輝章監督の親戚でなければ決して関わりたくない人種だ。

 「レンジさん、お疲れさまっ! さすがレイプの達人! あ、間違えた、さすがの演技力だねえ? よっ、名俳優っ!」

 「あ、い、いや、そんなことは……」

 「そういえば! さっきチラッと見えたけど、レンジさんの首筋には赤黒い『あざ』があるんだねえ? まるで『せみの抜け殻』みたいながらで痛そうだねえ? 大丈夫なのかい?」

 「あ、ああ! ちょっとした火傷やけどあとですよ。もう何年も前の古傷なので、特に気にもしていませんでした。そういえば、最近ズクズクして違和感があるような……」

 「へえ……、気にも留めてなかったの? ふうん? ちょっとした古傷ねえ?」

 「……? はい」 

 「ねえねえ、レンジさん。おいらと握手してくれる?」

 レンジは笑顔で頷く。右手を差し出した。

 「……うっ? 痛ッ……!」

 「おいらとレンジさんは、そのうちにまた、会うかもしれないねえ? そのときはどうぞよろしくねえ? それじゃあ、まったねえ!」

「はい……」

 軽口をたたいて、気安げに手を振った。首肯して顔を上げたとき、すでに目の前には誰も居なかった。在狼の姿は消えていた。

 ……しかし、なんて馬鹿力だ! 骨でも砕くつもりか? 握られた右手がミシミシッと音がしていた。


 レイプシーンの撮影を通して、裏付けられたことがある。

 羽衣と『あの日』の女子中学生の面影がピッタリ、重なった。羽衣に対する不思議な感情が何なのか、完全にに落ちた。あの日から現在までの経緯プロセスや背景も一致した。そうして、動かしようのない事実を突きつけられた。

 

 明明白白めいめいはくはくだ(間違いない)。羽衣は、あの日の女子中学生の娘だ。……俺の、娘だ!

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