第二章 ④否の起業家・マナブ(契約)

 千代田区・丸の内。

 マナブは肩で風を切って歩いていた。

 自信満々だった就活に失敗した。内定をひとつも取れなかった。それにしても企業は見る目がない。誰よりも優れているこの俺を落とすとは……! 絶対に見返してやる。


 その過剰なまでの自信は奇跡的にプラス方向に働いた。

 マナブには野望がある。若年層をターゲットとした新規事業を開始したい。そのためにベンチャー企業の立ち上げを目指している。

 今まで金にならないと敬遠されていたビジネス領域に新たな活路を見出みいだした。もしもこの主眼が的中すれば自らがパイオニア(先駆者)となりるのだ。

 起業に向けて、ビジネススクール開催のセミナーをいくつか受講している。資金計画を立てて融資先はおおむねの目星をつけた。大学時代の伝手つてを頼って優秀な人材確保にも動き始めている。就活惨敗ざんぱいの誤算があったからこそ目標が定まった。消沈せずに腐ることなく自己研鑽を続けている。


 大手町駅。

 往時を懐古させる煉瓦れんが造りの東京駅の改札を抜けると、いわゆる『勝ち組』と呼ばれるエリートたちのオフィス街だ。無機質な都会のビル群の谷間は過剰なまでに整備されている。

 起業セミナーの受講を終えたマナブは虚勢を張って大股で歩く。高層ビルが立ち並ぶ丸の内界隈かいわいを歩くと無性むしょう苛立いらだつ。否応なしに劣等感が刺激されて卑屈な感情がわき出してくる。そんな感情をひた隠しにして踏ん反り返って余裕よゆう綽々しゃくしゃくを装う。


 新宿三丁目。

 バルに立ち寄って軽く酒を飲む。ほどよく酔いがまわった。そろそろ家に帰ろうか、西口改札に向かって歩く。自宅は府中市、実家暮らしだから同居の両親と妹が居る。

 雑然としたネオン街の人混みを歩く。

 不意に目の端に、不思議な光をとらえた。視界に飛び込んできたのは五色のオーラに包まれた若い女だった。二十歳はたちそこそこに見えるその女はまばゆい光を放って軽やかに歩いている。菩薩の光背か? その女のきらめきに思わず釘付けになった。

 きょろきょろ辺りを見回す。なぜかその女を注視している人間は他に見当たらない。どうやらあの『瑞光ずいこうオーラ』が見えているのは自分だけらしい。


 マナブは距離を保って尾行びこうする。

 小柄な女は歓楽街の歌舞伎かぶきちょう方面に向かって歩いている。……清楚せいそに見えるが、まさか売女ばいたか? らぬ雑念を巡らせる。

 女は慣れた様子で人の流れに沿って歩く。西武新宿駅の改札に入ると下り電車に乗り込んだ。マナブは同じ車両に駆け込んだ。

 少し離れた位置から女を観察する。

 ……童顔だが大学生くらいか。可愛い顔をしている。オーラをまとっているせいか一際ひときわ輝いて見える。声を掛けたらナンパだと思われるかもしれない。いや、それでもいいか。なかなか好みのタイプだ……。


 女は新所沢駅で下車した。追いかけて電車を降りて改札を通り抜けた。ヌッ、手を伸ばす。肩に手が届くまであと数十センチ、そんな位置まで近づいた。

 すると突然、女がくるりと振り向いた。

「こんばんは。私は凛花といいます。また後でお会いしましょう」

 そう言い置いて、足早に歩きだす。マナブは引き留めようと咄嗟とっさに手を伸ばした。

 スッ……、どこからともなく長身の女が目の前に割り込んできて行く手をはばんだ。邪魔な女をにらみつける。すると即座に睨み返された。容貌からして恐らく、モデルか女優か……? 抜群のスタイルに過剰に整った顔立ちの若い女だ。モデル女は不愉快そうに顔をゆがめる。しかし小さく手招きをして、マナブを人通りの少ない路地裏へといざなった。

 モデル女は告げる。

「私は真珠色龍神ノア。龍使い凛花の瑞光ずいこうオーラが見えたあなたは龍神と契約する権利を得たわ。これを読んでサインするかどうか決めてちょうだい」

 マナブの目の前に『契約書』が差し出された。即座に読み込む。そうして分かったことがある。

 ……あの龍使いの瑞光オーラは『天賦てんぷさい』を有した人間だけが視界にとらえるということ。そして我こそが! 龍神に選ばれた特別な人間である、ということだ。

 マナブは社会から称賛される未來を恍惚こうこつとして夢想した。この機を逃すまいと気がいた。

 ノアからオーロラペンを奪い取る。ペンを掴むと掌中しょうちゅうから五色の光が発せられた。

 マナブは契約書にサインを記した。するとオーロラペンはまるで砂のように指の隙間からこぼれて落ちた。跡形もなく消えてしまったが、それでもどうやら契約は無事に成立したらしい。


 龍神の背に乗せられてワープする。闇夜の鬼ヶ城の浜辺に辿り着いた。

 そこには龍使い凛花が立っていた。困り顔でペコリ、お辞儀をされた。

 マナブは値踏みするかのごとくに凝視ぎょうしする。

 ……この女が龍使い? 特別なそぶりのないこの女が? こいつに世の成功者をいざなう力があるというのか? しかしそれにしても、可愛い……。

 素朴な疑問は凛花への好意の前に吹き飛んだ。赤ん坊のような透明肌、つぶらな瞳、清楚な風貌は完全に好みのタイプなのだ。光背纏まとう凛花の姿は一層に輝いて見える。胸の鼓動が高鳴ってたかぶってしまう。

 日の出の刻、至極色龍神が天高く飛翔した。この瞬間に、マナブは造形無き『ほまれ』を手中にした。

 龍使い・凛花が告げる。

「マナブさんの戦略的プランニングは早々に実現します。仕事に誇りを持って社会に貢献していってください。決して目先の欲望にまどわされないでください。初心を忘れず清廉せいれんさを保つことこそが『ほまれ』状態の持続継続に繋がっていきます。常に顧客に感謝して、社員を大切にして、傲慢ごうまんな心を捨てて、善き経営者になってください。

 もう二度と会うことはできないけれど、あなたのグラビリズムが保たれますように、そっと願っています……」

 凛花の澄んだ声が心地よく心耳しんじに響いた。


 ふとまばたきをした。気づけばなぜか府中市の実家にいた。自分の部屋のベッドに横たわっていた。マナブは頭を掻きむしる。

 ……あの生々しい出来事は夢? それとも現実か……?

 夢ではなかった。

 その後のマナブの意思決定に迷いも狂いもなかった。恐ろしいほど順調に起業は実現した。立ち上げた会社は順風満帆じゅんぷうまんぱんだ。早くも莫大ばくだいな利益を上げている。多くの従業員を抱える規模にまで成長していた。

 はんの日々に疲労感が抜けない夜。購入したばかりのタワーマンションの高層階から東京の夜景を見下ろす。年代物のマッカランをロックグラスに惜しみなく注ぐ。喉を鳴らして流し込む。自らの才能と幸運引力に陶酔とうすいする。

 ……この時間こそが至福だ。今や、天才的パイオニアだとあがめられている。カリスマ経営者だと褒めそやされている。メディア露出が増えた。スケジュール調整が必要なほど隙間ない忙しさは快感だ。

 もはや社員は俺の追随者ついずいしゃだ。取り巻きは俺の飼い犬だ。女はびて過剰に露出してウンザリするほど群がってくる。今まで見向きもされなかった高いステータスの女たちと過ごす夜は格別だ。金目当てでも構わない。イカした女たちからチヤホヤされるのは悪い気分ではない。毎日がゴージャスだ。

 少し前まで、学歴や年収への劣等感があった。勝ち組連中が憎たらしかった。認められたい、褒められたい、あがめられたい、異常なまでに『評価』を欲していた。そんな俺が今やカーストの頂点にいる。これらすべては、有能な自分に天から与えられた副賞なのだ。

 ……ああ、最高だ。自己顕示けんじよくが満たされていく。欲しかったものはすべて手に入れた。名誉も称賛も、一等地のオフィスも有り余る金も、豪華な暮らしも高級車も、女も……。いや? 欲しいものがある。欲しいのに、手に入らないものがある。

 龍使い凛花だ。五色の瑞光オーラをまとった姿は眼がくらむほどに輝いていた。周囲とは次元が違っていた。聡明さと気品があった。声も容姿も抜きんでて魅力的だった。あの女に勝るのは存在しないのではないか? そして相応ふさわしいのはこの俺、だ。

 欲しい! 龍使い凛花が欲しい……!

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