霧の中の出会い
わたしとあまねはバスで来た道を引き返す。舗装されていなかった道も、少し戻ればひび割れたアスファルトになり、歩きやすくなった。
「どれくらい歩くの」すでに息を弾ませているあまねが訊いてきた。
「バスで三時間だから……六時間くらいでしょうか」
「ええ……おんぶして……」
「嫌です、自分で歩いてください」
そんなやり取りをしながら、つづら折りの道路の真ん中をゆっくりゆっくりと歩く。
数十分は歩いただろうか。わたしたちは交差点に突き当たった。とはいえ、信号とかがあるわけではない。Y字路があるだけである。
Yで言うところの右側からわたしたちは来たことになる。左側を見れば、そちらにも舗装された道は伸びている。しかも、黒々としたアスファルトは最近舗装し直されでもしたのか、ヒビ一つなくなめらかだ。
「民家があるのでしょうか」
「いやあどうだろ。地図で見た時は何もなかったはずだけど」
森林伐採のために道を整備したのかも、とあまねは言う。そうですかとわたしは答えて、下へと降りる。
わたしたちは黙々と歩いた。
車道を走る二つの光が見えてきたのは、どのくらい歩いた時のことだったのだろう。お互い無口になって歩いていたものだから、どのくらい歩いていたのかさっぱりわからない。
雨は小康状態だったけども、濃霧のような様相となっており、光はぼんやりとしていて何が何だかわからず、わたしは身構えた。
その光が近づいてくると、車のヘッドランプらしいとわかった。
わたしたちは急いで車道の端へ駆けて、ゆっくりやってくる車へと両手を振った。
その甲斐あってか、車が停まる。
ドアを開け、運転席から出てきたのは中年の男性であった。
⭐︎⭐︎⭐︎
「いや、災難だったねえ」
山の中を歩くことになった顛末を聞いた男性がそう言った。
車の主に助けを求めたわたしたちは、車に乗せてもらえないだろうか。――よければ街まで連れて行ってくれないだろうか、と頼んだ。
男性にとってすれば見ず知らずの人間からの頼みであり、聞く義理はない。それなのに、車に乗せてくれたのはありがたかった。
だけども、街までは連れて行ってくれないらしい。
「どうしてですか」わたしは訊いた。
「ここまでバスでいらしたのなら、途中に川があったの覚えてますか? 橋がかけられた小さな川です」
「ああ、欄干のないやつね」
「地獄橋というのですが、今日の雨で沈んでしまったと思いますよ」
「ええ!?」
わたしとあまねの驚愕の声がシンクロした。
男性が言うには、登ってくる最中に通ったそうだけども、その時にはすでに橋のギリギリまで水が迫っていたらしい。それから数十分が経過しているから、橋は沈んでいるのではないかと予想しているらしい。
……フロントガラスに叩きつけられる無数の雨粒を見るに、その予想は正しいに違いない。
「他に帰れるような道は……」
「ないですね。いや登山道があるのかな、がけ崩れが怖いですが……」
がけ崩れの心配があるような場所を、わたし一人ならともかく、あまねを連れて歩けるわけがない。つまりわたしたちはこの山に閉じこめられてしまったというわけらしい。
わたしはこんなところへ連れてきやがったあまねを見る。隣に座るあまねは、貸してもらったタオルで頭を拭く手を止めて、運転席の男性の方を向いた。
「あなたはどうしてこんなところに来たんです?」
バックミラーに映る男性は顔色一つ変えずに言葉を返す。
「この先に観測所がありまして、そこで天気の観測を行っています」
言いながら、先ほど通り過ぎたばかりのY字路を左へ進んでいく。わたしたちが通ってきたのとは逆の道だ。
「最近できたんですか」
「ええ、だから地図にも載ってなくて。もっとも小さい観測所なので地図に載っていなくても関係ないとは思いますがね」
「厚かましいかもしれませんけども、そちらに今晩だけでもお世話になることって……」
「いいですよ。困っている人を見捨てるわけにはいきませんから。少しむさくるしいかもしれませんが」
「お風呂とかご飯とかもあったらいいな」
「あまね……」
わたしはあまねのことを睨んだけども、当の本人はどこ吹く風といった調子だった。
男性といえば、おかしそうに笑って、
「シャワー室と給湯室くらいならありますよ」
「よかったあ」
なんて言いながら安堵の息をもらすあまねの腕を、わたしは思い切りつねった。
⭐︎⭐︎⭐︎
車は舗装されたばかりの道をゆっくりと上っていく。木々を縫うように伸びるアスファルトの先は、ちょっとした駐車場のようになっていた。
「ここです」
エンジンを切った男性がドアを開けて車から降りる。わたしたちはそれに続く。
そこは、山の頂上のようなところで、先ほどまで見えていた木々が影も形もなかった。代わりに現れたのはあたりを覆う霧のカーテン。
そのカーテンの向こうに、ぼんやりと見える建物が一つあった。男性はそちらの方へ歩いていく。
それを見ながら、わたしはあまねに耳打ちする。
「観測所って言ってましたけれど本当なんでしょうか」
「さあね。だが、ここまで来た以上は行くしかあるまい」
建物に近づくと、ぼんやりとしていたその姿がだんだんとはっきりしていく。
巨大なバルーンをポンと乗せたような建物が、そこには立っていた。
その入り口の前に、男性が扉を開けて待っている。
「ようこそ天雲岳観測所へ。私は白戸正人だ、よろしく」
ごろごろと鳴る空をバックに、白戸さんは言った。
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