エピローグ

 意識を取り戻した途端に感じたのは、理由のない恐れだった。


 いつの間にか病院のベッドに寝かせられていたからではない。個室のテレビで、日向さんが新興宗教の教祖を殺害ということ、その教祖が行方不明になっていた聖真白という女性を殺害し死体を遺棄していた事実が発覚したことが、報道されていたからでもない。


 理由はなかった。まるで、何者かによって根本となる理由を消し去られてしまったみたいに、恐怖の源はぼんやりとして知れなかった。そんなあやふやでとらえどころのない感情は、悪夢を見てしまったときみたいにどんどん薄れていって、ついには恐怖さえも消えた。


 ガラガラと病室の扉が開く。


 入ってきたのはあまね――とどこかで見た顔。


「降矢さん」


「私には何も言ってくれないの?」


「毎日のようにお見舞い来てくれますから」


「だからってあいさつはしてほしいな。……嫉妬しちゃう」


 冗談めかしてあまねが言う。わたしはため息をつきたくなる。


 それよりも。


「どうして降矢さんが?」


「お前が意識を失っていたと聞いたからお見舞いに来たんだ」


 ずいっと、バスケットを差し出してくる。中には果物の缶詰が山ほど入っていた。お見舞いの品らしい。缶詰というのが独特だったけども、有難く受け取ることにする。


「神を見たのだろう」


「見た、らしいですね」


 わたしが言ったわけではない。言ったのは日向さんだ。捕まった日向さんが連行されながら何度もつぶやいていたのが、神様はいる、という言葉らしい。


「なんだ、あやふやだな」


「全然覚えてなくて。記憶がぼんやりとしているというか、光を浴びたのは間違いないけれど……。ですよね、あまね」


「うん、私も浴びたからねー」


「でもそこから先の記憶がないっていうか。何か教えてもらったような気もするんですけど、そうじゃないような気もして」


 わたしの言葉を耳にした降矢さんが、腕を組んで考え込む。あまねの方を見れば、にこにこ笑みを浮かべている。わたしは意識を失い、日向さんは錯乱状態で精神病院にいる。だけど、同じように光を浴びたはずのあまねは、怪我一つなく、変わったところはない。


「あまねは――」


「なあに」


「あまねはなにも見なかったんですか?」


 どうしてそんなことを質問したのか、自分でもわからなかった。あまねが――光を目にしたわたしたちが何か目撃したみたいな質問。


 わたしの問いかけに、あまねは顎に手を当てる。


「別に大したものは見てないよ」


「何か見たのか?」降矢さんが眉を上げた。「いや言わなくていい。刺激が強かっただろう」


「まあね。でもさ、別にどっちでも変わらないよね。私がなんであろうとも降矢がバケモノであろうとも、私は私で、助手くんは助手くんなわけだ。それでいいじゃない」


「『我思う故に我あり』ということか」


「それもあるし、考えても仕方ないでしょ。どっちにしても私たちは生きるしかないのだし」


 そこで、あまねがにっこり笑みを浮かべてわたしを見た。


「助手くんがバケモノだとしても、わたしは君を助手にし続けるからね」


「きもいです」


「なんでっ!? 折角いいこと言ったのに」


「わたしがバケモノとか絶対あり得ませんし。降矢さんもなんですか」


「私か」


「神様なんているわけないでしょう。だから、見るわけもない。今思えば簡単なことでした。あの時は光にやられて、どうかしていた」


「いや神はいるぞ。例えば、君たちが目にした神の名はダオロ――」


「あー聞こえませんね。そんな与太話耳を貸す理由もありません」


 わたしはシーツを耳元まで引っ張り上げ、丸まった。


 ――神様なんているわけない。


 小さく呟いて、わたしは目を閉じる。

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