第十九章 術者はどこに?

 物音が聞こえた。なんだか騒がしい。誰かと誰かが揉めているような……。


 祐真は、うっすらと目を開いた。シックなデザインのお洒落な内装が目に入ってくる。


 祐真は、自分が置かれている状況を徐々に思い出した。


 確か、リコと一緒に、ゲイバーへと避難したんだっけ。あれ? 何でわざわざそんな場所に行ったんだろう。何があったんだっけ。


 意識が覚醒するに従い、騒音も大きく聞こえてくる。やがて、おぼろげな思考が曇りガラスを払ったように、明朗となった。


 記憶を取り戻し、祐真は慌てて身を起こした。


 隣にリコがいた。腕を組み、座ったまま寝入っている。どうやら自分はソファに座り、リコの体に身を預けた状態で眠っていたようだ。


 祐真は、騒音がするほうに顔を向けた。店の入り口のほうからだ。店長の日向が、扉越しに誰かと話をしている。切迫したようなやり取りだ。


 祐真たちは店の奥にいるため、会話内容ははっきりと聞こえない。だが、祐真の心にさざ波を立てるのに、充分、不穏な雰囲気を漂わせていた。


 祐真はリコの体を揺すった。リコはすぐに覚醒し、即座に状況を悟った様子をみせる。ふと、強いはずの淫魔が、こんな騒ぎなのに祐真よりもあとに目が覚めるのは不思議な気がした。


 「きたようだね」


 リコは、立ち上がった。祐真もつられて立ち上がり、同時に店内にある壁掛け時計を確認する。


 現在は午前五時半過ぎ。もう外は明るくなり始めた頃だろう。随分と眠っていたようだ。


 「ちょっといい加減にして!」


 日向が悲鳴に近い叫び声を上げた時だ。店のドアが勢いよく開かれた。


 姿を現したのは、二名の男だ。両名ともプロレスラーのように体格がよく、目が据わっていた。全身から、暴力的な空気が滲み出ている。


 違いなく、退魔士に操られている人間だとわかった。祐真の足が震える。


 「裏口へ急いで!」


 リコが祐真を促した。祐真は裏口へと駆け出す。同時に、男たちが日向を押しのけ、店内へとなだれ込んできた。


 「ママさん、今度説明するね」


 リコは驚いて腰を抜かしている日向に、そう声をかけた。それから、祐真と共に、裏口に向かう。


 リコが先頭となり、バーの裏口に通じる通路を進んだ。通路には、酒ビンのケースやダンボールなどが詰まれており、とても狭い。祐真は体を擦らせながら、リコの背中を追う。背後から、男たちの足音が聞こえてくる。


 やがてすぐに裏口へと到達し、前を行くリコが裏口の扉を開けた。


 明るみ始めた灰色の空が、リコの背中越しに見えた。


 「危ない!」


 祐真はとっさに叫んだ。扉を開けた途端に、一人の男が、リコに向かって鉄パイプを振り下ろしてきたのだ。まるで待ち構えていたように。


 リコはすでに男の攻撃を認識していた。即座に対応の動きを取る。


 リコは、振り下ろされた鉄パイプを難なく右手で掴むと、ハエを払うように空いている左手を振った。


 男は衝撃波を受けたように、背後へと吹き飛んでいく。そしてコンクリートの地面に転がり、動かなくなる。だが、死んだわけではなさそうだった。


 リコは裏口から外に出た。祐真もあとに続く。


 裏口の外は、ちょっとした路地裏になっていた。飲み屋が集中しているエリアらしく、他店舗の勝手口が軒を連ねている。


 時間帯のせいで、人通りは全くない。眠ったように静かだ。ただ、特定の人間たちを除いて。


 「な……」


 祐真とリコは、数名の男たちに取り囲まれていた。『レインボー』の裏口はすでに張られていたのだ。


 「リコ!」


 祐真は叫んだ。店舗内にいた例の二人組の男が、いつの間にか追いつき、祐真たちの元に肉薄していた。


 プロレスラーのような体格をした二人は、同時に祐真へと襲いかかる。


 男の一人が腕を伸ばし、祐真の腕を掴もうとする。その瞬間、強力な重力が発生したように、その男は地面へと叩き付けられた。一瞬で気絶したらしく、ピクリとも動かなくなる。


 もう一人は、祐真にタックルを仕掛けてきた。その男も、祐真の体に当たる寸前で、背後に吹き飛び、建物の壁に激突した。それから、糸が切れたように、ゆっくりと崩れ落ちる。


 祐真は繰り広げられる目の前の展開についていけず、唖然としていた。全てリコが魔術を使い、祐真を守ってくれたのだ。


 祐真はリコのほうに顔を向けた。そして、はっとする。


 取り囲んでいた男たちの一人が、体からぶつかるようにして、リコの背中に刃物を突き立てていたのだ。祐真を守るリコの隙を、上手く突いたらしい。むしろ、最初から計画されていたのかもしれない。


 「リコ……」


 祐真が絶句していると、残った男たちが一斉にリコへと襲いかかった。


 男たちは、皆が手にバットや鉄パイプを持っていた。それが次々に振り下ろされる。背中を刺され、硬直していたリコは、すぐさま袋叩きに合う。


 集団リンチと化した目の前の光景に、祐真は茫然と立ち尽くした。助けに入らないと……。でもどうやって?


 逡巡しながらも、祐真が一歩を踏み出した時だった。それは起こった。


 力のままリコを殴打していた男たちは、ほぼ同時に、透明な巨人の足に蹴られたかのごとく、その場から弾け飛び、地面を転がっていった。


 やがて、皆は気を失ったのか、動かなくなる。路地裏には静寂が訪れた。


 「リコ、大丈夫!?」


 祐真は、リコの元に駆け寄った。災害現場のように、大勢の人間が倒れている中、リコは平然と佇んでいた。


 「大丈夫だよ。祐真。大したことない」


 リコの体を見てみると、袋叩きにされていた全身には、ほとんど傷が見受けられなかった。刺された背中も、ぽつんとした穴が服に空いているだけだった。


 「よかった、魔術で防いだんだね」


 祐真がほっとしながら訊くと、リコはかすかに頷いた。それから、路地裏の先を顎でしゃくる。


 「そうだね。それより、早くここを移動しよう。すぐに敵が集まってくる」


 そう言い、リコは歩き出した。路地裏から脱出するのだろう。祐真は慌ててリコのあとを追う。


 倒れている人間たちの間を縫うようにして進みながら、祐真は眉をひそめた。


 視線の先には、ちょうどリコの背中が見える。無傷だと思われたリコの背中に、僅かばかり、血が滲んでいることを確認したのだ。時間差で出血したのだろうか。それとも、他者の返り血か。


 それを祐真は確かめることができないまま、リコに続いて路地裏から出た。



 すっかりと日が昇り、明るくなった空の中。祐真とリコは、新橋を離れ、新宿までやってきていた。


 新宿駅の東口前にある広場で、祐真とリコは、敵の『退魔士』への対策について話し合う。


 広場や歩道では、大勢の人間が往来していた。休日なだけあり、祭りのように猛烈な賑わいだ。しかし、反面、祐真たちへの『攻撃』はなりを潜めていた。


 やはり、あまりにも人が多い場所だと、敵は攻撃を控える傾向にあるのだ。大騒ぎに発展することを忌避しているのは事実だと言える。


 「それでどうするの?」


 祐真は広場のベンチに腰掛け、隣にいるリコに質問する。そのあと、手に持っていたハンバーガーを一口齧った。安っぽいジューシーな味が口の中に広がる。


 朝になり、空腹だったため、近くのマクドナルドでリコに買ってもらったものだ。


 店内で食事をしないのは、室内での不意打ちを避けるためである。安全を期するなら、公衆の面前にいるべきなのだ。


 「バーで説明したように、退魔士を探すよ」


 リコは、ホットコーヒーを飲みながら言う。


 「空から探すってやつだろ? 成功するのか?」


 「するよ」リコは首肯した。


 「君が退魔士の顔を覚えているのなら、大した時間をかけず、すぐに発見できる」

 リコは自信満々だ。


 「でも、実際に探すのはリコだろ? なんでそう確信が持てるんだ?」


 祐真の質問を聞くなり、リコはニヒルに笑みを浮かべた。


 「そう思うだろ? だけど、実際に敵の退魔士を探すのは君だからさ」


 「俺?」


 祐真はハンバーガーを持ったまま、きょとんとした。


 「俺が? どうやって?」


 「空に飛ばした使い魔と、君の視界をリンクさせるのさ。そうすれば、監視ドローンみたいに、君が周辺をチェックできる」


 祐真はリコの意図を理解した。なるほど。使い魔って便利な存在だな。


 「わかった。でも建物の中にいたらどうするんだ?」


 「建物を透過できる機能を付けるよ。赤外線みたいに、人間を捕捉できるようにする」


 「建物や障害物が全くない場所に行くのは駄目なの?」


 「昼間だと、まず敵の退魔士は近づいてこないだろうね。結局、膠着状態が続く。そうなれば、こっちが不利になる」


 つまり、積極的にこちらから動かなければ、いずれは追い詰められるということか。


 「新宿でやるの?」


 リコは首を振った。


 「街中だと人があまりにも多すぎる。しかし、人が少ない場所なら、さっき言ったように、退魔士は引っ込んでしまう。だから人が多すぎず、少なすぎない場所を選ぶのさ」


 祐真は残ったハンバーガを口の中に放り込むと、首を捻った。


 「理屈はわかったけど、どんな場所を選ぶつもりだ?」


 「ちゃんと考えているよ。これからその場所へ行こう」


 リコはそう言い、コーヒーを飲み干すと、カップを手で潰した。



 「本当にここで大丈夫なのか?」


 駅に降りたあと、疑問に思った祐真はリコに尋ねた。リコは堂々と胸を張る。


 「大丈夫さ。ここ以上に適した場所はない」


 リコは断言した。


 新宿を離れた二人は、中央線から列車を乗り継ぎ、八王子市に行き着いていた。


 八王子市は東京都の南西に位置する中核市だ。ベッドタウンとして有名で、住宅街が多く、住みやすい街として名を連ねている。


 二人が降りた駅は、八王子でも特に住みやすい、みなみ野地区に位置するみなみ野駅だった。


 祐真とリコは駅の改札を出て、目の前のロータリーに足を踏み入れる。天元近くまで達した太陽が強い日差しを投げかけ、祐真は目を細めた。


 休日であるため、利用客は多い。人々の賑わいが祐真の耳を貫く、しかし、都心ほどの盛況さではなかった。


 「この地域は住宅街がメインで、自然も多く、僕らの『作戦』には都合がいい場所なのさ」


 リコがさらりと説明する。どうやって調べたのか知らないが、リコが言うのなら間違いないだろう。


 「……肝心の退魔士は追ってきているかな?」


 「きているよ。確実に」


 リコは言い終わると同時に、唐突に背後を振り返り、手を伸ばした。


 何かと思い、動きを追った祐真は、ぎょっとする。


 二人の背後には、いつの間にか中年の女性がいた。中年女性は腕を振りかぶっており、手にはカッターナイフが握られている。その腕をリコが、がっちりと掴んだところだった。


 気づかないうちに、二人の背後に操作されていた『敵』が接近していたのだ。


 「こうやって、攻撃が再開したからね」


 喋っているリコの前で、中年女性は膝から崩れ落ち、その場に倒れ込む。手からカッターナイフが落ち、地面に転がった。


 「騒ぎになる前に、この場を離れよう」


 リコは祐真の手を引き、街中のほうに向かった。



 「じゃあこれから使い魔を飛ばすね」


 駅を離れた二人は、みなみ野地区の中央付近にある運動公園にやってきていた。芝生が生えた広場の真ん中で、リコと祐真は向かい合っている。


 現在、二人のそばには人はいない。離れたところでは、公園の遊具で遊ぶ子供たちや、親子連れの明るい声が聞こえてきていた。


 「わかった。俺はどうすればいい?」


 「そのままでいいよ。使い魔を飛ばしたら、すぐに視界がリンクするから」


 リコは空を掴むように、手の平を上に向けた。すると、空間が歪んだ直後、浮き出るようにして、一羽のカラスが出現した。


 「カラス?」


 祐真は現れた黒い鳥に対し、目を丸くする。


 「前は確か、蝙蝠とかだったよね?」


 高校で発生した『全世界BL化計画』。その時、リコは使い魔として召喚した蝙蝠を祐真に付けていた。


 てっきり、今回も蝙蝠が出てくるとばかり思っていたが、違ったようだ。


 「使い魔にも色々種類があるのさ。それに、こんな昼間の住宅街なら、蝙蝠よりもカラスのほうが目立たなくて都合が良いんだ」


 リコは至極真っ当な説明を行う、確かに、蝙蝠がこんな真っ昼間に飛び回っていれば、結構不自然に映るかもしれない。相手の退魔士に悟られる恐れもあった。


 「じゃあ飛ばすね」


 リコは、投擲するように腕を振った。すぐに手に上のカラスは飛び立ち、ぐんぐんと上空に登っていった。以前、鷹匠という鷹を操る人の映像をテレビで観たことがあるが、その光景に似ている気がした。


 カラスを放ったあと、リコは祐真に言う。


 「祐真、こっちにいいかい?」


 リコは祐真を手招きした。祐真はリコに歩み寄り、眼前まで近づく。


 まるでキスをするくらいまで接近した祐真は、リコを正面から見据える。見慣れたモデルのような整った相貌。なぜか、少しだけ胸の鼓動が早くなる。


 「それじゃあ、リンクさせるよ」


 リコは、こちらの額に人差し指を付けた。温風をかけたように、じわりと額周辺が温かかくなる。


 すると、不思議な現象が起きた。目の前の視界が、テレビのチャンネルを切り替えた時のように、瞬時に入れ替わったのだ。


 祐真は思わず、小さく声を上げた。突然、祐真は空高い場所へと放り出されていたのだ。下方には、色とりどりの家々がミニチュアのように並んでいる。公園や小さな山も確認できた。


 不意に高所へとワープした祐真は、身をすくめた。恐怖のあまりに、しゃがみこみそうになる。しかし、そこで、ようやく自分が『空を飛んでいる』のは、視界だけだと気づいた。


 空を飛行する鳥。リコが放った使い魔のカラスと視界が繋がったため、自身が空へ放り出された感覚に陥ったのだ。


 「どうだい?」


 街並みを見下ろす天空の景色の中、リコの悪戯っぽさを込めた声が聞こえた。どうやら、リンクしているのは視覚だけで、聴覚は元の体に置き去りになっているようだ。


 「ちょっと驚いたけど、結構圧巻だね」


 祐真は、視界の下に広がるみなみ野市を眺めながら答える。こうして見ると、結構自然が多い街なのだと理解する。同時に、住宅街がとても目に付いた。


 「祐真。これから僕が使い魔を操作して、民家を見るから、凝視してみて」


 「凝視?」


 「ずっと見つめるんだ」


 リコがそう言うと同時に、視界が急速に落下を始める。テーマパークなどで急降下するアトラクションに乗った時のような、下腹部が縮み上がる浮遊感に襲われた。

 リコが操作をするカラスが、下に向かって降り始めたのだ。


 リコの言葉のとおりなら、カラスはリコが操作をしているらしい。つまり、これから二人三脚でカラスを通じて退魔士を探していくことになる。


 やがてカラスは、一軒の民家の近くに降り立った。何の変哲もない、小さな庭とカーポートを持つ、二階建ての家だ。視点から、カラスは玄関近くの塀の上に止まり、家屋のほうを向いている、


 しばらく見つめていると、不思議な現象が起きた。まるで赤外線で撮影したかのように、内部にいる人間の姿が建物越しに透過して見えたのだ。


 家の内部には、小学生くらいの男の子と、母親らしき女性の姿がはっきりと確認できた。子供のほうは二階の自室でゲームをしており、母親は洗濯をしている。


 「これは……」


 祐真は唾を飲み込んだ。奇妙な現象だが、どこか犯罪的でもある。盗撮している気分に襲われた。


 「悪用厳禁だよ」


 見えなくても、リコがウィンクを行ったのがわかった。


 「建物があっても、中にいる人間が確認できることがわかったかい?」


 リコが尋ねてくる。祐真は首肯した。


 確かにこの機能があれば、障害物があっても無関係である。


 「これからカラスを使い、君と接触をした女性を探していく。しっかりとチェックしてくれ」


 「でもキリがなくないか? あまりにも人が多過ぎる気が……。街中全てを調べるとなると、何日もかかりそうだぞ」


 「その点は大丈夫だよ」


 「どうして?」


 「君の目撃証言どおりなら、探す相手を絞れるからね。君と接触した退魔士と思しき相手は、若くて綺麗な女性だろ? それだけでも、対象は限定される」


 なるほどと思う。確かに例の女性とは違う特徴の人間を除外して探せば、捜索対象は結構絞られるだろう。


 「だけど、それでも対象の相手は多過ぎるぞ。この市だけでもどんだけ人が住んでいると思ってんだ」


 「僕が漂う魔力を読み取って計測したところ、敵の退魔士が使用している範囲限定型操作魔術の適用範囲は、半径二百メートルほど」


 「半径二百メートル? その中に退魔士はいるんだな」


 該当エリアはかなり絞れたが、それでも広大な範囲だ。直径なら四百メートルはある。


 「相手の退魔士は相当な実力者だよ」


 リコは固い声を発した。予想外に退魔士の実力が強大で、警戒心を強めたのだろう。声だけでも、祐真に緊張感をもたらした。


 リコは言葉を続ける。


 「すでに僕らは敵の魔術の範囲内にいる。敵は僕らを捕捉し、必ず効果範囲内に留めるように動いているからね。だから、僕らを中心に捜索しても問題ないはずだよ」


 指針を示したリコに対し、祐真は納得して頷いた。


 「わかった」


 そして祐真は、気になっていたことを質問する。


 「ところで、リコ。このカラスの視点って好きに切り替えられないのか?」


 先ほどから、監視カメラのようにずっと家を見ている視点が続いていた。視界だけ別の空間だと違和感が強く、疲労が蓄積することを祐真は知った。


 「できるよ。単純に元の視点に戻るよう強く念じればいい」


 予想外の簡単な解決法を受け、祐真は拍子抜けすると同時に、実践してみた。


 心の中でテレビ画面を切り替えるイメージを作り、元の視点に戻るように念じる。

 すると、家屋を捉えていた光景が消え、目の前にリコの姿が見えた。背後には芝生に彩られた広場が広がっている。


 元の視点に戻ったのだ。


 「便利だろ?」

 リコは首を傾け、自慢げに笑う。男性アイドルのように爽やかなリコの顔を見ながら、祐真は思う。


 確かにリコの言うとおり、便利な機能だ。上手く使い分ければ、効果的に標的を探し出せるだろう。


 「さあ、始めようか」


 リコはこちらの肩を叩き、そう言った。



 結果を言えば、全ては徒労に終わった。


 リコが説明した半径二百メートル。その範囲をカラスの視点を使い、しらみつぶしに探したが、記憶にある例の女性の姿は発見できなかった。


 公園、路上、民家、スーパーやコンビニ。範囲内にある様々な場所を当たったのだ。にもかかわらず、最初から存在していないかのように、どこにも見当たらなかった。


 見落としも有り得ないはずだ。あの女性は人目を引く整った容貌をしていた。チェックが入るのなら、必ず目に付くはず。


 建物の問題でもないだろう。この近辺には、大型商業施設などの人が雑多で、入り組んだ建物は存在しておらず、ほぼ全てのエリアを捜索したと言っても過言ではなかった。


 厄介なことに、敵から操作を受けた人間たちも頻繁に襲ってきていた。昨日の夜のように集団ではないにしろ、暗殺者のように忍び寄り、攻撃を仕掛けてくるのだ。


 同時にそれは、退魔士が施した魔術の範囲内に祐真たちがいる証でもあった。なのに、その退魔士をどうしても発見できないのだ。


 「リコ、どういうこと?」


 襲撃者たちの手から逃れ、現在は一軒のコンビニの前に祐真とリコは避難していた。


 コンビニは利用者が多く、また開けた場所であるため、襲撃者に対して比較的安全な条件を確保していた。


 「範囲内に退魔士はいるはずなんだろ? どうして発見できないんだ?」


 祐真は訊いたあと、ペットボトルのお茶を飲む。ずっと捜索を続け、喉がからからだった。腹も空いており、どこかで食事も摂りたかった。


 「わからない。けれど、予想を超えた厄介な相手なのは確かだね」


 リコは顎に手を当て、表情を曇らせる。


 「きっと何か大切なことを見落としているんだ

 リコの言葉に、祐真はじっと考えにふけった。


 祐真も感じていたことだ。今回の相手は、色々と奇妙な部分があった。


 祐真は心の中で強く念じ、視点をリコが召喚した使い魔のカラスのものと切り替えた。カラスは祐真たちの上空を旋回している。


 視点はすぐに広大な土地を、上空から見下す形となった。下方に、コンビニ前でたむろする祐真とリコ二人の姿が見えた。


 さらに外へと目を向けてみる。コンビニ周辺は住宅街が広がり、夕刻に近い現在、様々な人の姿が確認できた。


 路上の隅で井戸端会議をする子持ちらしき女性たちや、駐車場に停めた車に乗り込む若い男女、川岸を散歩する老人など。


 児童公園もあり、友達と遊ぶ小学校低学年くらいの男の子や女の子たちの姿も目に入ってくる。


 とても長閑な――どこにでもありふれた――光景だった。人の命を奪うために、他者を操る人間が存在している場所だとは到底思えない。しかし、確実にその人物は、この景色のどこかにいるのだ。


 そもそもの疑問に、敵はどうやってこちらの動向を察知しているのか、というものがある。いまだに鎮火できず、燻り続けている謎だ。


 魔術を使っているわけでもなく、ドローンや監視カメラも使用していない。一体、どうやって……。


 祐真はそこでふと気づく。カラスの真下にある、現在祐真たちが休んでいるコンビニ。その近くの路上を三人の男たちが歩いている姿が目に付いた。


 本来なら別段、特筆するべき点ではなかった。しかし、祐真の目はある特徴を捉えていた。


 男たちは三人揃って、一直線に淀みなく、コンビニに向かってきているのだ。まるで機械のように規則的かつ、単純な動き。まるで感情がないような……。


 つまり、彼らは操られていると予測できた。今まで何度も襲われてきたため――喜んでいいのか不明だが――自然と判別が付く目が養われたのだ。


 「リコ。奴らだ」


 祐真はリコに言う。


 「こっちに向かってきている」


 まだ祐真たちのいる位置からは見えないが、いずれ姿を確認できるだろう。そして、奴らは即座に襲い掛かってくるに違いない。今日だけでも、結構な回数襲われている。その度にリコが対処しているが、彼の消耗が加速していくばかりだ。相手を殺さないという前提であるため、なおさら疲労は蓄積する一方である。


 「やはりまだ相手は、こちらを逃すつもりはないみたいだね」


 使い魔であるカラスの視線のまま、冷静に言うリコの声が耳へと飛び込んでくる。

 「どうする?」


 「逃げよう。いちいち戦っていてもこちらの損耗が大きくなるだけだ」


 リコの言い分は最もだと思う。これまでは、襲われて初めて対処に移っていたが、事前に襲撃が察知できたのなら、逃げるのが最善手だと言えた。


 「でもどこに逃げるの?」


 「……北の方角にスーパーがある。そこに行こう。距離的にも今から急行すれば、相手は撒けるだろう。スーパーなら避難場所としては最適だし、食事だって買えるはずだ。このコンビニの裏を抜けて向かおう」


 「わかった」


 「今すぐ出発だ」


 リコが動き出す気配を肌で感じ取った。


 祐真は男たちを監視していたカラスの視点から、自分の視点へと切り替えようとする。


 そこで眉をひそめた。男たちの動きに変化があったのだ。


 彼らは急に方向転換を行っていた。気が変わったかのように、突然コンビニを目指すのを止め、踵を返すと別方向へと歩き出す。三人揃って、訓練中の兵隊のような動きだ。


 そして、新たに目指す方向は北の方角だった。よく見ると、三人はそれぞれ、耳にワイヤレスのイヤホンのようなものを付けている。


 つまり、これは……。


 「リコまずい。やっぱり動きを読まれている」


 「なるほど。とことん追い詰める魂胆だね」


 リコの声には少しだけ、疲労の色が込められていた。


 「まるで僕らの心でも読んでいるかのような動きだ」


 リコはさり気ない様子で、意見を言う。本気での発言ではないのは伝わってきた。


 しかし――。


 祐真の脳裏に一筋の光が走った。粒子のように瞬き、全身を貫く。


 これまで襲ってきた『襲撃者』たちの光景が、脳内に展開された。早送りの映像が目まぐるしく投影される。


 退魔士が、こちらの動きを察知している方法がわかったかもしれない。


 祐真は視点を自身のものに切り換えた。先を歩くリコへと追いつき、隣に寄った。そして、自身のポケットを探り、スマートフォンを取り出す。


 バッテリーは結構減っているが、まだ充分使える。


 祐真はスマートフォンを操作し、無言で隣を歩くリコの前に画面を向けた。



 磯部美帆は微かに笑みを浮かべる。


 遠くから『聞こえる』標的二人の会話。および、活動の際に発生する音。それにより、自身が圧倒的に有利な立場にいることを確信していた。


 空から暖かい日差しが降り注ぎ、周囲は穏やかな雰囲気に包まれていた。子供たちのはしゃぐ声が耳を静かに撫でる。


 平和そのものの風景の中、美帆は思案を巡らせる。


 相手の淫魔が、美帆が施した『範囲限定型操作魔術』の解に辿り着いたのはさすがだと思う。だが、できることはそれまで。本体である美帆の居場所を探り当てたり、ましてや辿り着くことなどほぼ不可能に違いない。


 そう断言できる『理由』がいくつかあった。その一つが、美帆の特殊能力によるものだ。


 美帆は、ずば抜けて優れた聴覚を有している。数百メートル離れていようと、まるで直近で集音マイクを使っているかのように、詳細に音を感知できるのだ。


 破格の精度であり、心音すら容易に聞き分けられる。それにより、相手の心理状態すら把握可能だ。


 この聴覚のお陰で、いわば、対象からの情報は全てこちらに筒抜けの状態となる。情報戦においては、極めて有利であった。


 相手の会話や行動が完全掌握できているのなら、美帆が出し抜かれる恐れは皆無である。いくらでも接触を回避できるだろう。


 そして、敵がこちらに辿り着けないもう一つの『理由』。


 これこそが、相手の淫魔たちをかく乱できている最大の根拠となり得ていた。


 あの祐真とかいうガキ。あいつは当初に接触した女を私だと思っている。しかし、それは間違いだ。


 あの女は、美帆の魔術によって操作を受けたただの一般人である。近くのビルで働いていた女性会社員。


 いくつか『目的』により、美帆が操作魔術を施し、あの男子高校生と接触をさせた。


 結果、操作を受けただけの女性会社員を彼は、敵対する退魔士だと誤認をした。


 美帆にとって、狙い通りの展開だと言えるだろう。


 リコという淫魔が自ら召喚した使い魔を用い、当該の女を捜索しているようだが、いくらやっても無駄だ。向こうにとって不都合以外何物でもない。いたずらに消耗を続けていくのみである。


 一昨日の沙希との戦いで、リコが弱っていく一方の存在であることは認識していた。


 そう。このままだ。このままでいい。操作した人間をけしかけ、ひたすら淫魔を疲弊させていけば、いずれあいつは倒れるだろう。


 汚らわしい淫魔め。必ず仕留めてやる。仕留めたあとの報酬は、全て私の総取りだ。高級車や、ブランド物の服やバッグ、宝石も好きなだけ買えるだろう。


 私に相応しい待遇が待っているということだ。私はもっと輝かなければならない。タワーマンションも、高級ブランドも、宝石も全て私を高尚な存在へと押し上げるための道具なのだ。


 中途半端な価値の服を着て、安っぽい家で日々を暮らす。そんな凡夫のような生活、私には相応しくない。


 私は、この世界の人間たちを見下す立場に立つのだ。


 だからこそ、何としてもあの淫魔を殺さなければならない。


 私は勝てるはず。絶対に負けはしない。美帆は自分に言い聞かせた。


 奴らは決して、こちらの『正体』に気づくことがないのだから。

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サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 佐久間 譲司 @sakumajyoji

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