2話 遊戯的な緒戦

 夕刻の<フェロウ・インダストリーズ>のカフェスペースは、客もまばらになってきていた。ディナータイムの営業はないそうだから、スタッフもそれとなく店のなかを片付けはじめている。

 ありきたりなカフェにみえた。内装はシンプルで、インテリアに凝っているところはない。

 メニューも定番な品ばかりだが、国内産小麦や地場野菜使用をうたっていて、少々高めな価格に設定されている。

 それでもやっていけるのは、店の周辺を見ればわかる。中堅所得以上であることが伺える住宅が多いし、シーズンになれば観光客もくるからこそだろう。

 ただ周囲の環境に溶け込んだカフェでありながら、スタッフのビジュアルには個性が残っていた。

 若年犯罪者の更生施設であっても、服装に関する決まりごとは、ユニフォームのワークシャツ以外にはないとみえる。

 のばしっぱなしの長髪や過剰なアクセサリーこそないものの、個性的なヘアカットやメッシュカラーの髪、シャツの端からタトゥーがのぞいていたりと、個人の判断に任せているようだった。

 ソニはファッションで自己主張するタイプではなかった。髪や瞳の色をナチュラルなままにしていても、ここではさして目立たなさそうではある。

 想像だけなのは、姿が見えないから。

 この敷地のなかでソニが働いているのかと思うと、妙な感じしかない。銃を持つ姿の印象が強いから、実際を見ないとまだ信じられなくもあった。

 製造担当でも、品出しなどでカフェスペースに出てくるかもしれない。そう思って一時間ばかり粘ってみたが、成果はなかった。

 残っている客が自分だけになっても、追い出されれそうな気配はない。とはいってもウレタンフォームの椅子で長居するには、腰と臀部が悲鳴をあげはじめていた。

 硬い椅子にギブアップ。立ち上がろうとして、瞬きの間、動きをとめる。

 すぐに、また腰をおとした。

 周囲から浮いているものに目がいく習い性がでる。新しく入ってきた客に視線が吸い寄せられた。

 二十代前半、男。身長は百七十前後で高くも低くもない。

 服装も、ボンバージャケットに細身のパンツ。全体をモノトーンでまとめ、目立つところはない。

 ただ、視線の動きが妙だった。

 入ってきた客のたいていは、正面にあるパンのショーケースか、壁のメニュー表に真っ直ぐ向かう。あるいは、カフェの空席を確かめるように、店内にぐるりと顔を巡らせるか。

 ボンバージャケットの彼は、入ってくるなり店内を慌ただしく視線で探った。それから真っ直ぐレジへと向かう。

 レジに立つのは、サイドからバックを短く刈り込み、トップをオールバックで流したヘアスタイルできめた、片耳ピアスの青年。腕にはレーザーで消している途中らしきタトゥーが残っている。

 ピアス青年がボンバージャケットの客に気づいた。来店を歓迎する決まり文句、「いらっしゃませ」と開きかけた口元がかたまった。

 ボンバージャケットがレジカウンターに手をおき、やや身をのり出してピアス青年に話しかける。

 静かな店内でも、困惑気味のピアス青年との会話は聞こえない。意図的に声を落としていた。

 やりとりするうちピアス青年の表情が、戸惑いから怒りの色に変わった。ボンバージャケットの声が、突如として大きくなる。

「おれのことなんか、もうどうでもいいのかよ!」

 そんな台詞とともに、ボンバージャケットの右手がポケットに入った。

 同時に椅子から立つ。凶器を出すなら放置しておけなかった。

 働く青年を守るためではない。ここで警察沙汰をおこされると、これからの予定に支障がでる。くだらないいざこざで乱されてはたまらない。

 ピアス青年のタトゥーは、こけおどしではなかった。ワンプッシュナイフが突きつけられても、フリーズすることなく動く。ナイフを持つ手首を力任せにつかんだ。カウンター越しにボンバージャケットを引き寄せる。よかったのは、ここまで。

 殴ろうとしたが、逆に左フックで打ち返された。

 劣勢のピアス青年に加勢する。

 近づいていたボンバージャケットの背後から、首の下に肘打ちをいれた。

 ひるんだ隙で、ナイフを持つ右腕を伸ばしてとる。拳よりも強力なエルボーを肘関節に軽く打ち込む。逆関節でナイフを奪った。

 それでもボンバージャケットは抵抗する。あきらめないのは、こちらが細身だとあなどっているのか。肘を折らなかった温情を無視して強引に身体を捻り、左ストレートを突き出してきた。

 半身になってかわしながら、奪ったナイフを左に持ち替えた。狙うのは、ガラ空きになっている右半身。ナイフを繰り出す。

 右側頚動脈に刺し入れる寸前、ボンバージャケットが両手が頭より高くあがった。

 ──残念。

 もうちょっとウォーミングアップといきたかったのだが。

 一転して降伏のサインを出したボンバージャケットに視線をあわせたまま、ピアス青年に訊いた。

「警察を呼ぶ。ここでこらしめてやる。どっちにする?」

「そんな提案してくるとは思わなかった」

「暴漢をおさえた感謝状なんかメモ用紙にもならない。再犯まっしぐらなやつなら、ここでお仕置きという手がある」

 ボンバージャケットの首にブレードを当てる。皮膚に薄っすら赤い線をいれただけで、膀胱の中身をぶちまけそうな表情をみせた。

「仕置きはオレたち店員のためにはならない。床を汚されたら、あとがめんどくせえよ」

「じゃ、警察?」

「そっちもいい。かまわないか?」

 まわりのスタッフを見回して意見を求める。ぱらぱらと頷きが返ってきた。

「警察を呼んだら帰るの遅くなるし、無神経な警官に当たったりしたらサイアクだからな。オーナーに聞かれたら怒られるけど」

「わかった」

 運のいいボンバージャケットからナイフを離すと、短距離の新記録を出す勢いで逃げ去った。

 張り詰めていた店の中に、もとのゆるい空気が戻ってくる。

「礼をいっとく。あいつ思い込むとこがあって、たまに暴発するんだ」

「悪いやつじゃない?」

「いや、悪いだろ。口で言えないからってナイフ出すんだから。オレも人のこと言えなかった立場だけど」

 ピアス青年が店員の顔にもどった。

「会計票はおいてっていいぜ。助けてくれた礼だよ」

「金はちゃんと払う。かわりに、ちょっと教えてほしい」

 声を落とした。

「個人的なことを訊くのはルール違反なんだろうけど、遠縁の子がここにいるはずなんだ。名前はソニ・ベリシャ。どんな様子か気になってて」

「ああ、ベリシャのことなら──」フロアを見回し、

「アオイ! おまえベリシャとよく話してるだろ? この人が話を聞きたいんだってよ!」

 金髪に染めたアジア系の女の子が、やってきた。

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