4章 決着はゲームで
1話 菓子の誘惑
ソニにとって驚きだったのは、トニーの修道者みたいな生活だった。
<ジ
空いた時間で日用必需品の買い物を手早くすませ、寄り道して遊ぶこともない。仕事おわりの外食すらめったにしなかった。
食事も質素で、栄養面は考えても、つくる手間はかけない。好ききらいも特にない。
ただ缶詰だけはキライだと聞いた。
幼かった頃、父親が食事をつくってくれるわけでもなく、フードバンクでもらってくる食料に頼っていたこともあり、しょっちゅう食べた缶詰の味にすっかり飽きたのだそうだ。
唯一の趣味らしきものは、葉っぱが迷彩みたいな模様の植物を部屋で育てていることぐらい。水をやる以外に、一枚一枚葉っぱを拭いたり、ブラシをかけたり。隙間時間に、まめまめしくやっていた。
「置いておくだけでも汚れが付くんだよ。ほこりのない部屋なんかないでしょ?」
「は、はい……」
どこが汚れているのか、ソニにはわからなかった。
「アントニアさん、キレイ好き。だからですか?」
「初めての報酬をバイロンにもらったとき、一緒にこの鉢植えも押しつけられた。もらってすぐ枯らすわけにいかないから手入れしてたら、案外おもしろくなってきて、やめられなくなっただけの話。別にキレイ好きというわけじゃない。効率を上げるための整理ならするけど」
律義な性格なのかもしれない。
おしかけた最初の夜は同じベットだったが、四日目からはソニのために新しいベットが用意された。
少し残念な胸の内を言葉をかえて言った。
「新しいベッド、もったいないです」
トニーから返ってきたのは、
「時間が不規則な生活になるから、部屋で眠る環境ぐらいは整えないといけない。いつもベットで眠れるとは限らないんだし」
「前の組織、床で寝る、普通でした。ソファ、椅子ならべる、ベッドになります」
「成長途上の子どもなんだから、ちゃんとベッドで寝ろ。気を遣う必要もない」
甘えてもいい……。
子どもとして扱われるのが新鮮であり、悔しくもあった。
ソニは、キッチンの食器棚の前で考えていた。
トニーからみた自分は、どう位置付けされているのか。
<ジュエムゥレェン>の後進であることに間違いはないのだが、それだけにおさまらないものも感じていた。
先ほど、トニーがひとりで出かける前、思い出したように言いおいていった。
「食器棚に菓子をおいてある。好きに食べていいから」
いつの間に買っていたのか。扉を開いた食器棚のソニの目の高さにあったのは、木の小枝を模したチョコレート、三角形のライススナック、王妃の名前にちなんだという赤いパッケージのビスケット、丸い揚げ煎餅……。
「酢こんぶ」と書いてある小さなパッケージのものがあったが、これは食材が紛れ込んだようだ。
ここにあるたくさんの菓子をトニーがどんな顔で選んだのか気になった。
ソニの扱いが、逃げ出してきた組織とずいぶん違う。
指導係という立場では、トニーと〝先生〟は同じだ。しかし、先生からは食事以外の食べ物、ましてや菓子など、もらったことがなかった。仕事をするときも、トニーのようにソニの意見を聞くということもない。
先生に間違いはなかったから、それでよかったのだけれども……。
トニーの場合、ソニが子どもだから甘やかしているところがあるのかもしれなかった。その反対が、子どもであっても厳しい先生で。
組織の指導者としては、感情をいっさい入れない先生の方法が正しいのだと思う。生き残ることだけに精一杯だったときは、それでよかった。
しかし、トニーによってもたらされた感情——守ってくれる人がいる安堵感を知ると、非合法組織の指導者には無用とされるものまで求めるようになっていた。
贅沢を覚えてしまった。
トニーの厚意に、このまま甘えていたかった。
ソニは目を閉じた。用意されていた菓子を意識から追い出す。
やらなければいけないことに蓋をしたまま、甘く、温かい流れに身をゆだねるわけにはいかない。
なのに、食器棚の扉を閉めようとした手が止まった。
もう一度、並んだ菓子をひとつひとつ見つめる。打ち寄せる苦しい波で胸がいっぱいになる。
扉を閉めるまで、少し時間がかかった。
ソニはボディバックをとってくると、スプリングがへたった三人がけソファに、ひとりで座った。
ボディバックの内側のポケットから、真鍮製のブックマーカーを取り出す。
あの子——フロラから受け取ったあと、汚れをぬぐいとり、時折とりだしては何度も拭いていた。
日中の明るい日差しを受けて、シルバーゴールドが柔らかい光を反射する。
——「C.F.」
先についた小さなプレートには、持ち主のものであろうイニシャル。
フロラが託してきたときの最期の表情が、薄れることなく、脳裏に鮮明によみがえった。
一〇センチメートルほどあるボディ部分にある刻印。
——「I’ll never forget you.」
そんな思いで通じ合う、ふたりの繋がりを断ち切った自分が願うようになったことは——
ソニは自分の貪欲さに気分が悪くなった。
親しい誰かにトニーが似ていたわけではない。フレンドリーには遠く、目つきが鋭くて、取っつきづらい。なのに互いに話題がないまま何も話さずにいるオフタイムの部屋でも、仕事で一緒に動いていても、心地がいい。
こちらに無関心なようでいて、的確なサポートをいつもしてくれる、見ていてくれているのがトニーだった。
もらっただけだという観葉植物の葉は、美しい光沢を保っている。懐の内にあるものは、面倒を見ずにはいられないのか……。
そんなトニーでも、ブックマーカーを託されたときの一部始終を聴いたら、ソニに対してどんな反応をするか、想像に難くなかった。
底がない奈落に下りていくような不安で、ソニの身がすくむ。
それでも、下りないわけにはいかないのだ。
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