第6話 ディサナスの保護者

「君がハルトか。オレはグスタフ。ディサナスの保護者だ」


 オレという一人称に低い声に粗っぽい口調。今度は男か。


「初めまして、ハルトです。……ディサナスの保護者、というのは」


 グスタフはにたりと笑みを浮かべると、手近にあった脚の高い木椅子にドカッと座り込んだ。脚と腕を組む。体の線が細いためにその仕草にはどうしても違和感を感じてしまう。


「危険な状況に陥ったディサナスの代わりに出てきて、彼女を守るのさ」


 危険な状況? それなら、王宮防衛戦のときに現れなかったのは、どうしてだ? フルートを破壊されて十分命の危険を感じる状況だったはず。


「なんでお前と戦ったときに出てこなかったんだ? って顔してんな」


 口角をさらに緩ませてその先を続ける。こういう相手は苦手だ。


「不思議と、お前から殺気を感じなかったんだよ。ディサナスは、何も感じないように見えて人の感情には敏感だ。お前からは殺気も下心も何も感じなかった。だから、ディサナスはあの状況でも隠れる必要はなかったんだ。むしろ、お前がどんな人間なのか少し興味が沸いた。ディサナスが人に関心を持つことは滅多にないことだから、すげぇよお前」


 それは褒められているのかどうなのか。だけど、それで僕以外とまともに話をしない理由はわかった。なぜ、僕に関心を持ったのかは謎だが。


「なるほど。わかりました。それで……単刀直入に言っていいですね?」


 こういう相手には、変な愛想や小細工はいらない。こちらの手の内を明らかにして協力を仰ぐのが効率的だ。それに、いい加減寒さが限界に来ていた。


「ディサナス、いやあなた方から反乱軍の情報を聞きたいんです。できるだけ多く、かつ事実を。そのために協力していただけませんか?」


 沈黙が続いた。グスタフは試すように瞬き一つせず僕の目を見つめ続けた。時間にして十数秒が経過したのち、急に立ち上がると鉄牢の隙間から片手を差し出した。


 その手を強く握るが、やはり華奢な女性を感じさせる手だった。おまけに冷凍庫から取り出したばかりの氷の塊のように冷たかった。間違いなくその体はディサナスのものだった。


「彼女が関心を持つほどの男だ。協力するよ。いい目をしてるしな」


「ありがとうございます。では、まず牢を出ないことには始まらないですね」


「そうだな。安心してくつろげるくらいの状態じゃないと出てこられない。他の人格も、な」





「──というわけだ、カロリナ」


 緊張をほどくためかピアノに向かっていたカロリナは、僕が入ってくるやいなや即座に演奏をやめてこちらに向き直って話を聞いていた。


「……そう言われてもねぇ」


 しかし、予想通りその反応は鈍かった。眉間にシワを寄せた見るからに困ったような表情を浮かべて「うーん」と頭を捻る。


「信じられないかもしれないが」


「いえ、貴方は信じるわ」


 思わぬ即答に虚をつかれる。きっと変な顔をしていただろう。


 カロリナは長い髪を片手で払うと、輝くほどに磨かれた鍵盤の上に紫色の布をそっと被せた。


「だけど、他の人が納得するかどうかよ。だって聞いたこともないもの。人格が複数あるだなんて。牢を抜け出すための言い訳としか思われないわ」


 やっぱりそうか。いや、僕も違う立場ならそう思っていただろう。なかなか複数の人格があるなどということは想像しにくい。王家の血が流れるあのマリーの症状ですらよくわからない病気と片付けられていたのだから。


 緘黙かんもく症。僕はマリーの全くしゃべることができない状態をそれだと睨んだ。もちろん正確な診断ではないが、側にいてノートを介してのやり取りを続けていくうちにマリーは言葉を発するようになり、今やだいたいの場面でスムーズな会話ができて、魔法も使えるようになった。あの穏やかな笑顔は人を幸せな気分にさせてくれる。


「カロリナ。やっぱりそんな症例は聞いたことないんだろ?」


「そうね。そういう、何て言うのかしら精神的なその、病というか特徴というかは全然わからない──ん? 待って」


 カロリナはその長い腕を組んだ。ドレス姿のせいもあって胸が強調される。と、突然立ち上がると、手を叩いた。


「クラーラ王女なら何か知っているかもしれないわ! スルノア国とはまた違って回復魔法が発展している国だから、そういう研究も進んでいるかもしれない」


 そのとき、タイミングよくドアが叩かれた。ニコライ執事長が厳格に引き締めた顔をのぞかせる。


「カロリーナ様」


「時間ね。今出るわ」


 カロリナは立ち上がると鍵盤のふたを閉めた。髪を整えながらドアへと向かう。


「ニコライ執事長。ご帰還の儀式のあと、別件で少しクラーラ王女と話せるかしら」


「確認してみますが、どのような用件が?」


 後ろ手にドアを閉めると、話ながら歩き始めた二人の後ろについた。王女をあの牢屋に案内するつもりなのか?


「ちょっと専門的な知恵をお借りしたくて」


「はぁ。具体的なものが何もわかりませんが、あの方なら喜んでお引き受け下さるのではないでしょうか。研究に熱を上げている方ですから」


「執事長もそう思う? なら大丈夫ね」


 研究に熱を上げている王女。いったいどんな人物なのか。こっちに来てから今まで出会った面々を思い浮かべるととても個性的な絵しか浮かばないんだが。


「クラーラ王女はね。第3王女という身分もあって割と公務に縛られていないのよ」


 カロリナが顔を近づけて嬉しそうに語り始めた。近くにいるとローズの香水のかおりがぶわっと広がる。これがドラマや漫画なら今、カロリナの華麗な笑顔のまわりには、その華麗さを強調するようにバラで囲まれていることだろう。


「好奇心旺盛な方で、特に魔法の研究については一流の学者と肩を並べるくらいの見識を持っているのよ。回復魔法だけでなく、我がスルノア国伝統の音楽魔法にも関心が高くてね。今回は公務で来られるけど、お忍びも含めてよく訪問されている方なのよ」


 なるほど。そういう変わった経歴の持ち主であるなら、魔法以外の物事についても知識を持ち合わせているかもしれない。もし、なかったとしても冷たい炎を形成するディサナスの不協和音には飛びついてくるに違いない。こちらはまずディサナスが安心していられる場所の確保が第1目的なのだから、クラーラ王女が興味を持ってくれれば上手くするとトントン拍子に話が進むかもしれない。


「さて着いたわね。ハルト、何も役割ないけどへましないでね」


「もちろんです。カロリーナ様」


 2階の真ん中に構えた王座の間の鷲が型どられた重々しい扉を執事長が開けると、中にはすでにシグルド王子以下貴族らが円をつくるように整列していた。誰も彼も貴金属に宝石を身につけ、まぶしくなるほどきらびやかだった。玉座に向かって左手には、王宮専属のスルノア第一楽団が控えている。


「カロリーナ様はシグルド様の横へ」


「ええ、わかっています」


 カロリナはさきほどまでの笑顔を消すと、カロリーナ様へと変わった。キリリとした少し近寄りづらいオーラが発せられる。スルノア国の女性なら誰もが憧れる第一王女の顔だ。


 カロリナは軽く会釈して前へ進むと、王座を挟んでシグルド王子の横に並んだ。その斜め後ろに僕はひっそりと執事の立場で立つ。


 その数秒後、部屋の外から流麗なメロディが流れ始めた。

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