第163話 ルシュグルとアルト

 黒く、暗く、荘厳な一室の中で、二人の人物がひざまづき床に触れそうなほどに深く頭を垂れている。


 一人は魔王軍四天王のひとり、カッサンドーラ・アンブレラ。

 

 そしてもうひとりは同じく魔王軍四天王である隻腕の男、ルシュグル・グーテンタークだ。


 いや、そも彼らを魔王軍四天王などと呼んで良いものか。

 なにせ彼らはその軍を置き去りにして逃げ帰ってきたのだから。


「久しく見ないあいだに随分と無様な姿になったものよ、ルシュグル・グーテンターク。人間との戦いでうっかり落としてしまうほどにお前の右腕が重たいものだったとは妾は知らなかったぞ」

 彼らが頭を垂れた先から聞こえてくる麗しき声。


 声の主は豪奢な椅子に座って足を組んでいるが、その人物の前には薄いベールが御簾みすだれのようにかかっており、はっきりと容姿を確認することはできない。

 わかるのは、その身体が美しい女性のラインをえがいていることくらいだ。



「申し訳ありませんアルト様。ああ、あなた様に捧げたこの身の一部を失うという失態、万死に値します」

 ルシュグルは顔を上げて実に悔しそうな表情で御簾の奥の人物に言う。


「うむ、では一万回死ね」


「は?」

 ルシュグルは自身の予想とは違った返答に間の抜けた顔をしてしまう。


「何を驚いておる、冗談じゃ、とは妾は言わぬぞ。万死に値するのなら一万回死ね。────といってもそれではルシュグル貴様が苦しいだけで妾は何も楽しくはないな。何か代案はあるか?」


「! では、アルト様。ワタクシに人間どもを殺すご許可をいただきたい。さすれば一万と言わずに十万、百万と人間どもを私が駆逐してご覧に入れましょう」

 ルシュグルは急に立ち上がり、弁舌を始める。


「はぁ、またそれか。貴様は何かあるたびに『人間を殺す』『人間を殺す』と……、そもそも百万も人間はおらんだろうに」

 アルトと呼ばれる人物は呆れたようにため息をつく。


 そこへ、


「アルト様! もし私でよろしければ、」

 カッサンドーラが名乗り出る。


 だが、


「なんぞ、カッサンドーラ。妾はそなたに一度でも発言を許したか?」

 ベール越しにでも分かる、心胆震え上がらせる視線がカッサンドーラを襲う。


「ひぇっ! いえ、何でもありません!」

 カッサンドーラは頭を床にこすりつけてその身を震わせる。


(何で、何でなんだ。ああ、結局はやはり、ルシュグルはこのお方の寵愛を受けているせいなのか?)

 彼女は震えながら隣の同僚に意識をやる。


 先ほどから彼は要所要所で礼を失する行為を繰り返している。

 それでも明確な叱責はなく、対してカッサンドーラがただ口を開こうとしただけでこの始末だ。


 これは誰の目から見ても、ルシュグルが優遇されているのは明らかであろう。


「して、ルシュグルよ。以前に妾が贈ったペンダントは肌身離さずに付けておるか?」


「もちろんでありますアルト様」

 ルシュグルは胸元のペンダントを握りしめてアピールする。


(!? アルト様から贈り物まで? ルシュグルめ、いくら10年前から取り入っているとはいえ、こんな男がここまでこの方の懐にもぐりこむとは)

 カッサンドーラはややルシュグルに対して失礼なことを考えながらも、反面ある意味で頼もしく思う。


 浮遊城ジークロンドを放棄して逃げ出した二人には、今やこのアルトという人物にすがるしか生き残る道はないのだ。


 もし、それができなければ、無事生き残っていたという大貴族セスナ・アルビオンに彼らが粛清されるのは間違いないのだから。


「よいよい、そのペンダントは決して手放すでないぞ。なにせ妾の手作りなのだからな」

 声の主アルトは満足したようにうなずいている。

 

「はい、それはもちろんでございます」

 ルシュグルが握るペンダント、それは実に精巧に作られており、その中心には黒く吸い込まれるような美しい魔石が鎮座していた。


「さて、何の話だったか。ああ、浮遊城での失態を見逃して欲しい、であったか。まあ妾には何の利害もない話、だがルシュグルの頼みなら仕方あるまい。セスナと話をつける程度ならしてやろう」


「本当でございますか、アルト様!」

 ルシュグルは喜びで顔を輝かせる。


 カッサンドーラも内心では喜びを表したいところなのだが、何を言われるか分からないので俯いて黙っていた。


「ああ、どうやらルシュグルは『一万回の死』では物足りぬようなのでな」


「はは、アルト様ご冗談を」

 ルシュグルはアルトの不吉な物言いを気にすることなく笑っている。


「はあ、聡明な馬鹿とは世にも珍しい、─────おっ?」

 彼らが話していると、この部屋の開いていた窓から、一羽の大きな鳥が入ってくる。


「あら、帰ってきたのねハリス。────様の様子はきちんと撮れたからしら」

 アルトという人物は突然人が変わったかのように優しい声音でその鳥を迎え入れた。

 その鳥は黒く美しく揃った羽と、その額にも美しい魔石が第三の瞳のように飾りつけてある魔鳥だった。


「ん? まだおったのかルシュグルたち。これから妾は忙しい。疾く消えよ」

 もはやルシュグルたちには興味がないと、彼女は言い放つ。


「は、それでは失礼いたします」

 彼女の命令通りに早々に退席するルシュグルと、最後まで発言の機会を与えられなかったカッサンドーラ。

 彼らは部屋の扉を閉めたところで大きく息を吐く。


「まったく、ヒヤヒヤさせるんじゃないよルシュグル。この場で首が撥ねられるんじゃないかってドキドキしたじゃないか」

 カッサンドーラは廊下を進みながら、小声でルシュグルへと文句を言う。


「まあまあ、安心してくださいよカッサンドーラ。あの方への仕込みはとうの昔に終わっているのです。口が悪いのは以前からですが、あの方が私に逆らうことなどありえませんよ」

 対するルシュグルは暢気な調子で返す。


「おい、声が大きい。誰かに聞かれたら大事になるぞ」


「いやいや、分かってませんねぇ。このようなことは噂にでも上がった方が効果的なのですよ。私に危害を加える、もしくは逆らえばただでは済まない。そう周囲に認知されることが重要なのですから」


「──────────」

 カッサンドーラは黙って彼の話を聞く。


この男ルシュグルは間違いなく阿呆だ。だがその綱渡りじみたやり方で軍の実質的なトップにまで上り詰めたのも事実、今しばらくはコイツにつくしかないのか)

 そんなことを思いながら。


「さて、我が主は忙しいようですし、この時間に私も部屋に帰って今回の『人間虐殺日記』でもつけますか」

 実にニコニコした表情でルシュグルは言う。


「~~~~~~」

 カッサンドーラは苦々し気な表情で一歩ルシュグルから距離をとった。

(あ~、これだからこの男は。こいつと一緒にいると私まで変人に見られてしまう)


「? どうしたのですカッサンドーラ? ああ分かってますよ。あなたも一緒に日記をつけたいのでしょう。いえ、丁度お願いしようしていたとことなのです。何せほら、私は利き腕を失って字が書けないものですから」


「ひぇっ!」

 カッサンドーラは顔を引き攣らせて、アルトに睨まれた時とは別ベクトルの恐怖で悲鳴を上げる。


「大丈夫ですよ、ほんの1,2時間もあれば今回の記述は終わりますから。我々は人間を皆殺しにする同志なのですから、そのくらいの愉しみは共有しませんとね。…………それとも、実はあなたは同志ではないなんてことはありませんよねぇ?」

 会話の後半に狂気をにじませてカッサンドーラに問う。


「行く行く、同志だから当たり前ではないか。さあ、さっさと終わらせよう」

 カッサンドーラは額に冷や汗を流しながらルシュグルの背中を押す。


(クソッ、何故だ。どうしてこうなった? 本当にどうして?)

 内心で何度も同じ言葉を繰り返しながら。

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