第6話 面白いを知るために

 小説を書き上げ、何十回も読み直し、新人賞に送って次の作品の事を考えていた。

 ぼくは何が好きなんだろうか? 何を求めているんだろうか? どんなキャラクターを書きたいんだろうか? 

 そんな事から考えて行く。 

 隣で伊賀先輩が「う〜ん」とか「え〜っと」とうねり、シャーペンをクルクルと回して、何も書かれていないノートに一点だけ黒い丸を描いた。

「何をしているんですか?」

 とぼくは尋ねた。

 伊賀京子が驚いた顔でぼくを見る。

「久しぶりに声を聞いたんだ」

 と彼女が呟いた。

「えっ? 喋ってなかったでしたっけ?」

「君は会話はおろか、息をしているのも怪しかったんだ」

「息はしてましたよ」

「わかってるんだ」

「それで先輩は何をしてるんですか?」

「見てわからないの?」

「時間をかけて黒い点を書いているんですか?」

「ネタを書いているんだ」

 キリッとした目で睨まれる。

 だけどノートには何も書かれていない。

「何も書いてないじゃないですか」

「そうなんだ。どうやってネタって書くんだ?」

 知らねぇーよ、と思った。

 だけど ちょっと待って。

 もしかしてお笑いの勉強をしたら小説に生かせるかも、と思った。

 ラブコメのコメの部分が強化されるかも。ちなみにコメの部分はコメディーの事である。小説にはコメディー要素が欠かせない。

 それにぼくは伊賀先輩にも興味があった。ネタ帳に時間をかけて黒い点を書くのが精一杯なのに、なぜ彼女はお笑い芸人になりたいのか? 

「一緒にお笑いの勉強をしましょう」

 とぼくは言った。

「えっ? 何が目的なんだ?」

 何が目的? 面白い小説を書くのが目的に決まっている。

「小説のためです」

「……君が言うんだったら、そうなんだろうね」

「他に何があるんですか?」

「お笑いの勉強を一緒にしてあげるから1つ願いを叶えてほしい、とか?」

「先輩は魔法のランプの魔人なんですか?」

「……そうだけど」

 絶対に嘘だ。

「お笑いの勉強をして何をしたいのか、2人の目的も決めておきましょう」

 ぼくの目的は面白い小説を書く事。だけど、それはぼくだけの目的である。2人の目的を決めてお笑いの勉強をしたい。目的を決めた方が勉強が捗るような気がした。

「どんな目的なんだ?」

「勉強をして、2人で1本のネタを書きましょ」

「もしかして私達でコンビを組むの?」と伊賀先輩が尋ねた。

「そんな訳ありません。ぼくは芸人になりたくありません。先輩ってなんで芸人になりたいんですか?」

「芸人になりたい、っていうか、もう舞台に立っているからアマチュアではあるんだけど」

「どうして芸人になったんですか?」とぼくは尋ね直した。

「悲しい話だけど聞く?」

「聞く」とぼくが言う。

「母子家庭で、私は一人っ子なんだ」と伊賀先輩が言った。「お母さんが仕事ばっかりで笑わなくて、だから私が頑張ってお母さんを笑かしたいんだ」

 ぼくも母子家庭である。お母さんを笑かしたい、という気持ちはすごくわかる。だけど、それと芸人になる事がぼくには繋がらない。

「なんっていう顔をしているんだ?」

 と伊賀先輩がぼくの顔を見て言う。

「納得いかない時の顔です」

「ガンダムみたいに能面になってるよ」



 バイトが終わって家に帰ると食事ができていた。

 今日は野菜炒めと味噌汁だった。

 お母さんも妹も晩御飯を食べ終わっているみたいだった。

「大盛り? それとも中盛り? それとも少なめ?」

 と母親がご飯の量を尋ねてくる。

 母親はお風呂に入ったばかりらしく、長い髪をタオルで巻いている。40代半ばには見えない、それなりの顔つきをしている。

 ちなみにぼくは大盛りにも中盛りにもしたことがない。

「超少なめで」

「食べ盛りなんだから、いっぱい食べなさい」

「食べたら頭が働かないんだよ。おかずも少なめで」

 頭が働かないという理由で、ぼくは晩御飯を少量しか食べない。全て小説のため。本当はものすごくお腹は空いている。

「小説を書くの?」

 と母親に尋ねられる。

 ずっと家で書いているから隠しようもない。

「別に」とぼくは答える。

 書いている時も書くなんて答えた事はなかった。

 家族に対しては、小説を書いている事は知っていてもソッとしといてほしいと思う。

 この感覚が赤の他人にも適用されて、みんな小説を書く事を隠すんだろう。

 小説を書いていることは別に自分から言いふらす事ではないけど、知られても別にかまわないと思っている。もしかしたら人から与えられた夢だったせいかもしれない。


 それに今日は勉強するだけである。勉強っていってもお笑いの勉強だけど。

 お笑いの勉強が小説のためになると思っているから小説を書くというのも間違いではないんだろう。

「お兄ちゃんは小説バカすぎる。そんなずっと書いて何になるの? 何にもなってないじゃん。ちゃんとご飯ぐらい食べなよ」

 まだ小学生の面影を残した妹が言った。

 テレビを見ていたくせに急に話に入ってきた。

 妹の名前はアユ。

 ショートカットの髪は茶色に染まっている。ヤンキーに見られるからやめとけ、とぼくが言ったのに母親が髪を染めるのを賛成した。これぐらい女の子の嗜みなんだって。

「違うわよ。小説がお兄ちゃんをバカにしたのよ」

 と母が言った。

「小説がメインヒロインの小説を書いたら?」

 とアユが怒っている。

 なんで怒っているんだろうか?

 しかも小説がメインヒロインの小説って何だよ。なんか面白そうじゃないか。

「今日のご飯、アユが作ったの?」とぼくは尋ねた。

「そうよ」と母親が言う。

「お兄ちゃんのバカ」とアユが言う。

「バカになれるぐらいが男の子はいいものなのよ」

「ご飯もおかずも大盛りで」とぼくが言う。

「そうね」と母親は言って、少なめにご飯を注いでくれた。

 妹はテレビに意識を戻した。



 晩御飯を食べ終わるとお風呂に入って、勉強机に座った。

 ノートパソコンにイヤホンを突っ込んでユーチューブで漫才を漁る。

 面白かったらノートの左にコンビ名とタイトルを書き込み、面白くなかったモノは右に書き込む。

 なぜ面白かったのか?

 なぜ面白くなかったのか?

 考える。


 授業が終わって、多目的ルーム2に入る。

 いつものようにぼくが一番で、うさぎが入って来て、ぼくの隣に寝始める。

 ぼくはユーチューブで漫才を見てケラケラと笑った。

 うさぎが、ぼくの膝をツンツンと触る。

 眠っていたはずの彼女と目が合う。

 うさぎはぼくから目を反らして、寝たふりをした。

 ぼくは漫才を見続ける。

 また膝をツンツンと触ってくる。

 彼女を見たら寝たふりをする。

 うさぎの顔はだるまのように真っ赤だった。

 それを何度も繰り返していると伊賀先輩がやって来た。

 うさぎは慌てながら起き上がる。

 伊賀先輩がぼくの隣に座った。

 それから二人でアイフォンの小さな画面で漫才を見た。

 うさぎは頬を膨らませて、勇者のコスチューム作りに向かった。

 これ面白い、あれ面白い、なんで面白いんだろう?

 何日も何日も漫才を漁る。

 そしてコントに辿り着く。

 最終的に行き着いたのが、昔やっていたコント番組である。

 生放送でやっていたらしい。

 5人グループ。

 この番組の、なにが面白いんだろう?

 番組の構成は、始まり15分ぐらいが真剣なコントをして、後は遊びのような企画があって、最後はみんなで歌を歌って終わる。1時間番組で15分ぐらいが真剣なコントなのは、1時間も全力投球を見せられると視聴者も疲れるだろうし、演者達も毎週そんな事ができないからだろう。番組の構成の緩急の付けかたが1時間を見せる構成になっていた。



 その日から、ぼくは、その番組でやっていたコントをノートに書き写した。

 部室でもアイフォンの小さな画面で昔のコント番組を見ながらノートに書き込んだ。

「なにしてるの?」と伊賀先輩が尋ねた。

「このグループの笑いが理解できたら、少しでも笑いについて理解できるような気がするんです」

「そうなんだ。ベタだからね」

「ベタってなんなんですか?」

 ぼくはベタが何を示しているモノなのかもわからない。

「……」

 伊賀先輩はベタについて何も言わなかった。

「私も面白かった漫才を書き写すんだ」

 伊賀先輩はそう言って、ノートを出し、アイフォンをポケットから取り出し、漫才を聴きながらノートに書き始めた。

 ぼく達はお笑いの勉強をした。

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