第18話 VS悲哀愁

 「妖術【涙雪崩なだなだれ】」


 悲哀愁がそう唱えると、突然湧き上がるように大量の雪が現れた。


 積み上がった雪は次第に臨界点を迎えたかのように崩れ出し、拡張された空間を埋め尽くさん程の雪の津波が襲いかかる。


 そんな天変地異のような光景を目の前にして、レナは情け無く泣き叫ぶ。


 「ギャァァァァ! 何あれ! ナオンちゃんやばいって死ぬ死ぬ!」


 「大丈夫♡」


 「へ、何が───ぐぇ!?」


 ナオンはレナの首根っこをガシッと掴むと、雪崩よりも高い位置までぶん投げた。


 「ぎゃああああ!!」


 絶叫をあげながら、手裏剣のように空中を大回転して飛んでくレナ。


 しかし、悲哀愁の目に捉えられていたのは、謎の式神である伊丹ナオンのみ。


 そのナオンを辺りを見回して探す。

 彼女は気がつくとフユキの元にいた。


 ナオンはフユキに触れながら、マジマジと彼女を観察している。


 「肌触り、顔つき、うん、やっぱりソックリだね♡ えっと〜フユちゃん?」


 彼女が近くに来た事で朦朧としていた意識が覚醒し、フユキは、かつてのトラウマが呼び起こされてしまう。


 車椅子をガタガタと振るわせながら、フユキはナオンから必死に離れようとしている。


 「ちょ、やめて、触んないで、アンタだけはマジで生理的に無理なの!」


 その瞬間、悲哀愁は音もなくナオンの背後に接近していた。

 ミカドを貫いた時よりも強い強烈な貫手を背後から心臓目掛けて突き刺した!

 しかし─── 


 「ふぇ?」


 突いたその体は、まるで霧に手を突っ込んだかのように手応えがない。


 「ごめんね雪女さん、私の物語に


 悲哀愁は【苦痛に悶える君が好き】の作中の設定が反映されている。

 そして、今の悲哀愁は物語の主人公の立場を割り当てられている。


 この作品の主人公はナオンによってなすすべなく一方的に嬲られて尊厳を破壊されてしまう物語。


 この作中において、ナオンが怪我するもしくは、死ぬなどの描写は一切存在しない。


 故に、物語に無い展開は、言葉通りになる。


 「お前が私の物語に取り込まれた時点で勝ち目とかないから」


 倒せない敵、その術中にハマっていると悲哀愁は理解した。


 その瞬間、悲哀愁は即座に転身、標的を切り替えた。

 その狙いは、ナオンを召喚した本人であるレナだった。


 ナオンは正確に表現すると式神ではない、彼女はレナ本来の式神である求道理想具現筆の力で生み出された擬似式神と言うべき存在。


 その力の大元、天童レナを殺害すれば能力によって生み出されたナオンは、じきに消滅する。


 しかし、何の策も講じずに立ち尽くしているレナではない。


 (あれぇ、あの子がいないですぅ?)


 檻の中に閉じ込めた時にも感じた時のようにレナの姿が忽然と消えた。


 そのレナだが、彼女はペンのインク生成能力を利用して身を隠していた。


 (こっ、怖っわ〜即断してこっちきたんですけど!)


 レナは弱体化の結界術を模倣している。

 故にそれを付与されたインクは凍らない、それでシェルターを作れば、身を隠しつつ悲哀愁の放つ冷気から身を守れる。


 悲哀愁は視覚から、嗅覚による探索に切り替えた。


 「インクの臭い、やっぱり消えてないですぅ」


 臭いでシェルターの場所を特定した悲哀愁はすぐさま駆け出して急接近!

 雪で作った巨腕をそのシェルターに振り下ろした。

 単純な質量攻撃、その一撃は重くシェルターは粉々に粉砕されてしまった。


 しかし、悲哀愁は手応えを感じない、そのシェルターは卵でも砕いたかのようで、不自然すぎるほど脆かった。


 (いない、ガワだけで空っぽ!?)


 その瞬間、悲哀愁の背後に現れたレナはインクの刃を振るう!

 油断していた悲哀愁は、背中をザックリと切り裂さいたのだ。


 (どこに潜んでいたんですぅ?)


 レナはずっと雪の中に隠れていた。

 悲哀愁なナオンに気を取られている隙に、地上に着地、急いで雪を掘っていた。


 結界を纏って、自力で這い出れるように自分を隠す雪の積もりを浅くして、身を隠していたのだ。


 「さっきから、痛いですぅ、うん?」


 悲哀愁の傷が再生していない。

 傷が開いたまま、パックリと裂けており人間のように血を流している。


 「治らない、どうしてですかぁ?」


 物語の展開に、主人公の傷が再生する描写は存在しない。


 切られれば当然傷つくし、当然血も流れる。

 さも当然のように妖怪である悲哀愁に人間のルールが適応されている。


 「戦国最強さんさ、あなたって、そんなに実戦慣れしてないですよね」


 目尻に涙を浮かべながら、悲哀愁はジロリとレナの方をみる。


 「基本的にゴリ押しで勝てるから、本気を出す必要が無かった。だから、あなたは本気の出し方を知らない」


 さらに、レナの発言に付け加えると悲哀愁は街に張られた結界やミカドやシアに打ち込まれた弾丸などで能力が弱体化している状態にある。


 つまり、未熟なレナでも、戦国時代最強の妖怪に勝てる芽はあるのだ。


 「ふぇぇ、酷いですぅ」


 悲哀愁は辛そうに泣き出す。

 彼女は痛いと言いつつも、傷に対して全くと言っていいほどひるんでいない。


 「私が本気出さない事知っていてぇ、いじめて来るなんてぇ、本当に───



 ───酷いです」


 「ん? うっ!!?」


 突如、レナは喉と胸を抑えて苦しみ出した。

 仰向けに倒れ込み、ハァ、ハァ、と上手く呼吸が出来ていないようだ。


 レナのただならぬ様子を見て、フユキが心配の声をあげる。


 「天童、どうしたの!?」


 (なに、これっ、肺がっ、痛い、いっ、息が・・・・・・)


 悲哀愁は弱くなっているだけで、別に能力を失った訳ではない、これは、狙った獲物を確実に仕留めるための技。


 人間が悲哀愁の霊力の影響で生まれた冷気、人間が呼吸などでそれを吸引すると、徐々にではあるが肺が凍りついてくる。


 本来であれば、人間の体温で溶かせる程の微弱な冷気だが、悲哀愁は外部からそれを操作可能。


 そうしてレナの肺は、気管支まで氷ついてしまい、今の状況に至る。


 酸欠で顔色が青くなって来たレナ。

 冷や汗が止まらない。


 悲哀愁はトドメをさすべく再び急接近する。


 「だ〜め♡」


 そこへ、割り込むようにナオンは鞭を振るって、その足を止めた。


 「ごめんね、レナお姉ちゃん、お姉ちゃんの苦しむ姿が余りにも可愛いかったから、つい見入っちゃった♡」


 レナは心中にて思う、(いや、早く助けに来てよ)と。


 「でも、死なれると嫌だから、助けてあげるよ」


 酸欠で力が入らないレナをナオンは、優しく抱き起こす。

 そして、そっと、レナの唇に己の口を重ねた。


 「「!!?」」


 その場にいた一同は驚愕を隠せない、初心なフユキは白い肌が真っ赤になるほど動揺して目を覆う。


 悲哀愁は興味深そうにじっと見ている。そしてちょっと引いている。


 レナは酸欠で青ざめており、上手く思考が回らないが、心の内で振り絞るような言葉が浮かび上がる。


 (……まっ、まさか、ファーストキスが、死にかけの状況で、行われるとは……)


 その時、ナオンの体は青白い光を放ち始めた。


 その体はみるみると実態がないエネルギーへと変わっていく。


 完全に人の姿では無くなると、レナの口に流し込まれるように入り込んで行った。


 そして、レナの体にも同じ光が放たれ始めたのだ。


 その光景がなんなのか、同じ式神術を扱うフユキは知っているようで、驚きを隠さないでいた。


 「あれって、まさか、式神術の奥義、式神纏身しきがみてんしんの術!?」


 本来、厳しい修練を果てでしか身につかない霊能力の到達点の一つ。

 本来の式神であればレナの際を持ってしても至難を極めるが、擬似式神であるナオンを用いれば再現という形で実現することができる。


 「げほっ! カハァッ、ハァッ、ハァッ」


 光が徐々に消えていくと同時、レナは息を吹き返した。

 息苦しさから解放される為に必死に息を吸う、この事態に誰よりも驚愕していたのは、悲哀愁だった。


 (術が解かれた!?)


 悲哀愁が先程かけた肺を凍らせる妖術は、レナ自身がナオンと融合した事で、物語の設定が適応され、無効となった。


 そして、同じ術をかけようにも、それすらも通じなくなったため、完全に攻略不可能になってしまったのだ。


 「ふぇぇぇぇ、なんですかそれぇ!!」


 手詰まりになって、泣き言を叫ぶ悲哀愁。

 それと同時にレナも叫んだ。


 「キャァァァ何これぇ!」


 珍しく女の子らしい悲鳴をあげたレナ、その服装は気づかぬ間にナオンが着ていた。描いた覚えのない謎のボンテージ衣装に着せ替えられていた。


 「ちょい、なんで私がこのキワドイ謎の服着てんの!? 無理無理、恥ずいんですけど!」


 フユキは狼狽するレナに自分の知っている知識を語った。


 「式神纏身の術は、式神を術者自らに憑依させて同化する術なの、だから多分その影響だと思う」


 要は式神術と降霊術の構わせ技のような物である。

 そして、先程の無効化が適応された事でレナは自身がどう言う状態なのかを理解した。


 「つまり、今は私がナオンちゃんって事?」


 再び悲哀愁は標的を変更、身動きが取れない状態のフユキへと定めた。


 元々はフユキを狙ってやって来た。

 戦っても意味がなく、邪魔でしかないため、一旦放置。

 

 フユキを食って力を蓄えようする算段を悲哀愁は組んでいた。


 ガキンっ!


 走る悲哀愁の足首に何かが噛みついたような感覚が走る。

 足の裏にも、何かトゲの様な物が突き刺さっている。


 「これはぁ、トラバサミと撒菱まきびしぃ?」


 【苦痛に悶えるキミが好き】作中にて、主人公が決死の思いで脱走を試みるシーン。

 彼女はナオンの仕掛けたトラップに引っかかってしまうシーンがある。

 そのシーンが悲哀愁に適応されたのだ。


 それによって足を止めた悲哀愁をレナな逃すはずもない。


 「一発、あなたを殴っておきたかった」


 レナは全身全霊の力を込めた拳を悲哀愁の顔面に叩き込んだ!

 その一撃は悲哀愁の体を大きく吹っ飛ばしたのだ。


 (何故? 立てない、頭がグラグラする)


 悲哀愁は脳震盪を起こしていた。

 妖怪がかかるはずもない人体の現象、それを知らない悲哀愁は自分の身に起きている出来事が理解できずにいた。


 千載一遇のチャンス。

 レナはその隙を逃さない。


 「アレ、真似てみよう!」

 

 Gペンを中心にインク形状を変化させる。

 先程の剣とは違い、今度はカレンの幻魔之薔薇を彷彿とさせる薙刀を作り出した。


 クルクルと華麗に回して、スッと構える。

 それを見てフユキの目は、レナに象形の姿を重ねた。


 「……カレン様?」


 次の瞬間、レナが見せたのは薙刀を回転させて繰り出す怒涛の連撃だった!


 刃、柄、石突、薙刀のあらゆる部分を使って打ち込まれる猛攻は、悲哀愁の防御は意味を成さずにすり抜けて全て直撃していく。


 先程見たばかりのカレンの技、それを完璧にトレースしている。


 悲哀愁は一瞬で血まみれになった。

 その姿は、ナオンによって無惨にいたぶられた【苦痛に悶えるキミが好き】の主人公そのものだった。


 戦闘の一部始終を見ていたフユキは、素人同然であるはずのレナのあまりの動きに言葉にならないほどの驚嘆を露わにする。


 (動きがさっきと全然違う、なんで、こんないきなり達人みたいになった。威力も! あの式神を纏った事で身体能力が向上している!)


 悲哀愁はいくら攻撃してもそれが通じない相手などした事がない、それを理解した悲哀愁の行動は早かった。


 その行動にレナとフユキは一瞬我が目を疑った。


 「えっ、逃げた!」


 (氷の城を解除、勝てない勝負なんてする意味ないですぅ)


 悲哀愁は氷の城を解除すると、城は熱せられたように溶け出していく。

 退路を確保するためだ。


 しかし、悲哀愁は忘れていた。

 自らが危険視していた人間が外にいた事を、その人物が自分を取り逃がす訳がない事を。


 「残念だったなーおめー全然いいとこ出せなくてよー」


 現れたその人物を横目に、悲哀愁は己の失敗を悟った。

 レナとフユキは、彼女の名を叫ぶ!


 「「ハツネ先生!!」」


 「ようやく生徒に先生らしーとこ見せられるわー見てろよ、唱名───



 ───【延々無限明王えんえんむげんみょうおう】」


 ハツネにそう呼ばれた名の主は、その姿を見せない。

 ただ一言、腹の底から発したような強く逞しい声で一言発しただけだった。


 『どこへ行く?』


 その声は耳元で間近に聞かされたかのようだった。

 その瞬間、悲哀愁が走り抜けるその道がなんと急速に長くなっていった。


 (道が延び───)


 「ぐぁ!!」


 腹を突き破るように刃が飛び出したのだ。

 それはナオンが入れた悲哀愁の剥がした爪だった。


 まるで体内からショットガンでも撃たれたかのような衝撃で弾けた爪。


 原作のとあるワンシーンを忠実に再現した光景だった。


 その隙を逃すまいと、レナはナオンの鞭を悲哀愁の首に巻きつける。


 それを力任せに引っ張りあげると、悲哀愁は釣られた魚のように、レナの元へと引き寄せられた。


 レナは再び剣を構えた。


 腹に力を入れて、奥底から力を絞り出すように、ギュッと柄を握りしめて、振るう。

 その技は、フユキが見せた技だった。


 「まっ、待っ」


 ザシュッ!


 悲哀愁の静止がレナに届くことは無く、空気を切り裂くような音が響く。

 極限まで集中して振るわれたその一撃は、悲哀愁のその身を両断して見せた!


 「ハァ、ハァ、かっ、勝った」


 剣を振るった手は、限界なのかガタガタと震えていた。


 力を振り絞りきったレナは膝から崩れ落ちて、深く、深く、「はぁ〜」と安堵のため息をついた。


 レナはふと顔をあげる。

 そこには、雪は晴れ上がり、青い空が広がっていた。


 春の暖かな風が吹いて寒気で冷えきった体に染み渡る。

 レナ達の春は無事に戻って来たのだ。

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