第40話 お泊まりする佐藤⑦
しばらくしてから、佐藤は二人分のケーキを用意して俺のいるリビングへと戻ってきた。
「それじゃあ、えっと、改めまして……。日向くん、お誕生日、おめでとうございますっ」
「ああ、ありがとう」
僅かに頬を赤らめながらも、しっかりと俺の目を見てお祝いの言葉をくれる佐藤に、俺も笑顔でそう返す。
「それから、これ……ど、どうぞ!」
そう言った佐藤から小さな紙袋を受け取る。
なにやら可愛らしいシールで綺麗に飾り付けられているそれは、右上に【Happy Birthday!!】と丁寧な文字で書かれていた。
「プレゼントまで……用意してくれてたのか」
「もちろんです。日向くんの……大好きな人の、お誕生日ですから。まあ、その……少し、遅れちゃいましたけど」
「全然。嬉しいよ、ありがとう。中見てもいい?」
「は、はいっ、どうぞっ」
ゆっくりとテープを剥がし、中にあるものを取り出してみる。
「これって、もしかして……」
水色の、角の丸い直方体。
ちょうど手で握りやすいサイズのそれは、少なくとも俺は持っていないものなのに、不思議とその用途は一発で分かった。
パカっ……と水色の
手に取り、透明な板の向こうを覗いてみても、世界は少しも歪まない。
「伊達メガネ……?」
呟いた俺の言葉に、佐藤は小さく頷いた。
「色々と、私なりに何をプレゼントしようか考えてみて……それで、一番私の気持ちを乗せられるものにしようって、思ったんです」
ゆっくりと、佐藤が言葉を紡いでいく。
薄らと微笑を浮かべたまま、俺の目を自然と見つめたまま。
佐藤にとっての伊達メガネ。
そこに込めた思いを、俺はまだよく知らない。
お姉さんから貰ったとか、人を避け始めてからかけるようになったとか、そういう情報を聞き齧った程度で、俺から追求することはしてこなかった。想像もできなかった。
喜怒哀楽。
きっとそれ以外にも、色んな感情がごちゃ混ぜになっていただろうから。
だからこそ、それについて少しでも整理がついたというのなら、耳を傾けない理由はなかった。
そうして真剣な表情で佐藤のことを見つめていると、彼女はふわりと静かに笑い、それから俺に向かってテーブルの上に手を伸ばしてきた。
パーの形に広げられた佐藤の手に俺が自分の手のひらを合わせると、彼女はもう一度目を細めてから、指を絡めるようにしてぎゅっと俺の手を握ってくる。
温かい……そう思って俺が少しだけ頬を緩めると、佐藤は変わらず笑顔のまま、ゆっくりと口を開いた。
「私にとって、メガネはすごく大切なものなんです。数で言ったら二つしか持っていませんが、一つはお姉ちゃんから貰ったもので……もう一つは、日向くんに選んでもらったものです」
姉である真彩さんから貰ったという黒縁メガネ。
俺が良いと思って選んだ縁の赤いメガネ。
「お姉ちゃんに頼んで買ってもらった『似合わない』メガネは、弱っていた私をずっと守ってくれました。日向くんに選んでもらったメガネは、私にまた、立ち上がる勇気をくれました。……どっちのメガネも、私にとっては、本当に大切なものなんです」
人生の岐路において、自分のそばには必ずメガネがあって……
効果も意味も違うが、それらは必ず力になってくれていた、と。
佐藤はそう説明してから、俺に贈ってくれたメガネに視線を落とした。
「日向くんには……私が受けたような『助け』は必要ないかもしれません。必要になるようなことも、ない方がいいに決まってます。……でも、『力になる』って、『助ける』ってことだけじゃないと私は思っています。いつ、どこで、どんなふうにかは分かりませんが……、そのメガネもきっと、日向くんにとって、その時一番必要な形で力になってくれるはずだって、思ったので……」
えっと、つまりですね……と、少しだけ間を置いてから、佐藤は柔らかく微笑んで……
意外なほど力強い眼差しを、真っ直ぐ俺に向けてきた。
「まだまだ不甲斐ない私ですけど、これからは、私もたくさん日向くんの力になります。必ず……少しずつでも、頼れる彼女になってみせます。って……そういう決意とか、色々……込められるのがメガネだったので。その……日向くんに受け取ってもらえると、嬉しいです」
最後は少しだけ元の調子に戻りつつも、途中で顔を逸らしたりせずに佐藤は最後までそう言い切った。
胸が熱くなる。
メガネという贈り物はきっと、佐藤にとっての最大級の愛情表現なのだろう。
これ以上ないほど自分の人生に影響を与えた、大切なものなのだから。
そんなの……
「……受け取らない訳にはいかないな」
「ありがとうございます、日向くんっ」
俺の呟きに、佐藤は嬉しそうに目を細めた。
そもそもメガネのような装飾品自体、男としては心をくすぐられるものがある。そこに佐藤の想いまで込められているのなら、それはもう俺にとって最高のプレゼントに他ならない。
そっと、佐藤がくれたメガネをかけてみる。
「どう?」
「……か、かっこいいです。とってもっ」
「ありがとう。サイズもぴったりみたいだ」
もちろん不慣れなので違和感は感じるが、窮屈さや圧迫感はない。
「日向くんの顔には、たくさん触れてきましたからね」
冗談っぽく佐藤が笑う。
しかし、触れているだけでもある程度のサイズ感を覚えられるのは確かだろう。
「それなら俺も、佐藤の手にはたくさん触れておかないとだな」
「……手、ですか?」
「うん」
「えっと……なんでまた?」
「……いや、まあ、分からないならいいんだ。気にしないで」
「そうですか……?」
正確には指というべきだが、さすがに俺も気が早い自覚はある。
んん〜……? と、可愛らしく眉を顰めて思考を巡らせている様子の佐藤だったが、やっぱりその方面には疎いようで、やがて諦めるように大きく息を吐いた。
それから、佐藤が作ってくれたケーキを二人で食べ終えた頃……
「あの……日向くん」
「どうした?」
「その、さ、さっきの……メガネの入っていた紙袋、少し貸してもらってもいいですか?」
「これか? もちろんいいけど……」
何をするんだろう?
そう思いながら、俺は佐藤がくれた【Happy Birthday!!】と書かれた紙袋を手渡した。
すぐに佐藤が中を覗き込む。
「あ、あった……!」
「あれ、ごめん。メガネの他にも何かプレゼントしてくれてたのか?」
一枚の、白い画用紙のようなもの。
何かのチケットくらいの大きさで、もしかしたら加工した紙に何かメッセージを添えてくれていたのだろうか。
申し訳なさに駆られつつ、ちゃんと受け取るべく手を伸ばす。
が……
「だ、大丈夫です、これは。なんでもないので」
「いや、でも……」
「ほ、ほんとうにっ。これは私なりの保険といいますか……メガネを喜んでもらえるか不安だったから作っただけで、今はもう……必要ないものですっ」
表面を下にして、素早く紙を伏せてしまう。
佐藤からもらったメガネのプレゼントは、本当に嬉しかった。だから保険の出番が必要ないのは事実だが……
しかし、仮に本当にただの保険なのだとしたら、初めから袋の中に入れておく理由はないだろう。
それに、せっかく佐藤が用意してくれたものが日の目を見ないというのも、俺としては悲しい。
「……佐藤」
「……っ、そ、そんな目をしてもダメです……」
「……」
「……っ」
「…………」
「…………っ」
「佐藤……」
「……も、もうっ! そんなに寂しそうな顔をされたら、耐えられないに決まってますっ! ……は、はい、どうぞっ!」
赤く染まった頬を可愛らしく膨らませ、佐藤は例の紙を俺に渡してくれた。
可愛い……とニヤケそうになるのを苦笑で誤魔化し、「ありがとう」とだけ伝えると、今度は恥ずかしそうに俺から目を逸らした。それもまた可愛い……。
そんなことを思いながら、改めて渡してもらった紙に視線を落とす。
【なんでも言う事を聞く券】
「なんでも言う事を……聞く……って、え?」
綺麗な文字。
可愛らしい手描きのケーキのイラスト。
散りばめられた黄色の星マーク。
すごく丁寧に作られたもののはずなのに、文字を読んだ瞬間、俺の頭は真っ白になった。
「こ、こういうの、男の人は絶対に喜んでくれるってお姉ちゃんが教えてくれて……そ、それに、インターネットにも、贈っておいて間違いなしって書いてあったから……っ!」
あわあわと、佐藤が珍しく早口で説明する。
「や、やっぱり、子供っぽいですよね……? なんでもって言っても、本当になんでもは無理ですし……日向くんに気を使わせてしまうかもしれませんし……」
あれこれと口にしながらも、上目遣いで俺の様子を伺ってくる。
なんでも言う事を聞く券……
いわゆる【なんでも券】と呼ばれるそれは、普通、まだ小さい子供が自分の親に渡すものというイメージが俺の中にはあった。
実際、何年も前に美羽が母さんにプレゼントしているのを見たことがあるし、あの時は確か結局、肩揉みとかに使われていたような気がするが……
「佐藤」
「は、はいっ!?」
「ちょっと、ソファまで移動しよう」
「は…………はいっ」
どうにか冷静そうな声でそう言って、佐藤と一緒にソファまで移動し二人並んで腰掛ける。
【なんでも券】の『なんでも』は、確かに
ちゃんと相手に配慮して、信頼関係の許す範囲でのお願い事をしなくちゃいけない。
けどそれは、信頼関係次第ではかなりの融通が効くということでもあって……
告白して、付き合うことになったばかりの俺と佐藤の信頼関係は、きっと、出会ってから今までの間で、今が一番強い状態になっている。
「これ、早速使ってもいいかな?」
そう言って、佐藤に【なんでも券】を差し出す。
しばらくは俺の目をじっと見つめていた佐藤だったが、やがて恥ずかしそうに受け取ってくれた。
「……も、もともと、必要になるかもしれないと思って用意していたものですから、日向くんが喜んでくれるなら……。は、はい……どうぞ」
覚悟は決まったとでも言うように、佐藤はぎゅっと目を瞑った。
耳まで真っ赤に顔を染め、僅かに顎を上に向ける。
これは……
「……ごめん佐藤。その、キスをお願いするつもりじゃないんだけど……」
「え、あ……そうなんですか……?」
「うん。キスはほら……券がなくてもしたいと言うか」
「あ……そ、そうですよねっ。わ、私も、券がないとできないってなると……困ります」
「……」
納得してくれるのは大いに結構なのだが、それを声に出すのは可愛すぎるのだと、少しでいいから理解してほしいものだ。
……と、一応愚痴ってはみたものの。
声に出してくれるのは、ありがたい。
「ケーキ食べた後だから、苺の味するかも」
「……大丈夫ですよ。私も、同じですから……っ」
そう言って改めて顔を上に向けた佐藤と二秒くらいの短いキスを交わし、ゆっくりと離れてから、顔を見合わせて笑い合う。
ほんのりと甘酸っぱい、大好きな味がした。
「それで、その……わ、私、キス以上はどうしたらいいか分からないんですけど……」
「…………いや、待って。これ以上のことをするつもりなんてないからな?」
「……そうなんですか?」
「そうなんです。少なくとも高校生のうちは絶対に」
本音を言えば、年齢に関わらず佐藤とはまだそういう深い関係までは進みたくない。
それは佐藤の魅力云々の話ではなく、俺の責任能力と、それから佐藤の心の話。俺の責任能力については言うまでもないが、それと同じくらい大きな問題が佐藤の心なのだと俺はまだ思っている。
俺は佐藤を傷つけない。
佐藤も俺を受け入れてくれている。
でも、佐藤が受けてきたこれまでの傷のことを考えると、俺の存在なんてまだまだ応急処置に過ぎないだろう。
別に自分を卑下するわけじゃない。
ただ、どんな傷も、回復するのには時間がかかるという話。
俺の存在が佐藤の心の回復に役立っているというのは本当だろうが、だったら尚のこと、数週間の付き合いじゃなく、もっと時間をかけて佐藤をちゃんと癒してあげたい。
基準は俺にもよく分からないが、佐藤の体に触れるのは、彼女が完全復活を遂げてからでも遅くはないはずだ。
俺の言葉に佐藤は少しだけ驚いたようだったが、同時にどこか安心したように、嬉しそうに微笑んだ。
「えっと……それじゃあ、今は何をすれば……?」
そうして、話は再び原点へ。
キス以上はしない。
でも、せっかくなら、普通には頼みづらいことをお願いしたい。
と、言うわけで──
「佐藤には少しの間、俺のことが大好きな『猫』になって欲しい」
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