第38話 お泊まりする佐藤⑤

「佐藤。これ、良かったら受け取って欲しい」


 そう言って、俺は佐藤に小さな紙袋を手渡した。


「わっ……プレゼントまで用意してくれていたんですか?」


「まあね」


 隠し場所は美羽の部屋。もちろん事前に美羽には許可をもらってあって、『自由にしていいよ』と言った俺の部屋を隅々まで見られても見つからないようにするための措置である。

 本当は告白と同時に渡そうかと思っていたのだが、言葉の流れで告白が先になってしまったため、こうして少し遅れて渡すことになってしまった。


 しかし、佐藤はそんなことを気にしている様子もなく、ただ嬉しそうに目を細めていた。


「ありがとうございます、日向くんっ」


「どういたしまして」


「あ、あの、開けてみてもいいですか……?」


「もちろん、どうぞ」


 丁寧にテープを剥がしてから、佐藤はゆっくりと紙袋の中を覗き込んだ。

 それから目を輝かせ、息を呑む。


「こ、これって……ブレスレット、ですか……?」


「うん。佐藤に似合うかと思って」


 顔を綻ばせながら、佐藤は紙袋の中からブレスレットを取り出した。

 金色の細いチェーン。それに繋がれるようにして緑色と桃色の宝石が交互に並んでいるという、比較的シンプルなデザインのものだが、佐藤の白い肌の上では透明感のある宝石たちの色が非常に良く映えている。


「緑色のがペリドット、桃色のがピンクトルマリンっていう宝石らしいんだけど……って、解説する前に聞くべきだよな。えっと……どうかな?」


「……こ、こんな……っ、こんなに素敵なもの……、嬉しいに……決まってますっ」


 薄らと目尻に涙を浮かべ、少しだけ声を震わせながら、佐藤はそう言ってはにかんだ。

 が、その後すぐに、両手で顔を隠してしまう。


「佐藤?」


「わ、私、こういうの、全然貰ったことがなくて……うぅっ……嬉しいです……ぅ、日向くんっ……ぁぁ」


「いや泣きすぎ泣きすぎ」


 そう言って軽いノリで誤魔化そうとしてみたが、佐藤が泣き止む気配は全くなかった。


 きっと、中学時代に心を閉ざしていたこととか、そういうことがある程度関係しているのだろう。

 なにせ俺は、今まで一度も、佐藤がアクセサリーの類いを身につけているところを目にしたことがない。詳しく探してみた訳ではないが、佐藤の部屋でもアクセサリーの類いは見当たらなかった。もちろん、伊達メガネは別として。



 小学生の頃の……

 お小遣いの都合か、興味の都合か……


 どちらにせよ、恐らくその両方がクリアされたであろう中学生という時期に、佐藤は心を閉ざしてしまっていたのだ。


 そう考えると、アクセサリーのプレゼントというのは、佐藤にとってとても大きな意味を持っているのかもしれない。


「うぅ、っ、ひくっ……う、ぁぁっ……」


 未だに泣き止む気配がないどころか、どんどん嗚咽が溢れてくる佐藤に、俺は小さく苦笑した。

 しかし、大好きな人が泣いているというのに、不思議とその姿を見ていると、胸が温まるような感じがした。


 佐藤の頭にそっと手を乗せて、なるべく優しく声をかける。


「ペリドットには、平和とか安心とか、そういうポジティブな意味がたくさん込められているんだ。だから、嫉妬なんかを跳ね除けてくれるって言われてる。……あとは、まあ、まだ早いけど、夫婦愛とかいう意味もある。なんでも、持ち主の色欲を宥めてくれるらしい」


「……っ、ふふ……」


 小さく、最後の言葉に佐藤が笑みをこぼした。

 俺は佐藤の頭を撫でながら続ける。


「ピンクのトルマリンっていう宝石の方は、10月……佐藤の誕生日がある月の誕生石なんだ。意味は、思いやりとか、希望とか。なんでも、愛情に満ちた石って言われてるらしくて、一説によると『持ち主の愛をとめどなく溢れさせてくれる』らしい」


 もちろん全てネットやお店の人の受け売りだが、意味はちゃんとしているはずだ。

 一応、ピンクトルマリンの方には『心に活力を与える』という意味もあるらしいが、それに関しては俺がこれからずっと果たしていくつもりなので、あえて伝えないことにする。


 しばらく佐藤の髪を撫で続けていると、やがて佐藤はゆっくりと顔を上げた。


「本当に、本当に、ありがとうございます……っ」


「そんなに喜んでもらえたなら、頑張って選んだ甲斐があったよ」


 お店は美羽に紹介してもらったが、ブレスレットを選んだのは紛れもなく俺なので、こうして喜んでもらえると俺としても本当に嬉しい。

 と、思わず微笑んでいると、涙を拭った佐藤がゆっくりと顔を近づけてきた。

 優しく、短いキスを交わす。


「……っはぁ。……私、日向くんとこうするの、大好きですっ」


 そう言って笑ってから、今度は少しだけ唇を尖らせる。


「……でも、色欲は、そんなに強くないですよ?」


「本当に?」


「な、なんでそんなに疑うんですか……っ」


 わざとらしく、ムッとした表情で訊いてくる。

 可愛いなと思いながらも、俺は素直な気持ちを口にする。


「いや、だって……一緒にいる間、ずっとめちゃくちゃ可愛いし」


「ぅ……そ、それは、嬉しいですけど……色欲とは、言いません……っ」


「じゃあ、もう一回キスするのはなし?」


「え…………あ、あり……ですけどっ」


「ほら」


「い、意地悪すぎますよ、それは!」


「ごめんごめん。ちょっと揶揄いすぎた」


 ぽすぽすと俺の胸を叩いてくるものの、力はほとんど込められていなかった。頭を撫でて宥めてやると、段々とその呼吸が落ち着いてくる。


「色々言っちゃったけど、それを選んだ一番の理由は、やっぱり綺麗だったからなんだ。絶対に佐藤に似合うと思って選んだから、意味はおまけ程度に考えてくれると嬉しい。……もちろん、なるべく良い意味の込められたやつは選んだつもりなんだけどね」


 ペリドットの『色欲を宥める』という効果さえも、その本質はマイナスの感情を跳ね除けるという部分にある。

 ピンクトルマリンの方は言わずもがな、愛の石だ。


「はいっ……本当に、嬉しいですっ」


 そう言って笑顔を見せた佐藤は、改めて丁寧に、自分の左の手首にブレスレットを付けた。

 白磁色の滑らかな肌の上で、緑とピンクの宝石がキラキラと輝く。


「ど、どうですか?」


「綺麗だよ、とっても」


「それなら良かったです。……ふふっ。改めて、本当にありがとうございます、日向くんっ」


「ああ、どういたしまして」







 それから少しして──


「ひ、日向くん、日向くんっ!」


 キッチンで水を飲んでいた俺の元に、慌てた様子で佐藤が駆け寄ってきた。左手に付けたブレスレットは相変わらずとてもよく似合っているが……


「どうした?」


「わ、私っ、あのっ!」


「どうどう、落ち着いて。まずは水飲もう」


「は、はい……っ」


 佐藤用のコップに水を注いで手渡すと、彼女は可愛らしく両手でコップを持ってごくごくと水を飲み干した。


「ふぅ……」


「それで、どうした?」


「え、えっと……その……」


 何やら言いづらそうな様子。

 女の子特有の、お腹が痛い的な……あれだろうか。でも、それにしては元気そうに見えるし、お腹が痛そうな素振りもない。


 なんだろう……?


 そう思っていると、佐藤はやがてゆっくりと、俺がプレゼントしたブレスレットを指差した。


「こ、こういうの……直接聞くものじゃないのは分かっているのですが……その……こ、こんなに綺麗な宝石のついたブレスレットって、かなり……その……お、お金が……っ」


「あー、そういうことか」


 要するに、落ち着いて考えてみた結果、佐藤はブレスレットの値段が気になってしまったようだ。確かにぱっと見だ感じだと相当高価そうに見えるからな。それこそ高校生がどんだけ背伸びしたんだよってくらいには。

 俺も宝石って単語をかなり使ってしまったし、アクセサリーにあんまり詳しくないであろう佐藤には、心配の種になるのも無理はない。


「大丈夫。ちゃんと俺のお金で買えるくらいのものだから」


「ほ、本当に……?」


「本当に。まあ、もちろんある程度は値の張るものだけど、誰かにお金を借りたりとかはしてないから」


「そ、そうですか……そうですよね」


 ホッと胸を撫で下ろす佐藤。

 宝石類は、上を見たらそれこそ人のお金を借りても足りないような代物がいくらでもあるが、ちゃんと高校生でも手の届く範囲のものだって、それなりにたくさん売られている。

 実際、佐藤にあげたブレスレットの宝石は、かなり大きさが控えめなものだ。

 でも、だからこそ、色のある宝石の主張が激しすぎずに、佐藤を彩る素敵なアクセサリーになっている。仮に宝石がこれより大きかったら、俺は別のものを選んでいただろう。


 あくまでも、主役は佐藤。

 本人の可愛さがとてつもないからこそ、できるだけアクセサリーには佐藤を彩るアイテムであって欲しいと俺は思っている。


「佐藤に喜んでもらうためだとしても、そのために佐藤を悲しませるようなことはしないから。気にせず、安心して受け取って欲しい」


「……そうですね。ごめんなさい、変なことを聞いてしまって」


「いいよ、全然」


 むしろ、こういうのに慣れていない佐藤らしい思いやりなのだから、俺の方が感謝するべきだろう。


「ありがとうな、心配してくれて──」


 そう言ってから、俺は佐藤の唇をそっと奪った。

 佐藤は少し驚いたようだったが、すぐに体の力を抜いて受け入れてくれる。


 少ししてからゆっくりと顔を離すと、佐藤はとろんと顔を蕩けさせていた。口を小さく開けたまま、幸せそうに頬を緩めている。


「ふふ、ふふっ。ねぇ、日向くん」


「ん?」


「私、日向くんのこと、大好きみたいです」


「俺も、佐藤のこと大好きだよ」


「ふふっ、嬉しい……っ。好きです、大好きです。本当に本当に、大好きですよ、日向くんっ」


「俺も、心の底から、愛してるよ」


 そう言って、短く微笑み合ってから……俺たちは再び、どちらからともなくキスをした。

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