第36話 お泊まりする佐藤③
昼食を食べ終えた後。
俺と佐藤は、近所のスーパーまでやってきていた。
目的は、夜ご飯に使う材料の買い物である。
本当は俺があらかじめ買っておくという手もあったのだが、その辺りは「一緒に買い物がしたい」ということでお互いの意見は事前に一致していた。
それに俺は料理の心得がほとんどないので、当然ながら目利きにも自信がない。
そういう意味でも、佐藤と一緒に回れるのはありがたかった。
「日向くんは、苺かチョコだったら、どっちの方が好きですか?」
と、農作物が並ぶエリアに入ったところで、不意に佐藤がそんなことを聞いてきた。
苺かチョコか。
俺は短く考えてから答える。
「アイスならチョコ、他なら苺って感じかな」
「……もしかして、単品のチョコレートが苦手なんですか?」
「まあ、少しだけね。全然ダメじゃないけど……ドーナツにかかってるチョコとかは好きだし」
どちらかといえば、チョコがダメというよりかは『板チョコをそのまま食べられない』と言った方が感覚的には近いかもしれない。
例え有名なブランドのチョコレートでも、それ単体はあまり得意じゃない。
俺の言葉に佐藤は頷き、それから改めて小さく首を傾げた。
「その……ケーキも、苺の方が好きですか?」
「ケーキ?」
「はい。……日向くんの、お誕生日ケーキです」
「……っ」
ドクン、と心臓が鳴った。
すぐに全身が熱くなり、照れ隠しに頬を掻きながら尋ねる。
「……作ってくれるのか?」
「は、はいっ……そのつもりです。さっきキッチンを見せてもらった時に、機材は十分ありそうだったので。その……喜んでもらえるかな、と」
そう言って佐藤は僅かに頬を赤くした。
それから少しだけ不安そうに俺を見上げてくるので、心配する必要はないと笑顔で伝える。
「ケーキなら、チョコも苺も大好物だ」
「……本当ですか?」
「ああ、本当だよ」
そう言うと佐藤は安堵の表情を浮かべ、小さく胸を撫で下ろした。
「……というか、佐藤が作ってくれるケーキだぞ? 俺が嬉しいと感じないはずがない」
「ま、また日向くんは、そういうこと……っ」
「本当のことだからな。正直、ケーキ作ってくれるって聞いた瞬間から、佐藤の頭を撫でたくて仕方がない」
「そ、そういうのは、その……家に帰ってからなら……いくらでも……」
「……また佐藤は、そういうこと」
「だ、だって! ……日向くんに頭撫でられるの、大好きですなんですもん……わたし」
「……」
ああ、本当に……どうしよう。
今すぐ佐藤を抱きしめて、撫で回してしまいたい。
しかし、もちろん公衆の面前でそんなことをするわけにもいかないので、俺は深呼吸してから、改めてさっきの佐藤の質問に答えることにする。
「ケーキなら、チョコも苺も好きだけど……この季節なら、せっかくだし、苺がいいな」
「わ、分かりました。……それじゃあ、えっと、苺のショートケーキにしましょうか」
「それで頼む」
「ふふっ。はい、任せてくださいっ」
胸の前で小さく握り拳を作りつつ、佐藤は少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
家に帰ると、佐藤は早速キッチンに立った。
なるべく早めに作る方が、夜ご飯までにケーキを冷やす時間を確保できるということらしい。
「何か手伝えることはあるか?」
「そうですね……」
自前のエプロンを装着しながら、佐藤は少しだけ悩むような素振りをみせた。
「さすがに、日向くんのためのケーキ作りを日向くんに手伝ってもらうわけにはいかないので……その、エプロンの紐を結んでもらってもいいですか?」
「ああ、分かった。でも、必要な器具やお皿くらいは出させてくれ」
「はいっ。ありがとうございます、日向くん」
「こちらこそ」
エプロンの紐をリボンの形に結び、佐藤の背中に軽く手を当てる。
俺は料理が得意じゃないし、妹の美羽もファッションに比べたら料理には然程興味がない。それなのに調理器具がある程度揃っているのは、簡単に言えばここが俺の実家だからである。
もっとも、先週の俺の誕生日当日に会った両親は、外でケーキを買ってきたが。
なんて。
考え事をしているうちに、佐藤は準備を終えたらしい。
「それじゃあ、日向くん。まずはいくつかお皿を……って、あ、あの、日向くん? どうかしましたか?」
「え? ああ、いや……佐藤のその髪型も、新鮮だなと思って」
「……っ! そ、そういえば、日向くんの前でお料理をするのは、初めてでしたね」
二つ縛りのおさげから、いつのまにか佐藤の髪はポニーテールに変わっていた。
元々の可愛らしい雰囲気に少しだけ活発さが加わったような印象で、露わになった耳と白いうなじが清楚感を増している。
くるり、と佐藤がゆっくりと一回転してみせた。
「ど、どうですか……?」
耳を真っ赤にしながらも、ちゃんと俺の目を見て佐藤がそう尋ねてきた。
俺は笑って大きく頷いた。
「すごく綺麗だよ。なんか、いい匂いしそう」
実際、今日の佐藤からは少しだけ甘い香りがした。
抱きしめないと分からない程度だが、いい匂いであることには変わりない。
正直、少し、嗅がせて欲しい。
と、そんな含みが伝わってしまったのか、佐藤は慌てたように半歩後ろに下がった。
「い、今はその……たくさん歩いた後なので……っ」
そう言ってから控え目に俺を見上げ、微かに首を上に逸らした。
「でも、その……お、お風呂上がりなら、いいですよ。日向くんが心ゆくまで……今度こそ。できれば噛むのは、跡にならないくらいだと嬉しいですけどね」
それと……
と、そう付け加え、佐藤は頬を緩めた。
「日向くんが満足したら、できればその後はわたしにも……、私にも、日向くんの匂いを、たくさん嗅がせて欲しいです……っ」
つまりはたくさん、抱きしめさせて欲しいです──と、そう言って佐藤は締め括った。
笑顔でいるようだったが、その目には僅かな不安の色が滲んでいた。
きっと、以前とほとんど同じ状況であることを理解して、俺の返事を心配しているのだろう。
でも……
「わっ…………っ、ふふっ」
俺は、佐藤の頭にそっと手を乗せた。
それだけで、俺が何かを言う前に、佐藤はとろんと笑顔を蕩けさせた。
「噛まれるの、痛いだろう?」
「もちろん、多少は痛いですけど……でもそれ以上に、日向くんに求められてる感じがして、私はすごく……好きなんです」
「そっか。じゃあ
「はいっ。待ってますね」
「ありがとう。助かるよ」
今はもう、お互いの気持ちを、ちゃんと伝え合えるようになっている。
相手を大切に思っていること、だから傷つけたくないこと、そもそもそれを傷とは思っていないこと……
そして何より、もっとそばにいたいこと。
「私も……日向くんに噛まれたくなったら、言いますね」
「じゃあ俺も、佐藤に噛まれたくなったら言おうかな」
「わ、私が、日向くんを……?」
「ダメ?」
「そんなわけないです。……私も少し、興味がありますし。その……日向くんの、お味に」
そう言って佐藤が恥ずかしそうに笑う。
俺も彼女の目を見つめ返して笑ったが、すぐに堪らなくなり、彼女の肩を抱き寄せた。
「……幸せ者ですね、私は」
驚いて身体を跳ねさせることもなく、佐藤はただ嬉しそうな声音でそう呟いてから俺に体重を預けてきた。
それをしっかりと受け止めて背中を優しくさすってやると、佐藤は嬉しそうに小さく喉を鳴らした。
ふわりと、甘い香りがした。
「やっぱり、お風呂上がりじゃなくても大丈夫だったな。いい香りだよ」
「……ふふっ。もう、ダメだって言ったのに。……悪い人ですね、日向くんは」
艶っぽい声でそう言いつつも、佐藤の方からも俺の背中に手を回してくれる。
お互いに無言で、言葉を交わさず……
だけどしっかりとした幸福感を感じながら、俺たちはしばらくその場でお互いの熱に包まれた。
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