第34話 お泊まりする佐藤①
「お、おはよう、佐藤」
「わ……お、おはようございます。日向くんっ」
ついに迎えた金曜日、当日。
朝早くに美羽を(美羽の方のお泊まりへ)見送ってから、俺は佐藤を迎えに彼女の家までやってきていた。
玄関の外で挨拶を交わし……
それからスッと、佐藤が俺から目を逸らし、頬を真っ赤に染めた。
「ひ、日向くん、そ……その髪は、一体……っ」
「ああ、これはその……ちょっと美羽に手伝ってもらって、整えてみたんだ」
と言ってもワックスで適当に形を作ってもらっただけなのだが、それでも美羽の手腕のおかげで中々清潔感のある感じになっている……と自分でも思えるくらいには、美羽の張り切りようはすごかった。
「どうかな?」
そう尋ねると、佐藤はさらに顔を赤くした。
俺から目を逸らしたまま呟く。
「……かっこいいです、とっても」
「そっか。なら良かった」
それから俺も、佐藤の髪に目を向ける。
「佐藤も、いい感じだよ、その髪。似合ってる」
「わ……あ、その……ありがとう、ございます」
言いながら、俺は自分の耳が熱くなるのを感じた。
佐藤の髪は今までずっとストレートだったのだが、今日は違った。
ふたつ縛りの、落ち着いた印象の髪型。
美羽のように元気いっぱいなツインテールという感じではなく、ふんわりと結ばれたおさげのようだった。
佐藤のさらさらな黒髪と綺麗な顔立ちが相まって、彼女の持つ柔らかい雰囲気がいつもよりずっと強く感じられる。
「家ではよくしてるのか? その髪型」
「い、いえ……私が普段、髪を結ぶのは、お料理の時くらいなので……。き、今日はその……特別、と、言いますか。結構、はりきっているので……っ」
最近は随分と人の目を見て話せるようになってきた佐藤だが、まだこうして声が小さくなってしまうことはそれなりにある。
何かがきっかけで恥ずかしさを感じてしまうとダメなようで、今も全く目を合わせてくれない。
ぷるぷると佐藤が顔を震わせる。
「わ、私……今日ダメですっ。日向くんのこと、直視できません……っ」
「そんなに好みの見た目だったなら、嬉しいね」
揶揄い半分でそういうと、佐藤の口角がぴくりと反応した。
もう我慢ならないという様子で頬を緩ませ、それを隠すように俺の胸に頭突きしてくる。
「あ、あんまりいじわるしないでください」
「ごめんごめん」
「……もう」
それからしばらく背中をさすってあげると、やがて佐藤は満足気に俺から離れた。
ここに長居する理由は、少なくとも今日はない。
佐藤から重そうな荷物を受け取り、俺たちはその場を後にした。
「お、お邪魔しま〜す……っ」
家に到着すると、佐藤は緊張した様子で玄関の中へと足を踏み入れた。
そわそわ。
わくわく。
そんな感じで目を輝かせながら、辺りをきょろきょろと見回している。
「俺と佐藤しかいないから、緊張しなくても大丈夫だよ」
「は、はいっ」
とはいえ、すぐに緊張をほぐすのは無理な話なので、まずは佐藤に家を案内する。
リビング、キッチン、トイレ、お風呂、佐藤に使ってもらう部屋などなど……
そして。
「こ、ここが日向くんのお部屋ですか……っ!」
最後に俺の部屋に通すと、佐藤は今までよりも一際強く目を輝かせた。
「うん。何でも自由に触っていいよ」
「え……いいんですか?」
「いいよ。見られて困るものも特にないし……って、ごめん、今のは変な意味じゃなくて……」
「変な意味……?」
佐藤にとってのアルバムのようなものは、俺にはない。
と、そういう意味で取れてしまうことに気づいて謝ったのだが、佐藤は全く気にした様子もなく首を傾げた。
「いや、なんでもない。気にしないで」
「そうですか? ……わ! 日向くん日向くん、あれ、座ってみてもいいですか?」
そう言って佐藤が指差したのは、まんまるに膨らんだバランスボールだった。
俺は笑って頷いた。
「もちろん。そういえば、佐藤の部屋には無かったね」
「ある方が珍しいと思いますよ? ……えっと、じゃあ、失礼しますね」
そう言って佐藤は部屋の隅に置いてあったバランスボールを持ってきて、その上に腰を下ろした。
俺もすぐそばで支えられる位置まで移動する。
「わあっ……! ふわふわで、座ってるだけなのに楽しいですっ! ふふっ」
「そのまま弾んでも大丈夫だよ。俺が上に立っても割れたりしなかったから」
「え、こ、この上に立ったんですか……?」
「まあ……良い子は真似しないように」
あの時は部屋に入ってきた美羽にこっぴどく叱られた記憶がある。
もっとも、あの時は俺だって床に家中のクッションをかき集めてからやったので、別に命知らずというほどでもないはずなのだが……
「……日向くんって、実は結構やんちゃな男の子なんですか?」
「どうかな。俺は違うと思ってるけど。……まあ、何かと美羽に世話を焼いてもらってるのは事実かもしれない」
「そ、そうなんですね。……あんまり、危ないことはしちゃダメですよ?」
「分かってるよ」
そう言って背中側から佐藤の頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうに笑って、ゆっくりと俺に体重を預けてきた。
バランスを崩さないよう佐藤の肩を支える。
「どうした?」
「い、いえ、特に理由はないんですけど……」
そう呟いてから、小さく首を左右に振る。
「ごめんなさい、嘘です。……本当は、日向くんに抱きしめて欲しくって、甘えてます。今日はまだ……ハグ、してないから……」
「そういうことか。ありがとう、伝えてくれて」
「い、いえ……っ」
「後ろからでいい?」
「……はいっ」
小さく、佐藤は頷いた。
それから俺は膝立ちの状態になり、バランスボールに座ったままの佐藤の背中をそっと抱きしめた。
ぴくりと、佐藤の体が小さく弾む。
相変わらず華奢で、小さい。
それなのに圧倒的に柔らかくて、ふわふわで……
それでいてしっかりと細く、温かい。
少しだけ、甘い香りがした。
「やっぱり、日向くんに抱きしめてもらえると、気持ちいいです。安心します……っ」
「初めの頃はふにゃふにゃになってたのにな」
「あ、あの頃はだって……恥ずかしかったから……っ。も、もちろん今もドキドキしますけど……安心するっていうのが、一番強い気がします。ふふっ……何ででしょうね?」
日向くんなら分かるでしょう?
と、そういう声音で佐藤が言ってくる。
つい最近、自分の首を噛んできた相手に安心するというのも変な話かもしれないが、佐藤がこれまでたくさん言葉を尽くしてくれたおかげで、今の俺は彼女の気持ちがちゃんと理解できる気がした。
俺を信頼してくれていることもよく分かっているし、俺も全力でそれに応えたいと思っている。
逆もまた然りだろう。
「本当に可愛いな、佐藤は」
「……っ! き、急にそういうこと言うんですから、日向くんは……」
「急に言いたくなるんだよ。残念ながら、これは我慢してもらうしかない」
そう言うと、佐藤は耳を赤くしたまま黙ってしまった。
沈黙が落ちる。
しかし、全然嫌な感じはしない。
それどころか今までよりもずっと心地良い沈黙だった。
お互いの熱を通じて、感情が伝わり合っている感覚があった。
「あの、日向くん」
「ん?」
「私はハグをお願いして、それを日向くんに叶えてもらいました。……だから、次は、私が日向くんのしたいことを叶える番です」
「……そんなシステムだったっけ?」
「私からしかお願いできないのは、不公平じゃないですか。……わ、私だって、日向くんに求められたいです。もう拒んだりしませんから。何でも……したいこと、言ってください」
「……」
俺は一瞬だけ天を仰いだ。
それから密かに呼吸を整える。
「何でもいいの?」
「……はいっ。なんでも、どうぞ」
柔らかい声で佐藤はそう答えた。
したいこと。
したいこと、か……
そう言われると無数に思いついてしまうのだが、今の関係性で相応しくないものは、"今の段階では"除外する。
短く思案してから、俺は彼女の耳元に口を近づけ、囁いた。
「じゃあ……髪、触ってもいい?」
「か、髪ですか……? は、はい、もちろん。そんなので良ければ……っ」
「じゃあ、遠慮なく」
抱きしめるのを一旦やめて、俺は佐藤の髪にそっと手を伸ばした。
綺麗な髪が乱れてしまわないように優しく指で触れ、手櫛の要領で上から下へと梳いて行く。
今までも頭を撫でる時に何度か触れたことはあったが、こうしてちゃんと"髪に触れること"自体を目的にするのは初めてのことだった。
何の抵抗もなく指が髪に吸い込まれ、さらさらとした気持ちの良い感覚が、梳くたびに指全体から伝わってくる。
「あ、あの……髪、解きましょうか?」
「ううん、大丈夫。結び目の近くもふわふわしてて、気持ち良いから」
「そ、そうですか……っ」
佐藤の髪は今日、ストレートではなく結ばれている。
とはいえ、それは何か特別派手な結び方をしているわけではなく、髪の流れはストレートの時とさほど変わらないまま、真下に向けてゆったりと伸ばされた髪が首の辺りで二つに分けられ結ばれている形となっている。
だから下まで一息に指を通すことはできないが、その代わりに結び目までの髪にはふんわりとした膨らみがあり、触るととても柔らかく、気持ち良い。
「ん……っ」
「変な声を出さない」
「ふ、不可抗力です……っ!」
そうしてしばらく夢中で撫でていると、佐藤が少しだけ不満そうに、顔を僅かにこちらへ向けた。
「……なんだか、手慣れている感じがします」
「まあね。よく美羽に、梳いてくれって頼まれるから。普通の人よりは手慣れてるかも」
「そ、そうですか。……私は、こんなに誰かに触ってもらうの、初めてなのに」
唇を尖らせながら佐藤が言う。
冗談半分……とも言い切れないような声音に、俺は思わず苦笑してしまう。
ぷい。
と、再び正面を向いた佐藤の仕草が、可愛くて堪らない。
「佐藤はどう? 気持ち良い?」
「日向くんに触られて、気持ちよくないはず……ないじゃないですか。それも、こんなに慣れた手つきで……」
「ごめんって。……これはほら、兄としてのステータスみたいなものだから。勘弁してくれ」
「別に、怒ってなんかいませんし……ふふっ」
今度はわざとらしく拗ねたような口調で言ってから、最後に笑みをこぼす佐藤。
微かに見えた横顔は、とても楽しそうに蕩けていた。
「また今度、触ってもいい?」
「ふふっ……はい、もちろんです。……髪を触るの、好きなんですか?」
「まあ、それもある」
「それも、というと……?」
「……俺だって、別に、女の子の髪なら何でもいいとは思ってない。自分から『触らせてくれ』なんて頼んだのは、これが初めてだ。だから……まあ、そういうこと」
「……っ、そ、そう……ですか……っ」
かぁぁ……っと佐藤の耳が赤くなり、俺も自分の耳が熱くなるのを感じる。
それから妙に気恥ずかしい空気の中、俺は静かに佐藤の髪を撫で続けた。
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