第29話 安心する佐藤
「ごめんな佐藤、こんな遅くに電話して」
『大丈夫ですよ。日向くんからのお電話なら、いつでも大歓迎ですっ』
夕食を終えて少しして。
一応メールで確認を取ってから、俺は佐藤に電話をかけてた。
よくよく考えてみれば話をするのは明日でも良かったのだが、電話をする理由ができたと思ったら、不思議と止まらなかった。
『それで、どうしたんですか? 日向くん』
スマホから嬉しそうな声が聞こえてくる。
どうやら、佐藤も上機嫌なようだった。
今朝色々と吐き出せて、かなり気持ちが楽になったと佐藤から今日何度も感謝されたので、その延長もあるのだろうが……
『わくわく!』と、尻尾が見えたらぶんぶん振り回していそうだなと思えるくらいには、佐藤の声音は楽しそうなものだった。
「急を要することでもないんだけどさ。ちょっと、今度のゴールデンウィークのことで相談があるんだ」
『相談、ですか? ……あ、あの、私、できればお泊まりは、日向くんと二人きりだと嬉しいんですけど……』
「え? あ、ああ、大丈夫。別に、他の人を呼んでもいいかっていう相談じゃないよ。元々俺も、佐藤ともっと仲良くなりたいと思って提案したことだから。そうじゃなくて、場所の相談」
『場所? わ……す、すみません、早とちりしちゃって……って、あぁっ!』
突然、佐藤は素っ頓狂な声をあげた。
「ど、どうした?」
『あ、あ、そ、その、さっきの二人きりがいいっていうのは、別に変な意味じゃなくてですね、……なんていいますか、私、お泊まりって初めてなので……』
「そ、そうか……でも別に、変な意味で捉えたりしてないから、心配しなくても大丈夫だよ」
『あ……は、はい。そう、ですよね……』
俺が佐藤のフォローに回ると、なぜか今度は佐藤のテンションがあからさまに下がってしまった。
でも、だからって「変な意味で捉えてます」なんて言えるはずがないので、俺は話を先に進めることにした。
「えっと、それで、場所なんだけどさ。今朝は遠出とか旅行とかって言っちゃったけど、よく考えたらそれだとお金も結構かかるし……俺の家とか、どうかな?」
『……え?』
「ほら、俺の家だったら宿泊料も実質無料で、使ってない布団も、なんならほとんど家にいない両親のベッドもあるし、設備も娯楽も生活に困らないくらいには揃ってるし……」
言いながら、安い売り文句だなと我ながら思ってしまう。
こんなので佐藤は納得してくれるだろうか。
いや、しないだろう。
そう思って俺はもう少しだけ理由を付け加える。
「それに、これは完全に俺の我儘なんだけど……佐藤の手料理を出来立てでも食べてみたいなって、前から思ってたんだ」
これは紛れもない俺の本音。
美羽に言われてから考えたとかじゃなく、初めて佐藤のお弁当を食べた時からずっと思っていたことだった。
今まで直接伝えてこなかったのは、「出来立ての手料理が食べたい」なんて佐藤を家に誘うセリフでしかないからだが、今の状況なら伝えても問題ない……というか、伝えるしかないだろう。
刹那の沈黙。
そして、スマホから熱を帯びた声が届く。
『一つだけ、確認してもいいですか?』
「もちろんどうぞ」
『……お泊まりの時、その、美羽ちゃんも一緒ですか?』
悪気があっての質問じゃない、と訴えるように佐藤の声は控え目で、温かかった。
俺もなるべく優しい声で返す。
「いや、美羽はお泊まりの時にはいないはずだよ。なんか、仲の良い友達の家に何日も泊まりに行くらしいから」
俺が美羽に説得された後。
美羽は短くスマホを操作してから突然、自分もゴールデンウィークはお泊まりに行くんだと言い出した。
俺へのダメ押しのつもりなのか、それとも気を遣ってくれたのかは分からないが、正直かなり強引な手だなと笑ってしまった。
「だから、俺の家に佐藤が泊まってくれるとしても、その時は二人きりだよ」
『……つまり、日向くんまでお泊まりに出掛けてしまうと、その間は家に誰もいなくなってしまう……と』
「まあ、そうなる。ごめんな、断りづらくするつもりはなかったんだけど……」
『い、いえ。……あの、日向くん、もしかして勘違いしてませんか?』
「勘違い?」
俺は小さく首を傾げた。
すると佐藤は、なにやら少しムっとした様子で……
呆れた人ですね、とでも言いたげに小さく溜め息を吐いた。
もっとも、そんなことを直接口にする佐藤の姿はあまり想像できないが。
『私は、日向くんのお家にお泊まりさせてもらえることを、嫌だなんて思っていません。……む、むしろ、だ、大好きな友達のお家なんですから、ある意味では、緊張も少ないと思います。なので、全然、私は日向くんのお家で大丈夫です。……誘ってくれて、本当に嬉しいんですから……ね?』
佐藤は恥ずかしそうにそう呟いた。
「そっか。……悪かった」
『いいえ。分かってくれたら、それでいいんです』
俺が謝ると、佐藤は優しい声で返してくれた。
スマホから、がさごそと柔らかい物音が聞こえてくる。
音の感じからして、布団を抱きしめるか、包まっているかしているのだろう。
みんなが寝静まり始める時間帯、パジャマ姿でそんなことをしている佐藤の姿を想像すると、妙に熱っぽくて、可愛らしかった。
「じゃあ、来週の火曜日と水曜日に、俺の家でお泊まりってことでいい?」
『はい、楽しみですっ』
「俺も楽しみ。火曜日の朝、十時頃に佐藤の家までお迎えに行くから、よろしくね」
『こちらこそ、よろしくお願いします』
そうして、本日の通話はかなりあっさり終わった。
少しだけ物寂しいが、まあ、こんなものだろう。
「じゃあ、また明日」
『は、はい、また明日』
「おやすみ」
『……おやすみなさい、日向くん』
挨拶を交わし、佐藤が通話を切るのを待つ。
のだが……
「……」
『……』
「……」
『……』
「……?」
『……?』
「佐藤?」
『は、はい……?』
「切らないの?」
『え、あ、わ、私が切ってもいいんですか?』
「え? あ、ああ、そっか。通話に誘ったのは俺だから、俺から切る方が自然か」
昨日はどうだったかなんて覚えていないが、少なくともこんな気恥ずかしい時間は流れなかった。
五秒ほど。
通話のノイズすら聞こえてこない静かな時間が再び流れ……
「佐藤」
『日向くん』
俺たちは同時に、お互いの名前を呼んだ。
わ! と佐藤が真っ先に慌てる。
『ひ、日向くんからどうぞ……!』
勢いよく、後手に回ると宣言される。
「じゃあ、遠慮なく。……その、もう少しだけ雑談でもしないか、って聞こうと思って。佐藤は?」
『わ、私はその……通話、繋げたままで寝るのとか……どうかなって……あ、で、でも! 大丈夫ですっ! その、もう少しだけでも……日向くんの声を聞いていられるなら、なんでも……っ』
あまりにも恥ずかしそうな声でそう言われ、つられて俺の方まで顔が熱くなってくる。
通話を繋げたままで寝る。
それはつまり、眠りにつく直前までお互いの声を聴こえる状態にしておきたいということだ。
佐藤の声は……声質は、ふんわりとしていて柔らかい。さらに、最近はかなり落ち着いた声で喋れるようになってきているので、耳にすごく優しい。
自分ではよく分からないが、寝落ち通話を提案してくれたということは佐藤も同じように俺のことを思ってくれているのだろうか。
そう考えると、なんだか喋るのが恥ずかしくなってくる。
「……しよう。通話繋げたまま、寝るの」
『え……いいんですか?』
「嫌だったらちゃんと断ってるよ」
『そう、ですよね。あ、ありがとうございます。すごく……嬉しいですっ』
「俺の方こそ、佐藤が提案してくれて嬉しい」
そう言うと、佐藤は嬉しそうに声を漏らした。
明らかにテンションが上がり、声が弾む。
『ふふっ、ねえ日向くん、何か、たくさんお話ししてください』
「いきなりとんでもないことを言い出したな」
『たくさん聞いていたいんです、日向くんの声。ダメですか?』
「俺は佐藤の声を聞いていたいからな。交互でっていうことなら、いいよ。でもせめて話題は欲しい」
『話題……なんでもいいですか?』
「なんでもいいよ」
『ふふっ、えっと、じゃあ……』
楽しそうな声。
ニコニコしているのが目に見えるようだ。
『日向くんのお誕生日って、いつですか?』
「俺の誕生日?」
『はい、その、そういえばまだ知らないなと』
「確かに俺も、佐藤の誕生日とか知らないな。まだまだ知らないことだらけだ」
『ふふっ、そうかもしれないですね。私も日向くんのこと、まだまだ知らないことだらけです。……でも、日向くんがとっても優しくて、かっこよくて、いい人だってことは、知っています』
恥ずかしそうな声で佐藤はそう呟いた。
熱を帯びた柔らかいその声に、俺は思わず頬を掻いた。
「まあ、えっと……俺の誕生日は……」
話題を逸らす意味も込めて、俺は強引に話を戻した。
佐藤に誕生日を伝える。
すると彼女は、『……はい?』とやや低めの声を漏らした。
『……あの、日向くん』
「どうした?」
『ど、どうした、じゃないですよ! なんでもっと早く教えてくれなかったんですか!?』
ピシャリと佐藤にそう言われ、俺は無意識に背筋を伸ばした。
『4月27日って、もう今週末じゃないですかっ! 私が……私がここで日向くんに質問していなかったら、どうするつもりだったんですか……っ!?』
「いや、どうするもこうするも……家族の誕生日ならともかく、友達の誕生日ってそんなに重要なことか……?」
『じゅ、重要なことに決まってます……っ!』
「そう、なのか……?」
男女の文化的な違いだろうか。
少なくとも俺や湊は、お互いの誕生日におめでとうを言いはすれど、別にプレゼントを送りあったりはしない。
せいぜいコンビニや自販機で何かちょっと奢ったりする程度だ。
「ちなみに佐藤の誕生日は?」
『私は、10月24日ですけど……日向くん、話を逸らそうとしていませんか?』
「……鋭いな」
『もう……』
呆れたようにため息を吐く佐藤。
しかし、その声はどこか少しだけ弾んでいる。
「なんか、意外と嬉しそうだな?」
『そ、そんなことはないです。これでも少しだけ怒っています』
そう言ってわざとらしく声を張る。
が……
『ふ、ふふっ』
すぐに我慢できなくなったのか、小さく笑い声が聞こえてきた。
「佐藤?」
『ふふ、ごめんなさい。ただ、なんていいますか……日向くんって、今までに女の人と付き合ったことがないのかなって思ったら……つい』
「む……それは、さすがに酷くないか?」
冗談半分に佐藤を糾弾する。
もっとも、佐藤が悪い意味で俺を揶揄ってくることはないと分かっているので、俺の言葉にも怒りの意思はまるで含めていない。
佐藤もそれが分かったのか、楽しそうな雰囲気のまま小さく笑い声を漏らした。
『日向くんは、とっても優しい人ですからね。女性経験が豊富だったらどうしようって……私の立場だと、考えたりもするんですよ』
「……それはまた、大変だな」
『ホントですよ。ふふっ』
あまりにも直接的……
いや、間接的に、電話の向こうで笑う女の子は可愛かった。
心臓が高鳴る。
その日は結局、先に寝たのは佐藤の方だった。
今朝たくさん泣いたので、自分で思っていたよりも疲れていたのだろう。
もう名前を呼んでも返事が来ない。
「おやすみ、佐藤」
『……んぅ』
経験上、一度眠った佐藤は声をかける程度では目を覚さない。
なんなら、肩を揺すっても簡単には起きない。
『……』
「今まで、よく頑張ったな」
だから、少しだけ。
言い足りていないことを、言わせてもらう。
「もう絶対、大丈夫だから」
『…………』
何度も本人に伝えるほど、格好つけたいわけじゃない。
佐藤を俺に依存させたいわけでもない。
ただ純粋に、本心。
「高校生にもなれば、無闇に人を傷つけるやつなんて滅多にいない」
『…………』
「でも、もし仮にそういうやつが現れたとしても、今度は俺がそばにいる」
『……』
「佐藤が一人で苦しむっていうことだけは、絶対にない」
『……っ』
「だから、安心して、おやすみ」
『……っ、ぁ……っ』
それだけ言って、俺は通話を切った。
繋いだまま寝るという約束だったが、片方が先に寝たのなら問題ないだろう。
呼吸を整えてから俺もベッドで横になり、眠りについた。
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