第25話 過去と佐藤①

 感じた違和感の正体を突き止めるために、俺はあれから佐藤の中学のアルバムまでひと通り目を通した。

 その中で一番時間がかかったのは、間違いなく中学生の佐藤を探すところ。

 『一際可愛い子が佐藤』という認識で流し見したから、一周だけでは見つけられなかった。


 でも、それは決して今の佐藤より可愛い子が他にいたという意味ではなく……

 そもそも、例え容姿だけであったとしても、今の佐藤より可愛くあることは相当に難易度が高い。



 要するに、つまるところ……


 佐藤がお姉さんから貰ったという例の地味なメガネをかけ始めたのは、中学生からだった。

 そしてその頃から突然、佐藤の髪が手入れをやめたかのように乱れ始めていた。

 というより、実際に手入れをほぼやめたのだろう。


 ただの気まぐれ。


 それだったらいいのだが。

 果たして佐藤が、ただの気まぐれなんかでそんなことをするだろうか。

 少なくとも俺の知っている佐藤は、そんな人じゃない。



「日向くん、お待たせしまし……」


 お茶の乗ったプレートを片手に部屋に戻ってきた佐藤が、アルバムを読んでいる俺を見つけてフリーズした。

 言いかけていた挨拶が途中で止まる。


「その……ごめん、勝手に見て」


「……い、いえ。そういえば、そんなものもありましたね」


 俺の態度から、佐藤は色々知られてしまったかもしれないと理解したのだろう。

 どこか寂しそうに笑った佐藤はゆっくりと自分のベッドの前まで移動し、その上に腰を下ろした。

 お茶の乗ったプレートをベッドサイドの物置に預け、それから、苦笑混じりにぽんぽんと自分の隣を叩く。


「少し、お話ししませんか?」


 優しく目を細め、隣に座るよう促してくるので、俺はそれに応えるように佐藤の隣まで移動した。

 肩が触れ合わないくらいの距離に座る。


「えっと……その……」


 緊張しているのか、俺の手を握ろうとして腕を伸ばしてくる。

 しかし、触れる前に申し訳なさそうに引っ込めてしまう。


「手、握る?」


「……いいんですか?」


「今まで断ったことはないつもりなんだけどな」


「……そう、ですね。すみません」


 俺から佐藤に提案し、手のひらを差し出す。

 すると佐藤は今度こそ、ゆっくりとだが自分の手を俺のに重ねてきた。


「あったかいですね、日向くんの手」


「佐藤のはちょっと冷たいな」


 そんなことを言い合って、くすりと笑う。

 いつもは可愛らしい佐藤の笑みだが、今はどこか哀愁が漂っていた。

 昔にあった何かについて、俺に吐き出してしまいたい気持ちもあるけれど、それが怖い気持ちもある……と、そんな感じだろうか。


「なあ、佐藤」


「……はい?」


 なるべく優しく名前を呼ぶと、佐藤は僅かに顔を上げた。

 その不安そうな瞳をそっと覗き込む。


「俺と佐藤が友達になったのは、つい最近のことなんだ。昔から知り合いだったわけでもないし、もちろん長年の付き合いがあるわけでもない。だから、話したくないことがあっても全然構わないし、むしろそれが自然だよ」


 佐藤が内に何を秘めていようとも、俺は佐藤と友達でいることをやめるつもりはない。

 だから、そこを不安に思う必要なんかない。

 でも……


「でも、話すことで佐藤が少しでも楽になるのなら、俺はいつでも話を聞くよ。愚痴でも、明るくない昔話でも、なんでも。そこは信頼……っていうか、頼ってほしい、かな」


 手に力を込めてそう伝える。

 俺だって、嫌がる話を無理に佐藤から聞き出すつもりは全くない。

 けど、今の佐藤の辛そうな顔からは、吐き出した方が楽になりそうだっていう雰囲気がひしひしと感じられた。


 佐藤は俺の言葉を受け取ると、一度、目を強く瞑り……

 それから、僅かに潤んだ瞳で見上げてきた。


「……つまらない話でも、聞いてくれますか?」


「もちろん。いくらでもどうぞ」


 俺が大きく頷くと、佐藤は手を握ったまま少しだけ微笑んだ。

 それからどこか遠くに目を向けて、ゆっくりと自分の過去を話し始める。


「私、小学生の頃は、こんなに臆病な性格じゃなかったんです。人見知りも人並みくらいか、ちょっとだけあったかなっていう程度で……友達もいたし、信頼してた人も……いました」


 薄暗く、佐藤の瞳に影が落ちる。

 触れ合っている指先は微かに震えていた。


「優しかったんですよ、本当に。……でも、学年が上がってくると、段々みんな……恋愛とかに興味を持ち始めて。私にも何人か、想いを伝えてくれる人が現れ始めたんです」


 一瞬だけ嬉しそうに微笑む佐藤。

 しかし、すぐに辛そうな、悲しそうな表情へと変わっていく。


「……でも、断っていたんです、私。まだ小学生で、恋愛のこととか全然分からなかったのもありますが、その……正直、下心のある視線が、苦手だったので。だから、ずっと優しくしてくれていた人の時も、同じように、断ったんです。告白してくれたのは嬉しいけど、まだそういうのは分からないからって……断ったんです」


 小さく肩を震わせ、痛々しいくらいに顔が歪んでいく。


「そうしたら、言われたんです。……今まで散々優しくしてやったのに、断るなんてあり得ない、こんなことだったら優しくするんじゃなかった……『優しくして損した』って。突然、人が変わったように怒られて。……ちょっと、すみません」


 佐藤はそう言ってから立ち上がり、本棚から例の小学校のアルバムを取ってきた。

 震える指でゆっくりとページをめくる。

 そして一番最後の、同級生からの寄せ書きの部分を開いた佐藤は、傷口を撫でるような仕草と表情でそのページにそっと指を添わせた。


「……これ、見ましたか?」


「……うん」


 悪意に満ちた、黒いマーカーで刻まれた文字を指す。


「アルバムにも、書かれちゃったんですよ。『優しくして損した』って……」


 震える声で佐藤が言う。

 限界まで潤んだ目尻から、一滴の涙がこぼれ落ちる。


「怖いんです、私。あれから、人と話すのも、視線を向けられるのも、優しくされるのも、誰かを信じるのも。胸が痛くなって、脚がすくむんです。……だから中学からは、誰にも注目されないように、できるだけ地味になるように……髪の手入れとか、そういうの、全部やめたんです」


 でも、だからこそ、と……

 佐藤は涙を流しながらも、俺に向かって微笑んだ。


「初めてだったんです。それ以降、日向くんほど話してて、胸が苦しくならない人と出会うのは。……いえ、違いますね。日向くんと話すのは、苦しくないどころではありません。楽しいんです。日向くんと一緒にすることは全部、楽しいんです」


 顔をぐしゃぐしゃにしながらも、それでも笑みを浮かべながら佐藤は言う。


「憂鬱だった電車も、怖かった学校も、日向くんと会えるから楽しみになりました。人から視線を向けられるのも、優しくされるのも、日向くんが励ましてくれたから、怖くなくなりました。また容姿に気を使えるようになったのも、全部、日向くんのおかげなんですよ。だから、日向くんは私にとって、本当に……本当に、優しくてかっこいい、人なんです」


「佐藤……」


「……だから、私はもう、昔のことなんて……気にしてないんですよ。もう、大丈夫……大丈夫なんです」


 言いつつも、佐藤は大粒の涙を流した。

 そんな様子は、どう見ても大丈夫ではない。


「佐藤」


 改めて優しく名前を呼んでから、俺は彼女を自分の胸に抱き寄せた。

 肩と頭に手を回し、震える彼女を包み込む。

 辛い記憶に耐え続けてきた佐藤の体は、あまりにも小さかった。


「話してくれてありがとう」


「……っ」


「それから、よく頑張ったね」


「…………ひなたくん……っ」


 俺の名前を呟いて、佐藤は完全に脱力した。

 全体重を俺に預けてくるのでしっかりと受け止め、髪をそっと撫でてやる。


 しばらくの間、佐藤は声をあげて泣いていた。

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