第22話 本領を発揮する佐藤③

 一瞬の静寂が教室を支配して、最初にそれに耐えられなくなったのは全員の注目を集めた佐藤だった。


「……お、おはよう、ございます」


 そう彼女がクラスに向けて呟いた途端に、俺の見える範囲でも大勢が目を見開いた。


「……え、佐藤さんなの?」

「うそ」

「マジで?」

「やっばい……」

「可愛い……!」

「かわ……ッ」


 みんなが口々に呟いていく。

 中でも「可愛い」という言葉が一際多い印象だ。


「……フッ」


 ふふふ、そうだろうそうだろう。

 みんなは気づいていなかったようだが、最近の佐藤はずっと可愛かったんだよ。

 まあ俺は一週間も前から知ってたけどね、早さじゃないからね。

 ようやく気づいたかお前ら。



 ……なんて、緊張が解れたついでに調子に乗ってみました。


 そうして腕を組んでうんうん頷いているうちに、いつの間にか佐藤の周りには人集りができていた。

 隙間から、苦笑混じりに精一杯応対する佐藤の姿が見える。


「おい薫、アレか」


「アレだ」


「アレかぁ……っ」


 湊と顔を見合わせ、さっきの答え合わせを終える。


「地味って印象しかなかったんだけどなぁ」


「俺も最初はそうだった。目利きはダメだなお互い」


「ほんとにね」


 可愛いものを可愛いと評価する自信ならあるが、隠れた可愛さを見つけ出す自信はもう持てない。

 それでも俺が佐藤の可愛さに気づけたのは、当たり前だが佐藤自身が努力して変わったからだ。


「いったい佐藤さんに何したんだよ?」


 隠れ美少女が、隠れるのをやめた理由。

 事情を知っていた様子の俺に湊が聞いてくるのは自然な流れだろう。

 しかし、残念ながら思い当たることはそう多くない。


「強いて言うなら、人に慣れる練習の相手、かな」


「人に慣れる練習って?」


「電車が同じで登下校一緒だから、なるべく一緒に乗って喋ったりとか……まあ、そんな感じ」


 手を繋ぐとかは恥ずかしいので教えない。

 喋るくらいならおかしな要素は何もないはず。


「一緒に乗って喋ったり、ね」


「なんだよ?」


「ほぼ毎日でしょ?」


「まあ、学校がある日は」


「校内では?」


「校内? 最近はお昼一緒に食べてるけど」


「……薫さ」


「……なんだよ」


「んー……まあいいや。助けが必要になったら声かけてよ。演劇部なら大体いつでも動かせるから」


「それ一年生が持ってていい権力じゃないだろ」


 どうなってるんだ演劇部の上下関係。






 それからすぐに始まったホームルームと午前中の授業を終えると、佐藤の周りには再び大量の人が集まった。

 佐藤が教室に来た時間が遅かったことを考えると、クラスメイトたちからしたらこのお昼休みが佐藤とじっくり話せる最初のチャンスになるな。


「佐藤さん、一緒にお昼食べよ!」


「ぅ……え、えっと……」


 クラスの女子が真っ先に佐藤に話しかけ、近くの机を佐藤の机に寄せた。

 その瞬間、佐藤が俺の方に視線を送ってきたが、俺は友達を作る良い機会だと思って頷いた。


 仕方がないので今日は湊と食べるか。


「よっ」


 と無慈悲なことを考えていると、ちょうど湊が俺の隣までやってきた。


「学食行くか?」


「あー……いや、今日は教室で食べよう」


「了解。そういえば薫、最近はお弁当なんだっけ」


「ま、まあな」


 佐藤の話題で持ちきりの教室では下手しても『佐藤が作ったお弁当を食べてます』なんてことは言えないが、ほぼ全員の注目が佐藤にあるおかげで、近くで同じ内容のお弁当を食べていても気づかれることはまずないだろう。


 続々と机が繋がっていく佐藤の様子を見てから俺は立ち上がった。


「悪い、ちょっとトイレ」


「じゃあ先食べてるね」


「おう」


 断ってから廊下に出て歩き始める。

 すると、微かに急足で俺の後ろを追ってくる人影があった。

 それに気づかないフリをして、トイレの前を通り過ぎる。

 それから廊下の角を曲がり、階段を登って、生徒は立ち入り禁止となっている屋上……の直前の踊り場までやってくる。


 明かりすらついていない薄暗闇。

 屋上へと続くドアの窓から陽光がわずかに差し込んでいる。


 人の気配はない。

 喧騒は全て、下の階。



「…………日向くんっ」



 不意に響いた声と同時に、背中からぎゅっと腰に手を回される。

 甘い香りと、知っている柔らかさ。


「頑張ってるな、佐藤」


「……っ」


 返事はなかったが、代わりに俺を抱きしめる力が強くなる。


 教室で一瞬だけ目を合わせた時、佐藤からは助けてくださいという念が強烈に送られてきた。それはもう今すぐその場から逃げ出したいと言わんばかりに。

 誰か嫌な人がいるわけじゃなく気力と体力の問題だってことはわかるので、こうして人気のない場所まで目配せで呼び出したのだ。


 もっとも俺は話し相手になるだけのつもりだったので、まさか抱き付かれるとは思ってなかったけど。

 まあ、拒む理由は特にない。


 ……というか、少し嬉しい。


「私、みんなとちゃんとお話しできてましたか?」


 恐る恐るといった様子で佐藤が尋ねてくる。


「うん。ちゃんと頑張ってた」


「下ばかり見てたとか、表情が暗かったとか……」


「なかったよ。いつも俺といる時と同じくらい、ちゃんと相手の方を見れてた。表情は、まぁ、緊張してるなーって感じだったけど」


「……ぅ」


「そこは追々な。急ぐ必要なんてない」


「……はいっ」


 そう呟いて、再びぎゅっと、今度は力よりも密着感を増してくる。

 身長差があるので、立っている状態では佐藤の頭は俺の肩に乗らないのだが、にも関わらず耳元に囁かれるような不思議な感じがする。


「みんなになんて言って出てきたの?」


「……その、お手洗いにって」


「じゃあ、あんまり長居はできないな。残念だけど」


「……はい。でも、もう少しだけこのまま、充電させてください……っ」


 充電って。

 佐藤は血が通った温かい女の子だろうに。

 もちろん、そういう意味じゃないのはわかってるけど。


 温かいといっても、今の佐藤はちょっとだけ、制服の上から感じる体温が低いような気がした。


「充電なら、逆の方がいいかもな……」


「……ん、と、日向くん?」


 俺の腰に回されていた佐藤の手を解いて、俺はゆっくりと佐藤の方を向いた。

 正面から彼女を見つめる。

 すると、さっきまで俺に抱きついていたのが恥ずかしくなったのか、佐藤は居心地が悪そうに目を逸らした。

 よく見ると頬も少し赤い気がする。


 さっぱりした前髪、綺麗な肌、整った顔立ち、ゆったりと着こなした制服。

 改めて見ても、やっぱり可愛い。


 そんな可愛い女の子の肩を押して、階段を一段だけ登らせる。

 これでもまだ俺の方が背は高い。

 でも、目線はほぼ一緒になった。


「どうしたんですか……?」


 首を傾げた佐藤に何も伝えていないまま。

 俺は彼女を、そっと右手で抱き寄せた。


「ハグはストレス解消に良いって、前にどこかで聞いたような気がして」


「え、え、は、はぐ……?」


 ふらっと佐藤から力が抜ける。

 身体ごと俺に寄りかかってきて、控えめな体重が程良く俺の全身に乗ってくる。


「わ、わわ、ええぇ、なにこれ、なにこれ……っ」


「昨日、試着の時にも似たようなことしたでしょ?」


「そ、そうかも、ですけどっ」


 改めて聞くとなんで試着で抱きしめたんだって自分でも思うけど。


「それにほら……充電、だから」


「じゅ、じゅうでん……」


「こっちの方が効率いいでしょ?」


「……そ、それは、そうですけどっ」


 逆接に続いて、ぽすぽすと俺の胸を叩いてくる。

 全然痛くないのがむしろヤバかった。


 しかし、それが最後の抵抗だったようで、それから佐藤は諦めたように俺の肩に顔を預けてきた。


「あ、あの……日向くん」


「ん?」


「これって……ほ、本当に、充電だけ……なんですか?」


「……え?」


 耳元で囁かれているのに、聞き取れるギリギリの声量で佐藤が言う。


「ひ、ひゃくパーセント、私のため、だったら……その……嬉しいですけど……少し、さびしいです」


 熱を持った吐息が耳にかかる。

 一応前例があるとはいえ、俺は今女の子を抱きしめるなんていう慣れないことをしているわけで。

 それで俺の心臓がどうなっているか、佐藤には昨日音を聴かせているはずなんだけどな。


「……じゃあ、俺がしたいようにしていいの?」


「……い、いい、ですよ」


 震える声で佐藤が囁き、彼女の細腕が俺の背中に回される。

 抱擁感や安心感、高揚。

 全部俺が佐藤にあげるはずだったのに、逆に彼女から受け取ってしまう。


 それをお返しするように、俺も佐藤の身体を両手で抱きしめた。


 ピクッと小さい身体が腕の中で震える。


「こ、これ、すごいです……すごすぎますっ」


 緊張しているのか、いつもより声音が少し高い。


「苦しくない?」


「全然平気ですっ。むしろ、気持ちいい……」


 とろけるように佐藤の身体から力が抜けていき、やがて全身が女の子の柔らかさに包まれる。


 というか、俺もこれやばいかも。


 鳥肌が立つように、全身を幸福感が突き抜ける。

 ストレス解消。

 どうやらあれはマジらしい。


「わ、私、なんだか過呼吸になりそうです……」


「え」


「ぁ、でも、ダメです……離さないで……っ」


 ぎゅーっとさらに抱きついてくる。

 そんな反応一つ一つがたまらなく愛おしい。



 それからしばらく『充電』を続けてから、俺は佐藤を解放した。


「ふふっ、えへへ」


「もう大丈夫そうだな」


「はいっ。今なら私、全校集会で挨拶とかできちゃいそうです」


「それは俺が心配になるからやめて」


「ふふっ」


 上機嫌に笑った佐藤が階段を降りて俺の隣に並ぶ。

 そろそろ戻らないとみんなに心配されそうだが、名残惜しそうに佐藤はもう一度俺に抱きついてきたあと、恥ずかしそうに俺の手を握った。

 熱を持った手が弱々しく滑り、人差し指と中指の二本だけがかろうじて引っかかる。


「ねえ、日向くん」


「ん?」


「……今度はもっと、ちゃんと二人きりになれる場所でしましょうね」


「……ッ!」


 ちゃんと二人きりになれる場所。

 それはつまり、電車とか学校とかじゃない、もっとプライベートが確立された場所のこと。


 佐藤らしくないその発言に、俺は言葉を返せずただ指に力を込めた。


「ふふっ」


 それをどう受け取ったのか、佐藤はまた楽しそうに笑い、教室へ戻る方向の階段に足を向けた。


「……」


 なんか、なんだろう、この感じ。

 いつもと違う佐藤のリズム、というか。

 立ち姿にも、弱々しさが感じられない。

 言葉もはっきりしてる。

 絵に描いたような、美少女。


「あ、それと、日向くん」


 階段を下りかけていた佐藤が立ち止まる。


「また今度、二人でお昼食べましょうね」


「……ああ、もちろん」


「やった!」


 それじゃあ、と言って今度こそ佐藤が教室へと戻っていく。


 その上機嫌な背中が見えなくなるまで手を振って、それからすぐに俺はその場でしゃがみ込んだ。


「誰だあれ……!?」


 喋り方とか、仕草とか、発言の内容とか、表情とか……あんなに変わるものなのか?

 その理由は?

 今日クラスメイトと話した経験?

 佐藤のちょっとした強がり?

 それとも……俺が、抱きしめたから……?


「……可愛すぎるだろ、それは」


 華奢な身体。

 柔らかい温もり。

 甘い香り。


 佐藤がまだずっと俺の腕の中にいるみたいな不思議な感覚がなくならない。


 悪いな湊。

 まだもうちょっと、戻れそうにない。

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