第18話 遭遇

 目を覚ました佐藤を連れて駅の外へ出ると、そこには俺の近所とそう変わらない住宅街が広がっていた。

 家々が並び、街路樹が立ち、街灯が灯り、いくつかの星が見えるこの街並みは、数個の駅で変わるようなものではないようだ。


「それじゃあ、案内よろしく」


「は、はいっ、がんばりますっ」


 目的地は佐藤宅。

 そこまで彼女を安全に送り届けて初めて、友達の女の子を買い物に誘った俺の任務は完了する。


 もっとも、日本の治安はそこまで悪くない……なんて、そんな詭弁が通用しないかもしれないのが佐藤の長所というか恐ろしいところであり……


「……やっぱり似合ってる、そのメガネ」


「……ぅ」


 特に、今日買ってきたメガネを着けている今の佐藤は、治安の良し悪しに依らない可能性が本当にある。

 大袈裟ならそれで結構だが、少なくとも俺が今の佐藤を魅力的に感じてしまっている以上、家まで付き添わずに帰るという選択肢はない。


「明日からはそのメガネで?」


 話題を変えようかとも思ったが、今はその恥ずかしがっている表情を長く見れる方向に持っていく。


「い、いちおう、そのつもりです」


「そっか」


「……その、初めて友達が選んでくれたものだから、私、大切に身につけたくてっ」


「そう思ってくれたなら良かった。でも、他に気に入ったものがあったら遠慮しなくていいからな」


 柄とか形とか、色だって同じ赤でも複数ある。俺が選んだもの以外にも佐藤の気に入るメガネは確実に存在するだろう。

 しかし、彼女はかけていたメガネを両手で外し、それを見つめながらゆっくりと首を横に振った。


「ありがとうございます、日向くん。……でも、少なくとも今の私は、これ以上に身につけたいメガネは他にないですからっ。も、もしこれから出会っていくのだとしても、きっと全部、これみたいに……っ」


 と、佐藤が言葉を切った時だった。


「あれー?」


 不意に背後から聞きなれない声がして俺は慌てて振り返る。

 同時に佐藤を背中に庇うが……


「珍しいね、まさかこんなところで彩音ちゃんに会えるなんて。お仕事頑張ってきたあたしに、神様からのご褒美かなー?」


 気の抜けた、間延びしたような声。

 遅れて佐藤も振り返る。


「休日はインドア派かと思ってたけど、あたしもまだまだだなー」


 ショートボブの黒髪、ゆったりとした服装。

 パッと見でも美人だなと直感できるのに、佐藤がかけていたのと似たようなメガネをかけているせいか、どこか印象が薄い。

 さらにその奥にある大人びた瞳は落ち着いているが、ゆるゆるとした声と違って感情が見えてこない。


「わっ……ぇ、お、お姉ちゃんっ!?」


「やっほー。そっちの君も、初めまして」


 お姉ちゃん、と佐藤が呼んだその人は片手をあげ、笑顔で細めていた両目を俺の方に向けると再びニッコリと笑った。







「へえー、じゃあ今はデート終盤真っ只中だったのかー。ごめんねー邪魔しちゃって。今からでもあたし退散しよっか?」


「ち、ちがうよお姉ちゃん……! これはそんな、で、デート……とかじゃ、なくて……」


 そらから、佐藤さとう真彩まあやと名乗ったその人とは一緒に家まで行くことになった。

 お姉さんと会えたのなら俺が佐藤に付き添わなくても安心だろう……そう思ったが、「じゃあ」と言っただけで佐藤から悲しそうな目を向けられてしまっては、帰ろうにも帰れなかった。

 なので何故か俺も同行しているが……


「君も同じ意見? デートじゃないの?」


「俺が佐藤を買い物に誘ったんです。妹も一緒だったので、デートとかじゃないですよ」


「……っ、ほ、ほらっ」


「えー、怪しいなぁー」


「も、もうお姉ちゃんっ、揶揄うなら先に帰ってよっ」


「あはは、ごめんごめん。でもあたしも日向くんとお喋りしたいから、先に帰るのはお断りかなー」


「さ、さっきと言ってること違うっ!」


「細かいことは気にしない気にしない」


 歩き始めてからまだ五分と経っていないが、その間だけでもこの人のことが少し分かってくる。


「ねえねえ、彩音ちゃんがお弁当作ってる相手って君だよね?」


「そうですよ。ありがたいことに」


「うわーいいなぁー。あたしだって彩音ちゃんの手料理なんてほとんど食べたことないのに」


「俺も、あんなに美味しいお弁当は今まで食べたことありませんでした」


「ぅ……」


「わぁ口上手。でも君のお母さんに失礼だぞー」


 急にスピードを落としたかと思うと、佐藤のいない俺の左側に寄ってきていきなりぎゅっと腕を絡められる。それから子供に注意するように俺の頬をつんつんと指でつついてくる。


「う、ウチの親、仕事でほとんど家にいないんですよ。それに帰ってきても、料理苦手だーっていつも言ってますから」


「だとしても、家の味と比較するのはNGだよ。あとで彩音ちゃんがご挨拶しに行く時に複雑な心境になっちゃうでしょ?」


「な……ちょっとお姉ちゃんっ!」


「あはは、そういえばデートじゃなかったんだっけ」


「何度もそう言ってるでしょ? ……って、そ、それよりも日向くんとの距離が近すぎるよっ!」


「えー」


「えーじゃないのっ。身体押し付けるの禁止っ」


「だってさ。残念だねー」


 さっきからずっと押し付けられていた柔らかさがようやく俺の腕から離れ、安堵の息を吐く。


 この人は、異様なくらい距離が近い。

 対人経験がそこまで豊富じゃない俺だから感じるだけかもしれないが、それにしたって初対面で腕を組んでくるのは普通ではないだろう。


 しかし、そんな物理的な距離以上に、会話の距離が何よりも近い。

 高校生になってから『大人に話しかけられる子供』の気分を味わっているようで、なんだかずっと落ち着かない。


「それにしても、まさか彩音ちゃんが男の子と一緒にいるなんてなぁ」


 横からジッと目の奥を覗き込まれる。

 見つめ返すのは気が引けるので顔を逸らしてみたものの、中々視線は外れなかった。

 五秒か十秒か、ほどなくして真彩さんは俺から顔を離し、早足で元の位置へと戻っていく。背丈は佐藤よりも少し高いくらいで俺には全然及ばないのに、その背中から感じる大人びた何かはとてつもなく大きくて、俺なんかでは到底及ばない。

 オーラなのか頼もしさなのか、あるいは……


「まあ、お弁当作ってる時点でなんとなく分かってはいたけど、こうして実際目にすると、なんと言うか、意外だなぁ……」


 星に向かって呟かれた言葉は足音と共に後ろへと流れていく。

 佐藤が少し歩幅を小さくしたようで、繋いでいた右手が後ろへ軽く引っ張られる。


「……私も……変わらないと、いけないから……っ」


 変わらないと──

 そう呟いた佐藤は、俺じゃなく真彩さんの方を見ている。


「そうだね」


 振り返った真彩さんが佐藤に微笑む。


 ……なんだ?


 残念ながら今のやりとりの真意を理解できるほど俺と佐藤の関係は深くないらしかったが、再び俺の横に戻ってきた佐藤が申し訳なさそうに笑うので、追求する気にはなれなかった。

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