第三十話 悪は滅びた

 どこかつつましい部屋に入り込む陽光は柔らかく、窓から流れてくる風は優しく室内を通り過ぎていく。

 簡素なテーブルには年月を感じさせる椅子が四つ。そのうち三つに人影が座り、一つは誰かを待つように空白をのせている。


「もっといい所はなかったの?」


 黒く長い髪を無造作に首の後ろあたりで束ねている女性が、けだるげに切れ長の目を薄く開いてテーブルの上を見ている。

 魔王軍四天王の一人、お尻から出る風は茶色いモンティノ。


「急だったんでこれが精いっぱいッス」


 いつまでたっても後輩っぽい雰囲気の小柄な男性が、ため息と共に言葉をもらした。

 魔王軍四天王の一人、ふんばる大地の大いなるベン。


「まあ、魔王軍も僕らだけになったし、ちょうどいいんじゃないかな」


 柔らかく微笑む爽やか系の男性は、上半身を水色を基調としたゆったりとした服で包み、下半身を肌を基調としたノーパンツファッション(ダブルミーニング)。テーブルに隠れた部分にコンプライアンス違反を忍ばせている。

 魔王軍四天王の一人、流転する水は蒼いイーラ。


「……なんでコイツがいるの?」


 モンティノは隣のベンをにらみつけた。


「えーとですね、オズワルド氏が重症で入院したんで、代わりに療養明けのこの人が復帰だそうッス」

「改めてよろしく」


 薄く笑いながら、イーラは腰をクイックイッと動かした。テーブルの下で、何かがペチンペチンと不穏な音をたてている。

 眉間を指で押さえていたモンティノは、何かを振り払うように首を振った。


「100歩譲ってそこにいるのは認めるけど、絶対に立ちあがらないように!」


 モンティノに指さされたイーラは不敵な笑みを浮かべる。


「もうすでに立っている、と言ったら……?」

「……殺す」


 凄惨な表情を見せるモンティノ、仲裁しようと二人の間に割り込むベン、テーブルを少しだけ浮かせているイーラ。

 一触即発の空間。そこへ黒く疲労感をまとわせた圧力が全てをなぎ倒すように入り込み、三人を威圧した。


「……そこまでにしておくんだな」


 宿屋の一室に入って来たのは、紺色のスーツに身を包み、髪は七対三で分割されてがっちり固定、深く濃いクマを纏うどんよりとした目を持ち何かのファイルを抱えた男。

 魔王軍四天王筆頭、終わらない黒き仕事のヒラ。


「座れ……会議の時間だ」


 ヒラの言葉に三人は何も言わず席に着く。それを見たヒラは残りの椅子に静かに座る。


「それでは魔王軍定例会議を行う……ベン、現状の報告を」

「うッス」


 ベンは書類を持って立ち上がった。


「えーと、魔王軍はリルミナ平原で王国軍に普通に負けた後、本拠地に攻め込まれてやっぱり普通に負けて魔王軍壊滅。それで今、自分たちは王都の宿屋の二階を本拠地にして再起を図ってるッス」


 報告を終えたベンはどこか困ったような表情を見せ、イーラは曖昧な笑みを浮かべ、モンティノは頭を抱えた。


「……どうするの?」


 顔を上げたモンティノはヒラの方へ呟くように言葉を向けた。


「まずは魔王軍を再建するため、人員の募集をかけようと思う」

「……まだやるの?」

「魔王様は仰った、諦めたらそこで試合終了だと」

「ほとんど終了してない?」

「そうでもない。ベン、王国について報告を」

「……うッス」


 ベンはテーブルの上から別の書類を手に取った。


「えー、王国は魔王軍との戦いには勝利したッスが……強引な徴兵、過酷な徴税、貴族による軍需物資の横流し等々……色々と限界ッスね」


 微笑みを張り付けたイーラが尋ねる。


「限界とは?」

「国民と現場の軍人の不満がすごい事になってるッス。多分、近く革命かクーデターが起きるッスね」

「この王国……滅びるのね」


 頬杖をついたモンティノが呟いた。


「そうだ。だがきちんと理由のある滅びだ」


 ヒラの声に三人は顔を見合わせる。


「そういえば、そうッスね」

「これまでは特に理由なく突然滅びたりしてましたね」

「……ちょっと待って。もしかして」


 モンティノはヒラを見る。


「そうだ。世界は進化している」


 ヒラの目にどこか充実した仕事をしているような光が宿る。


「我々はこの流れを止めることなく続けなくてはならない」

「どうするの?」


 モンティノの言葉にヒラは口の端を少し歪めながら口を開いた。


「我々は我々の役割を全うする。倒される魔王軍と正義の王国だ。王国はこれから滅びるが人は残るはず。ならば再建もできよう」

「なるほど、これまでなら意味不明に大地ごと無くなってたりしてましたが」

「理由ある滅びなら範囲が限定されそうッスね。自分らも再建に手を貸した方がいいッスか?」

「それは魔王軍の再建を優先しつつ――」


 言葉の途中でぬるりと現れた黒い影がヒラの耳元で何かを呟いた。眉間に皴が寄り、瞳の奥に黒い炎が一瞬灯る。

 影は音もなく形を無くし、ヒラは視線を三人に戻した。


「緊急事態だ。魔王様が神殿に入られた」


 ヒラの言葉に固まった三人。

 耳から入った言葉が脳に到達、内容を理解して。


「は?」

「え?」

「はああああ?」


 頓狂な声になって出力された。


「どういうこと!? まだ時間はあるんじゃなかったの!?」

「そのはずだったが……魔王様の気まぐれが出たようだ」

「ど、どうするんスか!?」


 ヒラは手元のファイルを閉じた。


「我々のやるべき事は一つ」


 黒い雰囲気を纏う男はゆっくりと立ち上がる。


「この茶番を茶番のまま終わらせる事だ」


 音を立てるものがいなくなった部屋。ヒラはイーラを見た。


「イーラ、権能の使用を許可する。水を通してすべての存在に状況の説明および協力の要請。その後は連絡役を頼む」

「拝命いたしました」


 イーラは右手を左胸にあてる。ヒラはベンを見た。


「ベン、権能の使用を許可する。神殿付近で待機、世界の解体が進んだ場合の足場の確保を頼む」

「うッス!」


 ベンは両手を広げながら頭を下げる。ヒラはモンティノを見た。


「モンティノ、権能の許可および編集権を譲渡しておく。勇者を神殿まで連行してくれ」

「編集権? それはまた大盤振る舞いね」

「そうでもない。恐らく使用すれば即剥奪されるだろう。ゆえに一回限りの一瞬だけだ」

「上手く使えって事? 簡単に言ってくれるわね」


 軽く笑いながらモンティノは立ち上がった。


「ま、やるしかないか」


 ベンとイーラも椅子から離れて立ち上がる。ヒラの目は三人を順番に流れるように視界に収める。


「それでは現時刻をもって魔王軍は解散。諸君のこれまでの働きに感謝する」


 ヒラは身をひるがえしてドアへと歩きだした。


「さらばだ」


 その様子を見ながら窓の近くへとやってきたモンティノはヒラの背中にむかって呟く。


「まあまあ楽しかったわよ。じゃあね」


 それだけ言うと一陣の風と共に窓から飛び出していった。


「うっし、最後のひと働きッス、気合入れるッスよ!」


 ベンは自分の頬を叩きながら歩き出す。


「川か湖が近くにあればいいのですが」


 イーラは少し困ったような顔をして歩いていく。

 騒がしかった宿屋の二階から人影は消え、テーブルと四脚の椅子、そして静寂が後に残された。



 ここに、悪は滅びた。

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