帰り道

「あ、もうこんな時間……そろそろ帰ろうか、頼斗君」

「ん? ああ、そうだな」


 勉強に集中してしまえば時間が流れるのは結構早い。二時間ほど二人で黙々と勉強をしただけではあったが、少しの喧騒と一緒に頑張る人がいる、と言う環境は勉強を捗らせるのかもしれない。

 恐らくカレカノの関係で発見することではないと思うのだが、気にしないようにしよう。


「送ってくよ。そろそろ日も暮れちゃうしな」

「えっ? あ、うん……よろしくお願いします」


 小さくお辞儀をしてくる玲奈さんに思わず笑ってしまう。


「あ、わ、笑わないでよ!」

「だって、そんな真剣にお願いをする彼女とか、見たことないし」

「そ、それは……だって私、誰かと付き合ったことなんてないから、何が普通かなんて分からないし……」


 夕焼けにも負けないくらい頬を赤く染める彼女の羞恥顔は、今日何度目だろうか。玲奈さんは気不味そうにスカートの裾を握り、ちらちらとこちらを見ながら言ってくる。

 流石に可哀そうになって来たので、さっさとこの会話は切り上げることにしよう。


「ほら、行こう。早くしないと部活組に飲み込まれる」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ!」

「置いてったりしないよ」


 先に一歩を踏み出した俺に、慌ててついてくる玲奈さん。彼女が僅かに伸ばした手を、俺はそっと握る。


「ひぇっ!? いやあの! 手、手!」

「手を繋ぐくらいは、普通だと思うぞ」

「だって、だって!」


 さらに顔を真っ赤にさせて涙を浮かべる玲奈さんの手を引いて、俺はさっさと歩いていく。積極的になり切れない彼女をエスコートするのも、彼氏の役目なのだ。

 玲奈さんは後ろであの、とか、その、とか尚も僅かな抵抗を続けているが、気にしたら負けなのだ。初心に返って、と言われたってどうせ踏み出す一歩なのだ。早ければ早いほうが良いと、俺は思うのだ。


「ちょっ、ちょっと待って! み、みんな見てるから」


 言われて、周りを見る。時間も時間。部活や委員会活動が終わった生徒たちがまばらに散っている。意識して見てみれば、確かにこちらを見ている人もいくらかいる。


「玲奈さんの声が大きいからだよ」

「ち、違う、はず!」

「ほら、見られるのが嫌ならなおの事、早く行こう」

「だから、ちょっと!」


 繋いでいた手を、勢いよく引き剥がされる。

 呆気に取られて振り返ると、玲奈さんは体を震わしながら、顔を赤く染めていた。けどそれは今までの羞恥顔とは違う。

 俺に責めるような視線を向けるような、怒りの表情だった。


「待ってって、言ってるじゃん!」

「れ、玲奈さん?」


 両手の拳に力が籠る。泣きそうな瞳が、怒りに染まる。


「私、追い付けないから、待ってって言ってるの!」

「ご、ごめん、そんな早いと思ってなくて……」


 キッ、と貫く瞳が見るのは俺の手、その後瞳。全てを映し出すような瞳の中で、俺はどう映っていたのだろうか。少なくとも今の俺は、自分でも聞いたことがないくらいに情けない声を出していた。

 向けられた彼女の声があまりにも、本気だったから。


「私、今日は先に帰る。……帰ったら、連絡するから」

「えっ、あ、ああ……」

「それじゃあ」


 脇を素通りする玲奈さんを止める術を、俺を持ち合わせてはいなかった。去って行く彼女の背中を見送ることですら、ままならなかった。最後に玲奈さんを見たのは、曲がり角を行った先の踵だけ。

 廊下に響く駆け足だけが、彼女の居たことを示しているように。あっさりと無くなった右手の温もりが、スッと空気に散って行った。


「……やらかした」


 やらかしたやらかしたやらかした。

 初日からやらかしの連続すぎた。忘れかけていた彼女との日常を思い出そうとしすぎるあまり、彼女の日常を大きく狂わせてしまった。変えてしまった代償が、反動があまりにも大きいことくらい、分かっていたはずなのに。


「これは、嫌われたかな」


 認めたくない現実を口にしながら、家に向けての道のりを重い一歩で踏み込んだ。

 今日の晩御飯は、箸が進みそうにないな。


 そんなことを考えていたから猶更と言っていいのか何というのか。正直、呆気に取られたというか。

 スマホに送られてきたメッセージの文を見て安心すると同時に、混乱せずにはいられなかった。


『今度の土曜日、一緒にお出かけしませんか?』


 これが普通、なのだろうか。

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