Day4 魔力
その日、彼は夢の中で魔法を操っていた。
子供の彼は魔法で様々なことをしてみせた。空を飛ぶ魔法、物体を宙に浮かせる魔法、物を動かす魔法。火や水を自在に扱う魔法。しおれた花を咲かせ、命尽きかけた樹木に生命力を与える。
誰もが羨む難しい魔法を、彼は楽々とこなすことができた。
周囲の大人達は彼を様々な目で見る。好意的な目で見る者もいたが、否定的な見方をする者も少なくはない。彼の力を利用しようと近づいてくる者もいた。
彼はやがて、人前で魔法を使うことを嫌うようになった。従兄弟の少年と、あの女の子の前を除いては。
彼は先日のように同じ場所で目覚め、そしてすぐにあの場所を離れた。
以前目が覚めた時と同じ行動だが、本日は行く場所を南に変える。すると、どこからか水の音が聞こえる。
ここには小川でもあるのだろうか、己の耳を頼りに、彼は音のする西方へと足を向けた。
歩くことしばらくして。
そこにあった川は、川というには頼りないほどに細いものだった。彼にとっては、やや大きめの歩幅で飛び越えられそうなほど。
しかし、水質はこれ以上ないくらい澄み切っていた。彼は川に顔を近づける。水面からは川底までくっきりと見えた。ここの水であれば、口に入れることを躊躇しないだろう。実際に触れてみたくなったが、彼は手を伸ばさなかった。この水を穢してしまうのではないかという恐れがあったからだ。
彼は手頃な岩に腰掛け、しばし川のせせらぎに耳を傾ける。
この辺りの木々の葉はどれも色が明るく、新緑の様子と似ている。その中にいると、自然と呼吸が深くなった。水の力のせいだろうか。普段目が覚めるあの場所も決して悪い空気ではないが、ここはまた違った意味で空気が澄んでいる。
……今日の夢は妙な夢だった。
彼は大げさにため息をつき、先ほどまでの夢を回想する。自分がまるで女にでもなったかのように、様々な魔法を使いこなしていたからだ。
エルフの国は代々女王が治める。であるから、エルフは女の方が立場が上だ。それは魔力の強さにも言えること。強い魔力を宿す者は女ばかりで、男は平均かそれ以下。膨大な力を持つ男は異端な存在だ。
無意識下の憧れだろうか。
人の気配を覚え、彼は静かに息をついた。
……いや、今はそれよりも。
「この間聞きたかったこと、聞かせてもらうぞ」
四度目ともなると、さすがに彼もライネが現れるタイミングがなんとなく分かるようになった。
「構いませんよ」
ライネは苔むした切り株に腰掛けた。彼と同じように川のせせらぎに耳を傾け、穏やかに目を細める。
「治療ってなんだ? 体の怪我じゃないんだろ」
「ええ、あなたの体は健康そのものです」
「じゃあなんだ?」
ライネは顔を上げ、彼の目を見つめた。
彼は動じず、続きの言葉を待つ。
「魔力です。あなたがここに送られてきた時、その魔力は無に等しかった」
彼は咄嗟に上半身を起こした。ライネに何か言おうにも、上手く言葉が出てこない。
彼女は変わらず、彼を静かに見据えていた。後ろ暗いことは何一つないと表情が物語っている。
彼もそれは理解していた。理解はできるが、すぐに納得はできない。魔力とは、エルフにとって命と等しいもの。元々の魔力の強弱に拘わらず、尽きてしまえば死ぬのだから。
どうしてそんな状態になっているのか。自分に何があったのか。そもそも、自分は今生きているのか。咄嗟に左胸に手を当てる。どくり、どくり、と、手を押し返すはずの感覚は遠い。
その実感が、本能的な恐怖を呼び起こす。思えば、ここに来てから、自分が生きているという感覚が恐ろしく薄いのだ。感覚にしても、記憶にしても。森の木々はやけに生き生きとしていて、この間触れたライネの手は信じられないくらいに温かくて。
――それに比べて、俺は。
「あなたは生きています」
鈴のように高く軽やかで、けれど芯の通った声がはっきりと響いた。
「私も生きています。だから、あなたも生きている」
混乱した彼の頭に、ライネの声が真っ直ぐに入ってくる。
「じゃあなんで、俺は……」
彼の口から出たのは、あまりにも感情のない声だった。
「魂の位置が、正常とされる場所から少しずれてしまっているだけ」
生気のない冷たい彼の目が、ライネを捉える。
「通常、魔力は魂から生み出され、魂もまたそれを纏っています。ですが、なんらかのきっかけで位置が逸れ、魂そのものも傷つき……。それが原因で魔力の流れが乱れ、魔力が尽きてしまったのではないかと」
「戻るのか、俺は」
「ええ」
治る、というよりも、戻るという言葉の方がしっくりくる。あえてその言葉を口にしたが、ライネは否定しなかった。
「あなたは自分を治すためにここにいる。だから、治ります」
どっと体の力が抜け、彼はその岩に手をついた。岩の冷たさと、ざらりとした手触りがある。体の感覚は遠いが、触感を得られるだけ、まだ生きているのだと実感できた。
「そろそろ戻りませんか?」
ライネは静かに立ち上がると、彼へ手を差し伸べた。
「ここで眠るのは危険ですから」
彼はその言葉に、改めて周囲を見回す。辺りには硬い岩や石の数々。何の抵抗もなく倒れるには危ない場所だ。
まだ聞きたいことはある。だが、今尋ねても眠りに落ちるだけだ。漠然とそう感じ、彼は何も聞かなかった。
こうして今日も、一日が終わる。
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